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【基肄城】残念すぎる日本の名城 第110回|大宰府の南を守った、見えにくい巨大な古代山城


はじめに

福岡県と佐賀県の境に、基肄城(きいじょう)という城があります。

「城」と聞いて、天守や石垣を思い浮かべる人は、少し戸惑うかもしれません。基肄城には、白い天守も、立派な櫓も、戦国武将の銅像もありません。あるのは、山をぐるりと囲む土塁、谷をふさいだ石塁、水門跡、そして山中に点々と残る礎石です。

しかし、この城はただの山城ではありません。

基肄城跡

築かれたのは天智4年、665年。白村江(はくすきのえ)の戦いで、倭国が唐・新羅の連合軍に敗れた直後のことです。海の向こうから敵が来るかもしれない。大宰府を守らなければならない。そんな国家の緊張感の中で、大野城とともに築かれたのが基肄城でした。

いわば、基肄城は「日本の西の守り」を背負った城です。

ところが、実際に訪れてみると、これがなかなか手ごわい。駅から遠い。坂がきつい。草スキー場は登ると滑る。山頂付近では方向感覚を失いやすい。遺構も、最初はどこを見ればよいのかわかりにくい。

でも、そのわかりにくさの奥にこそ、基肄城の面白さがあります。

今回は、福岡県筑紫野市と佐賀県基山町にまたがる古代山城、基肄城を歩きます。


1.基肄城の歴史

基肄城は、現在の福岡県筑紫野市と佐賀県三養基郡基山町にまたがる基山(きざん)に築かれた古代山城です。国の特別史跡に指定され、続日本100名城にも選ばれています。

築城の背景には、7世紀の東アジアの激しい動きがありました。

660年、朝鮮半島の百済(くだら)が唐と新羅によって滅ぼされます。倭国は百済を助けるために兵を送りましたが、663年の白村江の戦いで大敗します。すると、次に心配されたのは、唐・新羅の軍が日本列島へ攻めてくることでした。

そのため、倭国は西日本の防衛を急ぎます。664年には大宰府の前面に水城(みずき)が築かれ、665年には大野城と基肄城が築かれました。

基肄城跡説明図(南水門跡)

基肄城が「朝鮮式山城」と呼ばれるのは、朝鮮半島の山城づくりの技術を取り入れているからです。山の尾根を利用して土塁をめぐらせ、谷の部分には石塁を築き、城内に倉庫や施設を置く。山そのものを巨大な要塞に変える考え方です。

『日本書紀』には、百済の高官であった憶礼福留(おくらいふくる)と四比福夫(しひふくぶ)が筑紫国に派遣され、大野城と椽城(現在の基肄城。古くは「きいのき」「きのき」とも読まれる)を築いたと記されています。つまり基肄城は、日本だけでなく、百済の技術と知識も重なって生まれた城なのです。

基肄城の役割は、大宰府の南を守ることでした。

基肄城跡石碑

北には大野城、前面には水城、そして南に基肄城。大宰府を中心に、山と谷を使った大きな防衛線が作られていたのです。基肄城は、その南の扉のような存在でした。

城内は約70ヘクタールともいわれ、土塁・石塁はおよそ4kmに及びます。城内には40棟以上の建物跡が確認されており、武器や食糧を蓄える倉庫が並んでいたと考えられています。

やがて時代が下ると、基肄城は古代の軍事施設としての役割を終えます。しかし山頂付近は中世にも利用され、木山城として再び城郭化されたと考えられています。古代と中世、二つの時代の城の顔が重なるところも、基肄城の奥深いところです。


2.残念すぎる基肄城

2.1 駅から歩くと、最初から修行になる

基肄城の最寄り駅は、JR鹿児島本線の基山駅です。

しかし、駅に着いたからといって、すぐ城跡が見えるわけではありません。駅から山頂方面までは距離があり、徒歩で向かうと1時間以上を見込む必要があります。しかも最後は山道です。

城めぐりというより、ほぼ登山です。

基山町民会館付近から見た基肄城
頂上付近に天智天皇の石碑と建物が見える

もちろん、歩いて登れば達成感はあります。道の途中で町並みが遠ざかり、山の気配が濃くなるにつれ、「大宰府の南を守る山へ向かっている」という実感もわいてきます。

ただし、気軽な観光気分で行くと、足が静かに抗議してきます。

時間に余裕がない場合や、体力に不安がある場合は、車で基山草スキー場近くの駐車場まで行くのが現実的です。基肄城は、入口にたどり着くまでにこちらの覚悟を試してくる城なのです。

2.2 草スキー場を登ると、本当に滑る

基山山頂付近には、草スキー場があります。

山頂へ向かうには、この草地を登るルートもあります。見晴らしがよく、空へ向かって歩くような気分になります。景色だけ見れば、なかなか爽快です。

しかし、足元は油断できません。

草スキー場

草の斜面は、思った以上に滑ります。乾いていても足が取られやすく、雨上がりならなおさらです。登るだけでもきついのに、足元がずるっと逃げる。城が敵兵を防いだのではなく、現代の登城者を防いでいるような気さえします。

安全に登るなら、整備された登山道を使うのがおすすめです。草スキー場は、眺めるには楽しい場所ですが、登城路としては少し手ごわい相手です。

整備された登山道

「近道に見える道ほど、あとで長く感じる」

基肄城は、そんな人生訓まで教えてくれます。

2.3 山頂付近で方向感覚を失いやすい

基肄城を歩いていて、意外と困るのが方向感覚です。

山頂に出ると、景色は開けます。筑紫平野、筑後平野、遠くの山々。視界は広いのに、自分が城のどこにいるのかが急にわかりにくくなります。

これは基肄城が、天守を中心にした近世城郭ではないからです。

基肄城は、山の稜線や谷を利用した巨大な古代山城です。土塁は尾根に沿い、建物跡は山中に点在し、水門跡は谷側にあります。つまり、城の全体像を頭の中に置かないと、見どころがばらばらに見えてしまうのです。

山頂に立っても、「本丸はどこですか?」という問いは、あまり役に立ちません。

むしろ、基肄城では「どの谷を囲んでいるのか」「大宰府はどちらか」「敵はどの方向から来ると考えられていたのか」を意識した方が、ぐっと面白くなります。

ただし、現地でそれをすぐ理解するのは簡単ではありません。案内板や地図を見ながら歩かないと、いつの間にかただのハイキングになってしまいます。

2.4 遺構が大きすぎて、逆に見えにくい

基肄城の残念さは、遺構が少ないことではありません。

むしろ逆です。

土塁も石塁も水門跡も礎石群もあります。規模も大きい。歴史的価値も高い。それなのに、初めて訪れると、そのすごさが一瞬で伝わりにくいのです。

基肄城跡の石碑

近世の城なら、高い石垣や天守が「どうだ」と語りかけてきます。しかし基肄城の遺構は、山の形そのものに溶け込んでいます。土塁は尾根のふくらみのように見え、礎石は静かに並び、水門跡も知らずに通ると見落としてしまいそうです。

土塁跡

基肄城は、派手に名乗らない城です。

こちらが少し立ち止まり、地図を見て、説明板を読み、想像力を働かせて、ようやく語り始めます。親切な観光地ではありません。でも、そのぶん、気づいたときの感動は深いものがあります。


3.それでも魅力的な基肄城の見どころ

3.1 大宰府防衛の南門という圧倒的な位置

基肄城の最大の魅力は、場所そのものです。

大宰府政庁跡から南を見ると、基山の山並みが見えます。基肄城はその山に築かれました。つまり、基肄城は大宰府の南の守りを担う位置にあります。

北の大野城、前面の水城、そして南の基肄城。これらをセットで考えると、7世紀の防衛構想が立ち上がってきます。

なぜここに城を築いたのか。

それは、大宰府が西日本の政治・軍事・外交の重要拠点だったからです。大宰府が破られれば、九州の防衛線は大きく崩れます。基肄城は、その大宰府を背後から守るため、山を使って築かれた巨大な盾でした。

山頂から平野を見下ろすと、ただの絶景ではありません。

基肄城からの眺め

あの道を敵が来るかもしれない。あの平野の向こうに守るべき都への道がある。そんな緊張感が、風の中に残っているように感じられます。

3.2 土塁・石塁・水門が語る古代の技術

基肄城の見どころは、山中に残る土塁、石塁、水門跡です。

尾根には土塁が築かれ、谷の出口には石塁が置かれました。城内に雨水や谷水がたまらないよう、水を外へ流す水門も作られています。特に南水門跡は、古代山城の中でも重要な遺構です。

南水門跡
左の石積みと右の石積みが異なるのは修復のためといわれている
南水門跡

ここで面白いのは、基肄城が単なる「山の上の砦」ではないことです。

山を囲えば終わり、ではありません。水の流れを読み、谷をふさぎ、人や物を蓄える場所を作り、長く守れる仕組みにしている。つまり、基肄城は防衛施設であり、同時に巨大な土木施設でもあります。

いものがんぎ
左側の凸凹。戦国時代に土塁を堀切に変えたといわれる

現地で石塁や水門跡を見ると、古代の人たちが山をどう読み、どう使ったのかが伝わってきます。派手な石垣ではありませんが、そこには国家の本気があります。

3.3 礎石群に残る、倉庫の記憶

基肄城の城内では、多くの建物跡が確認されています。現在は礎石、つまり柱を支えた石が残っています。

この礎石群を見ると、山の中に建物が並んでいた姿を想像できます。

それらは、武器や食糧などを蓄える倉庫だったと考えられています。もし敵が攻めてきたとき、基肄城は一時的に人々がこもり、守り、持ちこたえる場所だったのでしょう。

ここで大事なのは、基肄城が「戦う城」であると同時に、「備える城」だったことです。

戦いは、刀や矢だけではできません。食べ物が必要です。水が必要です。道具が必要です。基肄城の礎石は、その当たり前だけれど大切なことを静かに教えてくれます。

小さな石が並んでいるだけに見えるかもしれません。しかし、その石の上には、かつて国を守るための備えが積まれていたのです。

3.4 天智天皇欽仰之碑と通天洞に残る、地元の記憶

山頂付近には、天智天皇欽仰之碑(てんじてんのうきんぎょうのひ)と通天洞(つうてんどう)があります。

これらは古代の基肄城そのものの遺構ではなく、昭和初期に基肄城の価値を広め、史跡として大切にしようとした地元の人々の動きと関係するものです。

天智天皇欽仰之碑

ここがとても面白いところです。

基肄城は、古代国家が築いた城です。しかし、その城を忘れずに後世へ伝えようとしたのは、近代の地域の人々でした。天智天皇の碑は、古代への敬意を形にしたものです。通天洞は、山頂の風景の中に残る少し不思議な建物で、基肄城が「史跡」として見直されていく時代の空気をまとっています。

タマタマ石と石碑

また、山頂南端には「タマタマ石」と呼ばれる巨石があります。伝承では、かつて荒穂神社がこの地にあった頃の磐座、つまり神様が宿る岩とされています。岩の中に仏像のようなものが見えると感じる人もいるかもしれませんが、公式資料で仏像として確認できるものではなく、山岳信仰や地域の伝承と重ねて見た方がよさそうです。

基肄城の山頂には、古代の軍事、近代の顕彰、そして古い信仰の気配が重なっています。石と風と記憶が、静かに同居している場所です。


4.残念ポイントを逆手に取った楽しみ方

4.1 「駅から遠い」を、古代の防衛線を歩く時間にする

基肄城は駅から遠い。これは確かに残念です。

しかし、時間に余裕があるなら、その遠さを楽しみに変えることもできます。基山駅から山へ向かう道を歩くと、町から山へ、日常から史跡へ、少しずつ景色が変わっていきます。

いきなり山頂へ行くよりも、基肄城がなぜこの山に築かれたのかを体で感じられます。

もちろん、無理は禁物です。夏場や雨の日、体力に不安がある場合は車を使った方がよいでしょう。基肄城は逃げません。こちらが無理をして転べば、城の方が困った顔をします。

歩くなら早めの時間に。水分を持って。靴はしっかりしたものを。

登城というより、小さな遠征のつもりで向かうと、基肄城はぐっと面白くなります。

4.2 「わかりにくい」を、地図と想像力で攻略する

基肄城は、現地に立つだけでは全体像がつかみにくい城です。

だからこそ、事前に地図を見ておくことをおすすめします。土塁がどこを通っているのか。水門跡はどこか。礎石群はどのあたりか。山頂と城域の関係はどうなっているのか。

これを少し頭に入れてから歩くと、山の見え方が変わります。

「あ、この尾根が城壁なのか」
「この谷をふさいでいたのか」
「ここに倉庫が並んでいたのか」

そう気づいた瞬間、ただの山道が古代の防衛ラインに変わります。

基肄城は、案内される城ではなく、読み解く城です。少し難しい。でも、そこがよいのです。暗号のような山城を解いていく楽しさがあります。

4.3 大野城・水城・大宰府とセットで見る

基肄城だけを見ると、少し孤立した山城に感じるかもしれません。

しかし、大野城、水城、大宰府政庁跡とセットで見ると、基肄城の意味は一気に大きくなります。

大宰府を守るため、北には大野城、前には水城、南には基肄城。これらは別々の史跡ではなく、一つの防衛構想としてつながっていました。

大宰府の防衛ネットワーク

可能なら、基肄城を歩く前後に大宰府政庁跡や水城跡も訪ねてみてください。基肄城の山頂から見た景色が、地図の上でつながり始めます。

基肄城は、単独で輝く城というより、古代九州の大きな守りの中で存在感を増す城です。

星座の星が、線で結んだときに物語を持つように。基肄城もまた、大宰府防衛の線で結んだとき、その本当の姿が見えてきます。


まとめ

基肄城は、わかりやすい城ではありません。

駅から遠く、坂はきつく、山頂では方向感覚を失いやすい。草スキー場は滑り、遺構は山に溶け込み、初めて訪れる人には少し不親切です。

しかし、その残念さの向こうに、基肄城の本当の魅力があります。

白村江の敗戦後、大宰府を守るために築かれた古代の巨大防衛施設。百済の技術を取り入れた朝鮮式山城。山を囲む土塁と石塁。水を逃がす水門。倉庫の記憶を残す礎石群。そして、後の時代にこの城を大切にしようとした地元の人々の思い。

基肄城は、派手な城ではありません。

けれど、山の上に立ち、平野を見下ろすと、ここがただの山ではなかったことがわかります。古代の人々が恐れ、備え、守ろうとしたものが、風の中にふっと立ち上がります。

基肄城は、見えにくい城です。

でも、見えにくいからこそ、見えた瞬間が美しい。

大宰府の南を守ったこの古代山城は、今も静かに、九州の空を見張っています。



参考資料

基山町公式ホームページ「基肄城跡(国指定特別史跡)」
作成者:佐賀県基山町
URL:https://www.town.kiyama.lg.jp/kankou/kiji003646/index.html

基山町公式ホームページ「基肄(椽)城跡(きいじょうあと)」
作成者:佐賀県基山町
URL:https://www.town.kiyama.lg.jp/kiji0031236/index.html

基山町公式ホームページ「基山山頂(基肄城跡)」
作成者:佐賀県基山町
URL:https://www.town.kiyama.lg.jp/kiji0031244/index.html

福岡県観光連盟「基肄城跡」
作成者:公益社団法人 福岡県観光連盟
URL:https://www.crossroadfukuoka.jp/spot/14771

佐賀県観光連盟「あそぼーさが 基肄城/絶景の山に眠る歴史をひもとく旅」
作成者:一般社団法人 佐賀県観光連盟
URL:https://www.asobo-saga.jp/articles/detail/de2c23d1-3b29-4510-b975-3a7711f92823

日本遺産 西の都「基肄城跡」
作成者:日本遺産 西の都
URL:https://www.nishinomiyako.com/heritage/kiijoato/

大野城心のふるさと館「大野城跡」
作成者:大野城心のふるさと館
URL:https://www.onojo-occm.jp/kiji0037811/index.html

Wikipedia「基肄城」
URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/基肄城

デジタル城下町「基肄城(福岡県筑紫野市、佐賀県三養基郡基山町)の登城の前に知っておきたい歴史・地理・文化ガイド」
作成者:デジタル城下町
URL:https://note.com/digitaljokers/n/n5ce59db58197



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