ロングブーツは審判の時を待つ 「話はそれからだ…」と中年男は言った シーズン4 その18
一人が終わるとまた次の奴、といった具合に真夜中の逢引は夜明け前まで続いた。
いや、待てよ。これは逢引と言えるのだろうか。どうにも元黒薔薇婦人の方が一方的に男を誘い出し、肉欲に耽っているようしか見えなかったのだ。
俺の知る黒薔薇婦人は誰にも媚びぬ、凛とした佇まいの女性である。
浮世離れし神々し過ぎて、とてもじゃないが性の対象になるような女性ではなかったのだがな。
そんな黒薔薇婦人がどうしてしまったのか。
それもこれも兄だとされる宮塚の性的虐待によるものなのか…
俺は結局のところ一睡も出来なかった。それは西松、榎本も同様のようだ。
一方の城本、堀込、パリスはよく寝たとでも言いたげな様子で起きた。
ふと例のトイレの方を見ると、その入り口には脱ぎ捨てられた片方のロングブーツが放置されている。
ロングブーツを片方履き忘れるほどのお楽しみだったのか…
その様子に侘しさを感じる。ロングブーツ、しかも片方というのが余計に侘しさを増す。
ロングブーツ…
そうだ。ロングブーツといえば、いつの日か神社へ行った時、ふと視界に入った絵馬にこんな願いがあったのだ。
[ロングブーツが似合う女性と結婚したい]
その後、そいつの願いは叶ったのだろうか…
そんな事はどうでもいい!
その後、食堂て朝食の準備をするからと、栗栖を始めとした学生らが数人やってきた。
「おい、栗栖」
俺は食事の準備を始めようとしていた栗栖を呼び止めた。
「何?シロタン」
「元黒薔薇婦人のことなんだかな…」
俺は声をひそめると、栗栖ははっと気付かされたような表情を浮かべた。
「気付いた?」
栗栖も声をひそめた。
「あれで気付かない奴などいるものか」
「そうだよね、よく眠れなかったでしょ?ごめんね。
でも、ここしか空いてないんだよ。
で、楽しめた?」
栗栖はどこか、俺たちの様子を探るような眼差しを送ってきた。
栗栖のその一言で俺の怒りに火が付く。
「その楽しめたというのは何だ?
聞かされただけで楽しめるとでも思っているのか?」
「ごめん、違うんだよ」
栗栖は掌を合わせる。
「シロタンか誰か、トイレに誘われた?って意味」
栗栖のその一言に返す言葉を失う。ふと周囲を見ると榎本、西松、堀込も同様に固まっている。
パリスはこれ以上無いぐらいに薄笑いを浮かべ、二号はこの話を聞いていないようだ。
「誰彼構わず、なのか?」
堀込は絞り出すにように言った。
「そこはよくわからないんだけどね、でも皆んなわりとやってるみたいなんだ。
でも僕は…、
まだ誘われてないんだ」
栗栖はこれ以上の悲劇は無いとでも言いたげな表情を浮かべた。
そうだった。栗栖はこういう奴なのだ。物事の殆どを下半身中心にしている奴、その部分は相変わらずだ。
「尻毛は知ってるのか?」
「多分知らないと思う」
俺からの問いかけに栗栖は目を潤ませて答えた。
「そんなこと有り得るのか」
「わからないけど」
栗栖は涙を拭う。
「これから仕事だからまたね。
でも皆んな、“まだ”みたいで安心したよ」
と言いつつ、栗栖は微笑むと立ち去った。
気丈さを演出しているかのような微笑みに溜息が出てきそうだ。
“まだみたいで安心した”だとはな…
童貞が同じ属性の奴を見て安心するのと一緒だ。釈然としない。
テーブルの上に並べられた朝食を見て、俺の心は沈み行く沈没船のようだ。昨日の晩が嘘だったかの如く、質素なものであった。
白米と焼き魚、漬物に味噌汁のみだ。焼き魚は鯖か…
「おい。なんだよ、これは」
その質素さに思わず溜息が出る。
「え?いいじゃない」
西松だ。
「鯖にはDHAやEPAが多く含ま」
西松の蘊蓄を遮る。
「そんなこと知った事じゃない。
肉は無いのか?肉は」
俺は周囲を見回す。
どこのテーブルも学生ら皆同じメニュー、しかもどれもクリームホワイトの塩化ビニール製か何かのトレーに乗せられ、まるで小学校の給食のようだ。
それは食堂の上座に位置する尻毛のテーブル上も同様であった。
それははいいとして、元黒薔薇婦人の姿が無い。朝までの乱痴気騒ぎのせいで朝起きられない、といったところか。
それはそうだろうよ。俺だって全く眠れなかったのだからな。
眠気に耐えながら俺は食べられる物にだけ箸を付け始めた。
食堂内の皆が食事を終えた辺りで、そのまま臨時の会議が開催されることを告げられた。
俺たちは部外者であることからして、食堂から出ていこうとしたのだが、尻毛による鶴の一声によって参加させられることとなる。
「俺たちは関係ないだろ、勘弁してよ〜」
西松が声をひそめつつボヤいた。
「そうだよな。こっちはお楽しみの巻き添え喰らって眠れなかったってのに」
俺も西松と同様に声をひそめると、テーブルに両肘をつき、右手を額に当てがい目元を隠す。
考えているようなポーズを取りつつ寝る。これは高校や大学の講義中によくやる体勢だ。
この体勢をとると、すぐさま意識が遠ざかっていく。このまま眠気に身を委ねるとしよう…
「まずはこの音声を聞いてほしい」
薄れた意識の中、ゴマシオ銀縁は会議の進行役の隣りに座っていた。奴は机の上のノートパソコンを触っている。
奴らは何をやっているんだ。
〈簡単な話だ。尻毛を殺せばいい〉
という音声が突如として俺の意識の中に割り込んできた。
この内容に覚えがあるのだが、それよりもこの声は二号のものである。
音声は食堂全体に響き渡り、即座にこの場は騒然となった。
上座に設置されたスピーカーから再生されたようである。
〈だとしたら西松。お前がやれよ。
お前が言い出したのだからな。
お前がやれ〉
続いて再生されたのは俺の声だ。
銀河万丈似の美声は間違いなく俺の声だが、どこか不自然だ。それは何故か。
それよりもだ、何で俺はこんなところで自分の声を聞かされているのか。
眠気で朦朧としていた意識が徐々に戻る。
盗聴だ。ここに盗聴器が仕掛けられていたのだ。
〈わかったよ…、俺がやるよ。
俺が尻毛をやるよ〉
これは西松の声だ。
この音声は昨晩、俺たちが寝る前に話していたことの録音だった。
西松の声も不自然な部分がある…
そうだ。これは編集されている。
俺は西松へお前がやれと言った時、決め台詞を言ったはずなのだが、それがカットされているし、西松は尻毛をやることに対し、直ぐには同意しなかったのだ。
「私は先日、ミヤツカ派への諜報活動の為に通販で盗聴器を購入しました。
昨日、夕食の直前にそれが届き、ここで開封しまして、不注意でここに忘れてしまったのですが、事もあろうにこのような音声が録音されていたのです」
騒然とする中、ゴマシオ銀縁は俺たちへ勝ち誇ったような表情をして見せた。
「不注意で忘れただと、嘘臭え…」
声をひそめたものの、怒りが口をついて出た。
あの野郎…、次は股間だけじゃ済まさねえからな…
殺気立った学生らは俺たちのテーブルを取り囲み始めていた。
「彼らは私たちが寝静まった後、ここでこのような密談を交わしていたのです!
この内容からして、彼らはミヤツカ派からの刺客か、公安警察のスパイに間違いありません!」
学生らが“やっぱり公安の犬か”だの、“近親相姦野郎の犬”だの、“豚野郎、角煮にされたいか”等、言いたい放題、今にも俺たちへ掴みかからんとする勢いだ。
それでも尻毛本人は学生らをなだめている。
ゴマシオ銀縁の勝ち誇ったような顔に腑が煮えくり返ってくる。
このまま、引き下がるわけにはいかぬ!
「おい、このゴマシオ銀縁!これはお前らの都合のいい様に編集しているものだ。こんなものは証拠にならない。
証拠にしたいのであれば、編集前のをだせ。
話はそれからだ…」
俺は流し目加減の眼差しをゴマシオ銀縁へ送る。
意外なことに、奴は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。
ゴマシオ銀縁は自分を指差し、“俺のこと?”とでも言いたげに、周りの奴らへ目配せしている。
そうだ。奴は俺がゴマシオ銀縁と命名したことを知らないのであろう。
「そうだ!ゴマシオ銀縁ってのは、そこの廃業力士みてぇなお前のことだ!
さらにだな、顔が変わったから気付いていないのだろうが、
俺だ。シロタンこと風間詩郎だ」
ここでゴマシオ銀縁は俺がシロタンであることを認識したようだ。
気付いたような表情を浮かべた後、その眼差しに怒りを感じた。
「ゴマシオ銀縁よ。俺がお前にしたことを覚えているか?
覚えているよな?俺はお前のチン…、じゃなくてペニスを銃撃した。
あれからお前のナニは再生出来たか?
再生出来たのなら見せてみるがいい。
話はそれからだ…」
ゴマシオ銀縁は無言で俺を睨んでいる。奴の顔色は紅潮していき、その瞳には激しく燃えたぎる炎を見た。
顔色と同じ真紅の炎だ。
「それを言うなっ!」
ゴマシオ銀縁は全身をわなわなとさせている。
「竿無しか、玉無しか、その両」
「黙れ、豚がーーっ!」
ゴマシオ銀縁が俺の言葉を遮り、その叫びを重ねてきた。
「それと私はゴマシオ銀縁ではない!ちゃんとした名前があるのだ!
私は反」
「お前の名前など、知ったことか!」
次は俺がゴマシオ銀縁の名乗りを途中で遮る。
