ヴィスコンティ「地獄に堕ちた勇者ども」のイングリッド・チューリン
私の脳は時々変な指令を出してきて、昨晩は病んだ頽廃的な映画を観なさいと言ってきた。なので素直に「地獄に堕ちた勇者ども」を久々に観た。
この有名な映画については、様々なことが既に言い尽くされているだろうから、ゾフィー役で私が大ファンのイングリッド・チューリンについての雑談などを。
その前に改めて観て、やはり「長いナイフの夜」のくだりが圧巻。突撃隊(SA)のホモジニアスな男性集団の乱痴気騒ぎを延々と描き出す。こういうのの映像化がヴィスコンティは本当にうまい。結局、ナチスによる凄惨な血の大粛清で終わる。
美男で逞しい男たちに女装させて乱交させるのは、実はヴィスコンティの性癖とも一致している。「ルートヴィヒ」の城での男色宴でもしつこくやっていた。
この集団の性癖だけに限らない悪しき同一性、ホモジニアス性は、そのまま突撃隊の本質的な体質の欠陥であり、ナチス自体にもそれは延長できる。ヴィスコンティによる痛烈なナチス批判になっているのだが、それを彼自身の性癖を用いてやっているのがなんとも皮肉だ。
ヘルムート・バーガーが二人の死を待つ、長い緊迫感あふれるシーン。そこで、バーガーのダンス相手などをする女優(名前を確認できず)が登場する。
その女は、グラスで酒を飲み干すと、やおらフロアにたたきつけて、バーガーのいる方をにらみつける。恐らく彼女は調達されて来ているのだろうが、バーガーの異常性、変質性に気づいていて嫌気がさしているのだろう。
バーガーとダンスした後も、彼に背を向けてカメラに不安そうな表情を見せる。バーガーの気味の悪いキャラクターを彼女を使って表現していて、芸が細かいなと今回気づいた。
さて、イングリッド・チューリン。ベルイマン映画を支えた名女優である。ヴィスコンティはドイツ人では適当なゾフィー役を見つけられず、ドイツ人にも見えるこのスウェーデン人女優を抜擢したのだという。その演技にもいたく満足、感心したそうである。
ヘルムート・バーガーが女装して歌いながら踊っている。スタンバーグの「嘆きの天使」のマレーネ・ディートリヒの真似である。それを母親役のイングリッド・チューリンが楽しそうに満足そうに袖から眺めているのが初登場シーン。
息子に変態行為をさせて嬉々とする母親。このシーン一発だけで、この母子関係がどれだけ異常なのかが分かる。恐らく息子を人ではなく、まるで人形のように思うがままに操り、本人の意思など一切無視して自分がやりたいことを強制して完全に支配下に置いてしまったのだろう。
その結果、バーガーが演じるマルティンのような、性質も性癖もなにもかもねじまがった畸形な人間ができあがってしまう。
チューリン演じるゾフィーの男性に対する完全な支配欲望は、夫のダーク・ボガード演じるフリードリヒにも向かう。この社会的には有能だがどこか頼りなく、本当の強さなど一切持ち合わせない男を支配し、たきつけて悪行の限りを仕向ける。
フリードリヒに第二の殺人をやらせようと意図する際には、チューリンはベッドにボガード横に裸体で横たわり、その悪魔的な肉体の魅力を見せつけながら、弱い男をなだめ籠絡して、恐ろしい殺人行為をも納得させてしまう。
男だけではなく、世界をも飲み込もうとする女性的な盲目の意志の化身なのである。
イングリッド・チューリンは、長身で女性にしては骨格もしっかりしている。そしてあの強烈で冷たい目力とそれこそ男の子をそのまま飲み込んでしまいそうな肉感的な唇。ゾフィー役への適合性が高すぎる。
ゾフィーが息子のマルティンにレイプされて気がふれた後も、ダーク・ボガードはチューリンに助けてくれとすがるように頼みこむ。その背後ではナースが指を唇に当ててシーッと仕種をしてチューリンへの注射を準備する。
いかに、バーガーが既に気がふれたチューリンにまで頼り、彼女なしでは何も出来ない無力な無能者なのかを残酷に表現する見事なシーンだった。
気がふれたチューリンとバーガーの結婚式では、チューリンは白化粧の死人のような顔である。もはやもぬけの殻だ。
だが、完全に無になってしまっているので、結婚式司祭の言葉にはほとんど無意識に応じるし、来客者にはやはり機械的な笑顔さえ見せる。
そこでのチューリンの演技力にはふるえるくらいだ。ベルイマンの例えば「冬の光」でもそうだったが、ただ女性的な魅力があるだけでなく、本物のプロフェッショナルな役者なのである。
もし、イングリッド・チューリンの代表作は何かと問われたら、ベルイマンではなくこの「地獄に堕ちた勇者ども」をあげたくなってしまうというものである。

