「不安」を考える。
不安に思う。
不安が絶えない。
不安なことばかり考える。
誰にでもあることだと思います。
でも、その漠然とした「不安」が何処から来るのか。
もし、それが無ければ違う選択肢があるのではと考えています。
私は仕事をする上で、
直観的に不安になることが多いです。
アラートのようにざわざわし始める。
ふとした瞬間にすごく気になり始めて、
頭から離れない。
そして、その気持ちがどんどん大きくなって、
その不安を解消する為に躍起になったりする。
だけど、そこで一呼吸置いて、
考えてみる。
そもそも、何故、不安に感じたのか。
杞憂ではないのか。
思い違いではないのか。
ただ、大概そんな時は、
思い違いでは無い。
だから、「不安」になっている。
「不安」というものは、
だいたい制御が効かないものだと思います。
それ程までに強い「感情」だと思っています。
一度、不安になれば、
際限なく気になり始める。
そして、どんどん誇張して行く。
気付けばもう自分の手に負えない程に、
頭の中を支配し始める。
でも、この肥大した感情は、
果たして事実に沿っているのか。
本当にそこまで逼迫したものなのか。
私はその様に考えるようにしています。
何故、このような切り分け方を行うようになったのか。
それは、単純に仕事が忙しかったからです。
一つ一つの不安な気持ちにリソースを割かれると、
とても処理出来なかったからです。
そんな日々を送っている時に、
いつしか思い付いて試してみました。
今、「不安」と感じていることを、
とりあえず後回しにしよう。
感情ごと先送りにして、
目の前の小さなタスクを片付けようと考えました。
頭の中でどんどん大きくなる「不安」と向き合う前に、
体制を整えようと考えました。
あらかた小さなタスクを片付けて、
少し余裕が出てきた頃に、
頭をもたげるような「不安」と対峙しました。
その時はその「不安」が芽生えた時よりも、
幾分、頭の中が整理されていて、
対峙することに対して、
それなりに準備が出来ているように感じました。
これはある意味で、
「訓練」のようなものですが、
「感情」と「事実」は、
切り離せると考えています。
「感情」を一旦少し置いてみて、
「事実」を良く観察してみる。
その上で自分が対処出来るものなのかを考えてみる。
そうすると、
「感情」に遮られていた、
「事実」の輪郭を見ることが出来る。
その上でリスクを細分化して、
緊急度に応じてタスクの優先度を決めて行く。
少し冷たい感じに聞こえるかも知れませんが、
「感情」は場合によっては、
一時的でも避けておいた方が良い場合があると思っています。
「感情」は確かに自分が感じたものですが、
「事実」は誰にでも平等です。
私の大切にしていた物が壊れてしまった。
私はとても悲しい気持ちになった。
でも、その物に対して、
思い入れの無い人からすれば、
ただの「壊れた物」だと感じるでしょう。
感情によって、
受け止め方が変わってきますが、
事実は何も変わりません。
「壊れた」ということだけです。
もし、自分が当事者だったとして、
その「壊れた物」に対して、
「感情」を一旦切り離してみる。
そうすると、
見ようとしても見れていなかった事実が、
其処にはあるのではないかと思っています。
「感情」はとても大切なモノです。
人は「感情」に動かされて生きています。
ですが、その「感情」を上手く、
そして、丁寧に扱うことが出来れば、
変わらないけどももしかしたら、
まだ救いようのある「事実」が見えてくるのではと考えています。
目を逸らし続ける度に「不安」に苛まれるなら、
私は一度諦めて、
直視することでその「不安」をもっと分析してみたい。
其処にはまだ私が見つけることが出来なかった、
何かがあると、
いつも信じています。
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