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承認欲求の尺度について

以前、「承認欲求」について書かせていただきました。

あまり自分の記事を見返さないので、

正直、あまり覚えてないのですが・・・。
(いただいたコメントはめっちゃ覚えてます!)


その時感じたことを記事にしているので、

一度書くと思いだすのに時間が掛かりますが、

その時感じたことの「鮮度」というかそれは

きっとその瞬間でなければいけないものだったのかと思ってます(ドヤッ


良く分からないことを言ってからの書き出しとなりますが、

感情に一貫性が無いのはご了承ください。。


「承認欲求」の度合いというか、

その人それぞれで、

満たされる「ものさし」が違うと思うのですが、

たぶん私はだいぶハードルが高い気がします。
(いや、低いと言うべきか)


そもそも、自分が自分を認めることが出来なければ、

誰かに褒められても

嬉しいんですけど、何か納得していないとか

そんな瞬間ってありませんか?


ここまでは自分の頭の中の話であって、

口にしなければ誰にも影響は無いと思いますが、

この「尺度」のズレがあると

会話そのものに支障をきたす気がしております。


こればっかりは本人の価値観の違いなので、

正解なんてないんですけど・・・

この「ズレ」を認識出来るか出来ないかで

コミュニケーションが円滑に行くかどうかに関わってくるような気がします。


特に親子間とか夫婦間でありがちだと思うのですが、


「なんでそんなこと出来ないの?」

「なんでそんな言い方なの?」

「なんでそれが正しいと思ったの?」


ってやつですね。

これがただの考え方の違いや

育ってきた環境の違いで済めばいいのですが、


その奥にある

「満たされるポイント」

の違いによって相手に対する感情の表現が変わってくる気がします。


そこで思うのが

相手の立場になって考えれているのかで

大きく変わって来ると思います。


ここで私が考える

「思い遣り」について活字で表現してみたいと思います。


思い遣りとは、

相手の立場や感情の度合いによって、

考えられるいくつかの選択肢の中で

自分がもっとも適切だと思える言葉や行動を

相手に提示すること。


という何か堅苦しい表現です。。

ですが、ここで重要なのが

ここに自分の感情がどれだけ含まれているかで、

また色々と変わって来る訳です。


もっとも重要なのは、

相手との関係性だと思います。

まあ、家族と初対面の人ではまったく違いますよね。


ここら辺をすっ飛ばして、

誰でも全力で向き合える人は

私の中では「天才」だと思っています。


私は凡人を極めていると謎の自負がありますので、

「天才」に出会うと手放しで尊敬します。


話が脱線しましたが、

その人が思う嬉しいや悲しいは

決して自分とイコールではないと思います。


そんなこと分かっているよと言われますが、

これが自分の感情が乗っかると

そうもいかなくなるんですよね・・・。


そうでなければ、

家族間のトラブルなんてもっと少なくなるし

職場でのトラブルも少なくなりますよね。。


どこまで相手を「思い遣る」かって

その時々の状況でとても変わってきますよね。


それでも一貫して変わらない想いもあるし

敢えてその想いを抑えることもあると思います。


じゃあ、答えはないの??

って感じですが、

そもそも人の感情に正解なんてないし、

無くていいと思います。


その瞬間、瞬間に感じていることが

自分の気持ちや相手の気持ちならば

無条件に尊重するということが

一番お互いの為なのかって思います。


摩擦がないに越したことはないと思います。

ですが、それも含めて

受け入れることが出来れば、

もっと違ってくるのかなって思います。


私もその「天才」にもっと学ばなければと思う日々です。
(え?誰なのそれは笑)


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