【原城】残念すぎる日本の名城 第114回|世界遺産なのに何もない!?3万7千人が眠る悲劇の城
こんにちは!「残念すぎる日本の名城」シリーズ第114回は、長崎県南島原市にある原城跡を取り上げます。ユネスコ世界文化遺産に登録されながら、「何もない」と嘆く観光客が後を絶たないこの城。なぜ世界遺産になったのか、そして実際に訪れてみるとどんな「残念」と「驚き」が待っているのかをご紹介します。

その視線の先にあるのは、島原・天草一揆の密談が
行われたと伝わる湯島、別名「談合島」
はじめに
「世界遺産に指定されたから行ってみた。でも…何もなかった」
これが原城を訪れた多くの人の第一声です。石垣すら草に隠れ、建物はひとつもなく、ただ潮風が吹き抜ける丘が広がるだけ。しかし、この「何もなさ」こそが、ここが世界遺産に選ばれた理由そのものです。地面の下には、約390年前に命を落とした3万7千人の遺骨が、今も静かに眠っています。

1. 原城の歴史
原城(はらじょう)は、1496年(明応5年)に戦国大名・有馬貴純によって築かれました。島原半島の南端に突き出た丘の上に位置し、三方を有明海に囲まれた天然の要害です。その美しさから「日暮城(ひぐらしじょう)」とも呼ばれ、沈む夕日を眺めていると日が暮れるのも忘れるほどだったといいます。
16世紀末、有馬晴信が朝鮮半島での戦役で得た最新の築城技術を持ち帰り、瓦葺きの立派な近世城郭として大改修。本丸・二の丸・三の丸・天草丸を備えた堅固な城として生まれ変わりました。
しかし、有馬氏が他国へ移封され、1616年(元和2年)に「一国一城令」の影響で廃城に。後に入国した松倉氏は新たに島原城を築き、原城は廃墟のまま20年以上が過ぎていきます。

そして1637年(寛永14年)、歴史の歯車が大きく動きます。松倉氏による過酷な年貢取り立てとキリシタン弾圧に苦しんだ農民や浪人たちが蜂起。島原半島と天草から集まった約3万7千人が廃城となっていた原城に立て籠もりました。総大将に担ぎ出されたのは、わずか16歳の少年・天草四郎時貞でした。

幕府は九州の諸大名を動員し、最終的には12万を超える大軍で原城を包囲。3ヶ月にわたる籠城戦の末、1638年4月、食料も弾薬も尽き果てた城は一日で陥落します。老若男女を問わず、ほぼ全員が命を落とした「島原・天草一揆」。幕府は再び一揆の拠点として使われないよう、原城を徹底的に破壊し、城内に遺体を埋め、さらに城壁を壊して土に返しました。この乱は鎖国体制をより強固にする契機ともなり、日本の歴史を大きく変えた事件として記録されています。
1938年(昭和13年)に国の史跡に指定され、2018年(平成30年)にはユネスコ世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として世界に認められました。
2. 残念すぎる原城
さて、お城ファンが思わず頭を抱える、原城の「残念すぎる」ポイントを見ていきましょう。
2.1 着いてみると…本当に何もない!
原城跡を初めて訪れた人が必ず感じるのが、この衝撃です。「世界遺産」の看板を期待して来てみると、広がるのは草に覆われた丘と、海からの風だけ。建物はおろか、石垣すら草の陰に隠れてほとんど見えません。観光地にありがちな「映えスポット」も「お土産屋」も、城内にはありません。「これが世界遺産?」と首をかしげてしまう気持ちは、よくわかります。ただし——それこそが、ここが世界遺産に選ばれた理由でもあるのですが……。

2.2 足元の下に3万7千人が眠っている
原城跡の最大の「怖さ」は、地面の下にあります。島原の乱で命を落とした約3万7千人の遺体は、幕府軍によって城内に埋められました。1990年代から続く発掘調査では、今も人骨が次々と出土し、骨には刀傷の痕も残っています。また鉛弾を溶かして作った十字架や、口元からはメダイ(キリスト教のお守り)も発見されています。訪れるとき、私たちは知らず知らずのうちに、その人々の上を歩いていることになります。発掘はまだ続いており、現代においても「掘れば人骨が出てくる」場所——それが原城跡の現実です。

2.3 天草四郎の「墓」はどこにもない
本丸跡には、南島原市出身の彫刻家・北村西望が制作した天草四郎の祈りの像が立っています。長崎の平和祈念像を手がけた巨匠の作品とあって、像そのものは見応えがあります。ところが——天草四郎の「お墓」は、ここにはありません。四郎の首は戦後、長崎や江戸に送られたと伝えられ、遺体がどこに葬られたかも定かではないのです。「天草四郎の墓」を期待してきた方は、像を前に少し切ない思いをするかもしれません。

2.4 アクセスが厳しすぎる
原城跡へのアクセスは、城好きにとって試練の連続です。最寄りのバス停「原城前」から徒歩15分。しかしバス自体の本数が非常に少なく、実質的には車がないと訪問が難しい立地です。しかも城内には広い駐車場はあるものの、コンビニや食事処は周辺に見当たらず、事前に食料と飲み物を準備しておかないと後悔します。特に夏の炎天下では、日陰もほとんどなく、熱中症に注意が必要です。
2.5 「天草四郎の墓」と紛らわしい石碑問題
城内の一角に、古い石碑や祠が残っています。一見すると「天草四郎ゆかりのもの」に見えますが、実際には後の時代に地元の住民が建立した供養碑や地蔵尊です。1766年(明和3年)に建立された「骨カミ地蔵」は、敵味方を区別せずに死者を弔うために作られたものですが、説明板が読みにくく「これが天草四郎の何か?」と勘違いしてしまう訪問者も少なくありません。世界遺産としての整備は進んでいますが、もう少しわかりやすい案内があれば、もっと深く理解できるのに…と感じます。

3. それでも魅力的な原城の見どころ
残念ポイントを並べましたが、原城には他の城にはない、唯一無二の魅力が確かにあります。
3.1 三方を海に囲む、圧倒的な絶景
本丸跡に立ったとき、その眺望に思わず息をのみます。東・南・西の三方に有明海が広がり、晴れた日には対岸の天草の島々まで見渡せます。昔の人々がなぜここを選んで籠城したのか——この景色を前にすれば、一目でわかります。春には桜が咲き乱れ、「日暮城」の名にふさわしい美しさを取り戻す季節が訪れます。

3.2 地面から語りかけてくる、信仰の証
発掘調査で出土した遺物の数々は、一揆勢の信仰の深さを伝えます。鉛玉を溶かして作った小さな十字架、口の中に隠し持っていたと思われるメダイ、ロザリオの珠——厳しいキリシタン弾圧の時代に、命よりも信仰を大切にした人々の姿が目に浮かびます。現地の有馬キリシタン遺産記念館では、こうした出土品のレプリカや関連資料が展示されており、原城跡とセットで訪れることで理解が格段に深まります。
3.3 「何もない世界遺産」になった逆説的な理由
城が「何もない」のは、幕府が徹底的に破壊したからです。そしてその破壊の痕跡と、地下に眠る遺骨・遺物こそが、「島原・天草一揆という歴史的事件が確かにここで起きた」ことを証明する貴重な証拠となりました。ユネスコはこの場所を「潜伏キリシタンの信仰の終焉と、それでも消えなかった信仰の証」として評価しました。派手な建物がないからこそ、真実が地面の下に残っている——それが原城の「世界遺産たる所以」です。
3.4 国内最大級の虎口と、残る石垣の迫力
草に覆われていても、よく目を凝らすと石垣の一部が随所に顔をのぞかせています。2000年(平成12年)の発掘調査では、南北90メートル・東西80メートルという国内最大級の虎口(こぐち=城の出入口)の遺構が確認されました。廃城となり、さらに幕府に破壊されてもなお残るこの規模感から、かつての原城がいかに壮大な城郭であったかが伝わってきます。

4. 残念ポイントを逆手に取った楽しみ方
「何もない」原城を、より深く楽しむための視点を3つご紹介します。
4.1 「記念館→城跡」の順番で訪れる
城跡だけ先に行っても、正直なところ「草っぱら」で終わってしまいます。まず有馬キリシタン遺産記念館(城跡から車で約6分)で歴史と出土遺物を学んでから城跡に向かうと、同じ景色がまったく違って見えてきます。「この地面の下に人々が眠っている」「あの海を渡って一揆勢が集まってきた」——そうした想像力を養ってから訪れることが、原城を最大限に楽しむコツです。
4.2 「草の向こう」の石垣を探す宝探し感覚で
整備された通路から一歩外れると、草むらの中に石垣の破片や遺構の痕跡が点在しています。ただし、世界遺産の構成資産のため、石垣に触れたり草を勝手に踏み荒らしたりすることは厳禁です。あくまで目で探しながら、「幕府が破壊しても残ったこの石は、当時のものかもしれない」と想像するだけで、スリリングな体験になります。

4.3 夕暮れ時を狙って訪れる
「日暮城(ひぐらしじょう)」の名は伊達ではありません。夕方、有明海に沈む太陽と赤く染まる空、天草の島影のシルエット——この光景は、昼間の「何もない」印象を一変させます。3万7千人が最後の夕日を眺めたかもしれないこの場所で、同じ西の空を見る体験は、言葉にならない感慨をもたらしてくれます。夕景を見たあとは、近くの原城温泉「真砂」でゆっくり体を温めるのもおすすめです。
まとめ
原城は、「お城らしいお城」を期待して行くと間違いなく肩透かしを食います。しかしそれは、この場所が「城の廃墟」ではなく「歴史そのものの現場」だからです。草の下に眠る3万7千人、地面の中に残る信仰の証、そして世界中がその価値を認めた圧倒的な歴史の重み——それをどれだけ感じ取れるかが、原城の楽しみ方の全てと言っても過言ではありません。
「残念すぎる」と感じたその先に、日本中でここにしかない体験が待っています。ぜひ、有馬キリシタン遺産記念館とセットで、夕暮れを狙って訪れてみてください。
参考資料
南島原市公式ホームページ「世界遺産のまち 南島原」
https://www.city.minamishimabara.lg.jp/sekaiisan/原城跡公式ページ(長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産)
https://kirishitan.jp/components/com001Wikipedia「原城」
https://ja.wikipedia.org/wiki/原城デジタル城下町「原城(長崎県南島原市)の登城の前に知っておきたい歴史・地理・文化ガイド」
https://note.com/digitaljokers/n/n56cb1a588696南島原ひまわり観光協会「原城跡」
https://himawari-kankou.jp/learn/000524.php
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