見出し画像

【新連載】もしも、自分が戦国時代の指揮官だったら?――戦術の視点で読み解く「武田の城」の合理システム

みなさま、大変ご無沙汰しております。約2年ぶりのnote更新となります。

これまでこのnoteでは家系図の作成などについて綴ってまいりましたが、今回から新しく、私の大好きなテーマについて連載を始めてみようと思います。

テーマは、「武田氏の城」です。

今から30年ほど前、私は静岡県に住んでいました。当時は毎週末のように駿河、遠江、そして甲斐(山梨県)の山々を歩き回り、武田氏ゆかりの城跡を巡っていました。現在は福岡県に暮らしているため、なかなか当時の城跡を訪ねることは難しくなりましたが、あの時、城跡の土塁や堀を見上げながら感じた「ゾクゾクするような高揚感」は、今でも鮮明に覚えています。

これから数回にわたって、私が当時見て回った武田の城の魅力と、その「見どころ」をみなさまにお届けしたいと思っています。

文献や考古学ではなく「戦術」で城を見る

ここで、あらかじめお伝えしておきたいことがあります。

私は、歴史の学者でもなければ、城郭の考古学的な専門家でもありません。難しい古文書を読み解くことも、出土した土器から年代を特定することもできません。

しかし、私には一つだけ、城を眺めるときに大切にしている独自の「眼鏡(視点)」があります。

それは、「もし自分がこの城の指揮官(大将)だったら、この地形や遺構をどう使って戦うか?」という、実戦的・戦術的なシミュレーションの視点です。

実は、私はかつて自衛隊に身を置いておりました。

当時、演習場では「敵はどこから来るだろうかな、こう来るのが妥当だろうけど本当にそうかな。我はどのように敵を撃退するかなあ、こっちから来る公算が高いだろうけれどなあ。なんとかして敵を罠にはめる方法は無いかな」とか考えながら、防御陣地を作ったり作戦図を書いたりしていました。そうして地形と向き合う仕事が、私はとても好きだったのです。

そういった目で戦国時代の「城(縄張り)」を見てみると、単なる土の塊や溝に過ぎなかった遺構が、「なるほど、当時ここをこう使いたかったんだな」と、私なりの郭や堀の使い方、この城での敵の撃退の仕方が想像できるのです。

  • 「なぜ、ここにこれほど深い堀を掘ったのか?」

  • 「なぜ、この通路はまっすぐではなく、不自然に折れ曲がっているのか?」

  • なぜ、この斜面にこれだけの空間(曲輪)が必要だったのか?

これらはすべて、当時の武田の軍師や武将たちが「ここに攻めてくる敵をこうやって罠にはめよう」と、極めて合理的かつ冷徹に計算した結果の形なのです。

文献がなくても、歴史の知識が深くなくても、目の前にある「地形」と「遺構」を戦術の視点でつなぎ合わせると、当時の兵士たちの息遣いや、指揮官の意図が手に取るように読めてきます。この「謎解き」のような面白さを、城巡りに興味がある方や、これから城を訪ねてみたいという方に、ぜひお伝えしたいのです。

これから皆さんと一緒に見ていきたいこと

この連載では、私が実際に見て感動した静岡や山梨の城を中心に、その戦術的な力を解き明かしていきます。

例えば、以下のようなテーマを予定しています。

  • 躑躅ヶ崎館(武田氏館):今の躑躅ヶ崎館は武田信玄が使っていたものなのか

  • 諏訪原城や小山城の「丸馬出」:なぜ武田の城には「丸い外郭」があるのか? どのように使うことを想定していたのか。

  • 丸子城や新府城に隠された、地形を味方につける工夫。

今は手元に縄張り図(城の設計図)がないため、この記事では、各自治体が公開している公式パンフレット(PDFなど)をインターネットで検索していただき、その図面を横に置きながら、一緒に頭の中でシミュレーションを楽しんでいただくスタイルをとろうと思っています。

遠くてなかなか行けない方も、これから行ってみようという方も、デスクの上で一緒に「戦国の軍師」になったつもりで、武田の城の合理的なシステムをのぞいてみませんか?

それでは次回から、具体的な城の攻略・防衛シミュレーションを始めましょう。

最初の舞台は、武田信玄公が暮らし、甲斐国の中心地であった「躑躅ヶ崎館(武田氏館)」です。

どうぞ、お楽しみに!

いいなと思ったら応援しよう!