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【大宰府政庁】残念すぎる日本の名城 第112回|建物はなくても都級のスケール!城に守られた西の都


はじめに

福岡県太宰府市にある大宰府政庁跡。

広い芝生の上に礎石が並び、その奥には四王寺山が横たわっています。

天守も櫓もありません。そもそも大宰府政庁は城ではなく、九州の政治・外交・軍事を担った古代の役所です。

大宰府の防衛ネットワーク

では、なぜ名城シリーズで取り上げるのか。

大宰府の前面には水城、背後には大野城、南には基肄城が築かれていました。さらに南方には鞠智城も置かれています。大宰府政庁は、これらの防衛施設に守られた古代都市の中枢だったのです。

しかし、現地に残るのは建物ではなく、芝生と石。

大宰府政庁跡

今回は、想像力を試される大宰府政庁の残念ポイントと、その奥にある魅力を紹介します。


1.大宰府政庁の歴史

663年、倭は白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れました。

大陸からの侵攻を恐れた朝廷は、664年に水城、665年に大野城と基肄城を築きます。こうした防衛施設に囲まれた内陸部に、九州を治める大宰府が整えられました。

日本遺産大宰府跡の案内板

大宰府は九州各国を統括するだけでなく、外国使節を迎え、外交や交易を担う場所でもありました。その重要性から「遠の朝廷」とも呼ばれます。

政庁の建物は、大きく三つの時期に分かれます。

Ⅰ期は掘立柱建物が中心でした。8世紀初頭のⅡ期になると、正殿、脇殿、南門、中門、回廊などが整えられ、礎石建ちの瓦葺き建物が並びました。

特別史跡大宰府跡の案内板

941年、藤原純友の乱で政庁は焼失します。その後に再建されたのがⅢ期の政庁です。

現在見られる正殿跡の礎石や基壇は、主にこの時期の姿を伝えています。

2.残念すぎる大宰府政庁

2.1 第一印象は広い芝生

大宰府政庁跡を訪れて最初に見えるのは、広い芝生と礎石です。

かつては朱塗りの柱と瓦屋根を持つ建物が並んでいましたが、現在は一棟も残っていません。

「西の都」と聞いて華やかな復元建築を期待すると、少し肩透かしを受けます。

北側には大野城のある四王寺山が見えます

ただし、この何もない空間は、地下の遺構を守った結果でもあります。建物を復元しすぎず、古代の地面を残しているところに、この史跡の誠実さがあります。

2.2 礎石だけでは全体像が分かりにくい

現地には南門、中門、脇殿、正殿などの跡が示されています。

ところが、柱や壁がないため、初めて訪れた人には建物の大きさがつかみにくいところがあります。

南門跡の石碑

特に正殿前の広場は広く、礎石だけを見ていると配置を見失いがちです。

南門から中門を通り、左右の脇殿に囲まれた広場を進んで正殿へ向かう。この動線を意識すると、政庁の姿が少しずつ見えてきます。

2.3 太宰府天満宮から少し離れている

太宰府観光といえば、太宰府天満宮が中心です。

一方、大宰府政庁跡は天満宮や西鉄太宰府駅から少し離れています。最寄りの都府楼前駅からも徒歩約15分です。

そのため、太宰府まで来ても政庁跡に立ち寄らず帰る人は少なくありません。

ただし、この距離があるからこそ、政庁跡には落ち着いた空気が残っています。人混みを離れ、静かに古代を想像できる場所です。

2.4 防衛都市の全体像が一か所では見えない

大宰府の魅力は、政庁跡だけでは完結しません。

水城、大野城、基肄城、観世音寺、客館跡など、重要な遺跡が広い範囲に点在しています。

政庁だけを見ると「古代の役所跡」で終わります。しかし周辺の城や防塁と結びつけると、巨大な防衛都市の姿が浮かびます。

一か所だけでは完成しないところが、大宰府めぐりの難しさであり、面白さでもあります。

3.それでも魅力的な大宰府政庁の見どころ

3.1 南門から正殿へ続く軸線

大宰府政庁跡では、南側から北へ向かって歩くのがおすすめです。

南門、中門、広場、正殿がほぼ一直線に並び、左右には脇殿が配置されていました。

南門から見た北側

現在は建物がなくても、左右対称に整えられた空間の美しさが分かります。

大宰府政庁は単なる役所ではありません。儀式を行い、九州各国や外国から来た人々に朝廷の力を示す舞台でもありました。

3.2 正殿跡に残る大きな礎石

政庁跡の中心は、北側の一段高い場所にある正殿跡です。

大きな礎石が整然と並び、かつて堂々たる建物が立っていたことを伝えています。

都府楼跡の石碑

礎石の前に立つと、柱の太さや建物の幅を自分の体で感じられます。

「都府楼跡」の石碑だけでなく、礎石の列を横から見ると、建物の規模がより分かりやすくなります。

3.3 正殿の背後にそびえる四王寺山

正殿跡から北を見ると、四王寺山が大きく見えます。

この山に築かれたのが古代山城の大野城です。

政庁の背後に山城が控える景色は、大宰府が政治の中心であると同時に、防衛の中枢だったことを伝えます。

正殿跡と四王寺山が重なる景観は、大宰府政庁ならではの見どころです。

3.4 展示館と周辺史跡

政庁跡の南東には、大宰府展示館があります。

館内では、発掘された溝の遺構や出土品、復元模型などを見ることができます。

先に模型を見てから政庁跡を歩くと、礎石の上に門や回廊、朱塗りの建物を想像しやすくなります。

周辺には観世音寺や戒壇院もあり、古代大宰府の政治と文化を一緒に楽しめます。

4.残念ポイントを逆手に取った楽しみ方

4.1 最初に展示館を見る

大宰府政庁跡は、何も知らずに歩くより、復元模型を見てから歩く方が楽しめます。

南門、中門、脇殿、正殿の位置を確認しておけば、芝生の上に古代の建物が立ち上がってきます。

建物がない史跡では、想像力が最大の装備です。

4.2 正殿跡で南北を振り返る

正殿跡に着いたら、北と南の両方を眺めてみましょう。

北には大野城のある四王寺山。南には、南門から朱雀大路へ続く古代都市が広がっていました。

南側
基肄城のある基山が見えます

北を向けば防衛、南を向けば政治と外交。

その間に立つと、大宰府政庁が都市の中心だったことを実感できます。

4.3 水城・大野城・基肄城・鞠智城を線で結ぶ

城好きなら、大宰府政庁だけで見学を終えるのは惜しいところです。

まず水城跡を訪れると、平野をふさぐ巨大な土塁から、大宰府が厳重に守られていたことが分かります。

背後の大野城、南の基肄城へ足を延ばせば、大宰府を囲む防衛線が見えてきます。

さらに熊本県の鞠智城まで視野を広げると、古代九州の防衛が、大宰府周辺だけで終わるものではなかったことに気づきます。

鞠智城は兵士や物資を支える拠点だったと考えられ、大野城や基肄城とは役割が少し異なります。それでも、白村江の敗戦後に築かれた古代山城の一つとして、大宰府防衛の大きな構想の中で見ることができます。

大宰府政庁、水城、大野城、基肄城、鞠智城。

これらを地図の上で結ぶと、点だった遺跡が、古代国家を守る壮大な線へと変わります。

まとめ

大宰府政庁には、天守も櫓もありません。

朱塗りの正殿も、外国使節を迎えた儀式も、今は見ることができません。残るのは、広い芝生と礎石、背後の山並みです。

そのため、分かりやすい建物を期待すると、少し残念に感じるかもしれません。

しかし、水城、大野城、基肄城、さらに鞠智城まで視野を広げると、大宰府政庁は古代九州の政治・外交・防衛を支えた中心だったことが分かります。

建物がないから、空が広い。

空が広いから、古代の風景を自由に描ける。

礎石の上に柱を立て、山の尾根に城壁を巡らせたとき、静かな芝生の上に「西の都」がよみがえります。

想像することまで含めて楽しむ。

それが、大宰府政庁を訪れる最大の魅力です。

参考資料

・「大宰府政庁跡」太宰府市 https://www.city.dazaifu.lg.jp/site/bunkazai/33684.html

・「大宰府展示館」太宰府市 https://www.city.dazaifu.lg.jp/site/kanko/13048.html

・「古代の太宰府」太宰府市 https://www.city.dazaifu.lg.jp/site/bunkazai/11930.html

・「大宰府政庁跡」九州国立博物館 https://www.kyuhaku.jp/dazaifu/d-map/kaisetu01.html

・「大宰府政庁跡」日本遺産 古代日本の「西の都」 https://www.dazaifu-japan-heritage.jp/dazaifu/jp/spots/dazaifu-government-office-ruins.html

・「鞠智城跡」熊本県立装飾古墳館分館 歴史公園鞠智城 https://www.kofunkan.pref.kumamoto.jp/kikuchijo/

・Wikipedia「大宰府」 https://ja.wikipedia.org/wiki/大宰府

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