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推しという言葉に、もっと狂気があってほしい

思えば、僕は今まで好きなコンテンツに関しては箱推しになるばかりで、特定のキャラクターやアイドルに「推し」という存在なかったです。

もちろん優先順位はあるし、「この子がいちばん気になる」くらいはあります。
でも、その人の配信やグッズばかり追うような熱量になることはありませんでした。

だもんで、「推し変」という言葉をわざわざ表明している人を見かけると、不思議な気持ちになります。

たとえばSNSを眺めていると、「ごめん、冷めた」「もう推せないかもしれない」「新しい推しができました」といった宣言をする人がいます。

本人にとっては正直な気持ちの吐露なのかもしれません。
【若さ】を感じます。

部外者の僕からすると、それは「推していた対象」への感情表現というより、「推し変を表明している自分」を見せたいだけじゃないかと思えてしまいます。


▽ 心理を考える

僕の感覚では本当に好きなものから離れる時は、静かにフェードアウトしていくものじゃないかと。

熱が冷めたら自然と手が伸びなくなって、気づけば距離ができることが多々ありました。
別にわざわざ「飽きました」と報告する必要はないですよね。せいぜい雑談のネタ程度です。

僕には「推し変」という言葉に、比較と脅迫が混ざっている印象があります。

「あなたよりもっと魅力的な対象を見つけた」
「だからあなたへの熱は下がりました」

わざわざ発言するのは、相手に揺さぶりをかけたいからじゃないでしょうか?

本当は縋り付いてほしいんでしょう?
泣きわめいて「自分がいてほしい」と言ってほしいんでしょう?

そういう心理はわかりますよ。
僕もそうなって情緒が乱れているシーンは嫌いじゃないです。

好きだから伝えたいというより、「好きではない」という意思表示を他人に認めてもらいたい欲望の表れに見えます。
人間らしくて、嫌いじゃないです。

そして、ここまでくると「推し変」にはもうひとつの快楽が潜んでいるように思います。
それは、崇拝していた対象が自分の言葉ひとつで動揺し、反応し、手のひらの上で踊るという感覚です。

崇拝対象を意のままにして掌で踊らせられるというイメージ。
そりゃあ、気持ちいいでしょう。

意のままに操れる立場へと関係が反転したとき、人は快感を覚えるものでしょう。
この構造は本質的にDV(ドメスティック・バイオレンス)と同じです。
支配と従属の関係のなかで、自分が上に立つことに快楽を見出しているだけなので決しておすすめはできません。

▽ 推しという言葉

僕自身、「推し」という言葉は軽く使うことがあります。
本音を言えば、それは便利だから借りているだけで実際のニュアンスは「今、気に入っているコンテンツ」って感じです。

ある作品全体を応援しているなかで、そのとき好きなキャラクターやコンテンツをなんとなく「推し」と呼んでいるだけ。
特定のキャラクターに対しても、かる〜いノリでしか発言できません
「同担拒否」なんて強い言葉はとても使えません。

「推す」という本来の意味を考えると、
もっと狂気に堕ちてないと使えないと思います。

寝ても覚めてもその人のことを考えて、財布の紐もスケジュールも全部持っていかれる。
そこまでいって初めて「推し」と名乗るのが自然じゃないかなって。

僕は、「推し変」という表明を見るたびに、どうしても「最初から本気で推していたのか?」と疑ってしまいます。
そもそも推していなかったのでは? ただの承認要求では?

もし本当に心底好きだったなら、離れるときにそれを言葉にする余裕なんてないんじゃないかな?
ボロボロに泣いて、むやみやたらに八つ当たりして、なんなら大っ嫌いになって、でもどこか憎めなくて。
静かに身を引いて、心の奥でだけ痛みを噛みしめて、いつか風化して「あのときは好きだったな〜」って懐かしむようなものじゃないかと。

▽ 推しに対する姿勢

もちろん、人の楽しみ方に正解はありません。
推し活は自由だし、誰がどんなふうに推すかを他人がとやかく言う筋合いもないです。

でも僕は、「推し」という言葉にある程度の重さを感じていたいんですよね。言うならば偏愛です。

軽やかに使うなら「お気に入り」とか「気になる」でいいと思っています。
なんなら、僕が気軽に使う「推し」はすべてこのレベルです。
プロフィール欄に「○○推し」と記載するのは失礼だと感じてしまいます。
せいぜい「ディズニーが好き」くらいのノリです。

それをあえて「推し」と呼ぶからには、ある種の狂気や執着、覚悟がセットになっていてほしいのです。
ただの言葉遊びや気分の移ろいで片付けられるほど、推しという存在は軽く扱っていいものではないのかもしれません。
崇拝の対象といっていいと思います。

本気で推している人たちの姿を見て、憧れや畏怖を抱くこともあります。
ディズニーは好きですが、わざわざウォルト・ディズニーの生まれた家に行けねぇよ、俺。

あの熱量は、簡単に「推し変しました」と言えるようなものじゃないです。
何年分もの積み重ねや、途方もない資金、生活の一部になった時間を感じました。

「推し変」をわざわざお気持ち表明してしまう人を見ると、「推しを名乗るにはまだ早いんじゃないか」と思ってしまいます。

▽ 推し変宣言とは

僕は特定の誰かに狂うように入れ込んだ経験はあまりありません。

だって、しょうがない。
僕が世界の中心で、自分が一番可愛いという価値観なので。

推しはファッションじゃないし、自己演出のための小道具でもない。
もっと泥臭くて、もっと熱狂的で、どうしようもなく抗えないものではないでしょうか?

「推し変しました」と簡単に言葉にする人を見ると、なんだか鼻白んでしまいます。
愛情の告白ではなく、ただの自分語り。相手にも伝えるなら支配欲。

推しに対してではなく、フォロワーに対して「今の私」を説明したいだけなんじゃないかと思います。

そう考えると、僕の中の印象としては
「推しを名乗るには、まだ早いんじゃないかな」と思ってしまいます。

ここまで語って、かなりハードルが高い話になってしまいましたが魂の入った狂信的な推し語りがあれば、いくらでも聞きます。

人の推し語りきの好きです。
ある方はぜひ、語ってほしいです!

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