ジョナス・メカス 「ウォールデン」(1969)
ジョナス・メカスのルノワール「ゲームの規則」評
ルノワールの真実がわれわれの胸に伝わるのは、セリフ、シチュエーション、あるいは構成が、ひそかに、あるいは明らかに、象徴するものを通してではなく、人物の細部、性格描写、反応、関係、動き、それにその演出の方法を通してである。筋立てのないまま映画が進むにつれ、次第に第2次大戦前のフランス貴族の神経組織がそっくりわれわれの前に、見るからに病的に現れてくる。
名監督たちが様々な表現で「ゲームの規則」を讃美している中で、このメカスの評が一番しっくりきた。批評的知性の高さや洞察力の深さは明らかである。興味を持って「ウォールデン」を観てみた。
観始める。16ミリカメラを手持ちで撮影したとりとめのない映像が散乱し続ける。3時間の大作だ。こんな調子がずっと続くのか?
普通の映画に慣れきっている目は最初は驚いて抵抗する。だが、このフレーミングも厳格でなく、激しく揺れ動き、ピントもずれ、計算したモンタージュもない一見出鱈目にも見える裸の映像に段々慣れてきて魅せられ始める。
ストーリーも展開も何もないが、むしろ起承転結がある映画よりも3時間があっという間だった。今という時間しかないので、次にどういう展開があるかを一切期待しないからだろうか。
面白くて二週観た上でこれを書いている。
例えばリール2の冒頭のサーカスの部分。
サーカスの部分をわりと普通に捉えるかと思えば、はや回しや急速なカメラ移動、ピントずれなどで決して一定しない。めまぐるしいイメージの変化。多重露光(複数の映像を重ね写し込むこと)もこの部分では使用している。結果的にサーカス全体のイメージが鮮烈に浮かび上がる。
このメカスのサーカス映像を見た子供達がたいそう喜び、本物のサーカスを見にいったら、こんなのサーカスじゃないと泣きわめいたという。
むしろこのサーカスシーンはやや特殊で、細工していない普通の日常シーンにも独特のスタイルがある。
岬の灯台と海を超はや回しで時間経過させて一日の変化をイメージさせたり、列車内から見る日の出をきちんと映すのでなくイメージ的にのぞかせたりする。
人物の映し方もありきたりでない。映画監督のカール・ドライヤーに会って撮影した際にも断片的なイメージを重ねて、それでいてドライヤーの個性が明確に伝わってくる。
音の使い方も独特。DVD付属の解説書によると、冒頭の轟音は地下鉄の音響だという。それを自由な映像に重ねることで、独特な開いた感じがでている。
音楽も自由度高く選択しているのだが、不思議に映像にマッチしていてセンスの高さを感じる。
リール2の終わりからリール3にかけて、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのライブを使うのだが、演奏がよすぎる。曲名を私は分からないのだが。
ギンズバーグ、アンディ・ウォーホル、ジョン・レノン&ヨーコなど仲間の有名人たちも登場する。
ジョン・レノン&ヨーコの有名なベッドインの平和活動をメカス流儀で撮影した部分も。
メカス本人も登場して、食事したりする。品よく食べるというより、ガツガツとまでは言わないがパクパク食べていて気取りがない。実務的で。どうでもいいことだけど、なんとなく彼の性質を勝手に感じ取ってしまった。
結婚式のシーンがやたら多い。四組も出てくる。メカスが興味を持つのがなんだか不思議だ。確かに重要な人生の儀式だが、他の部分でメカスが言うところの常に物事が変化する象徴と考えていたのだろうか。結婚式の後に。
四組目は明滅するイメージで撮っている。三組目はメカスには珍しく上流階級の結婚式で、風刺的にウィーン古典派音楽の安っぽい演奏を使ったりしている。
メカスが映画中でいうセリフ。
皆さんにはこの映像をただ見つめてほしい。特に何も起きない。映像は流れ、そこには悲劇もドラマもサスペンスもない。単なるイメージ。私自身と、その他の少人数のためのもの。見る必要の無い人もいる。見なくたっていい。しかし見るべきだと思ったら、座って映像を見つめればいい。私が分かるのは、人生が続いていくように、映画も長くはそこに存在しないということだ。大洋の岸辺ののどかな小さな町も、やがてはなくなるだろう。朝の船もなくなるだろう。もしかしたら木も花も。全てなくならないとしても、今ほど多くはないかもしれない。これが『ウォールデン』。あなたが見ているもの。
通常のドラマ、物語展開のある映画を拒否してただのイメージだけだと。
また永続的に作品として残る映画という考え方にも疑義を呈している。
そもそも映画など特に必要ないとでもいいたげだ。
「ウォールデン」のタイトルはソローの小説名からとっている。そう言えばジョン・ケージもソローの「ウォールデン 森の生活」を愛していた。
メカスとケージは、それぞれ映画と音楽の自明性をラディカルに否定したのがちょっと似ている。独特な知性の高さと孤高なキャラクターも。
リール1で、いきなり十字架の聖ヨハネの長い引用をメカスが朗読して驚かされる。
十字架の聖ヨハネはキリスト教神秘主義者で、世俗の欲望を避けて自己をみつめることを説いている。引用内容もそういうものだ。
ケージも著書「小鳥たちのために」の中で、音楽のこと以外に、禅的思想についてまるで禅師のように熱心に語っていた。
メカスもケージも、映画作家や音楽家というよりは、ある種の知恵深き賢人のようなところがある。

