忘れていた過去。
トレードの記事ばかりではつまらないので、チャートを見ながらエントリータイミングを待つ間に、コーヒーでも飲みながら読むにはちょうど良い、意味の無い記事を書いておきます。
先日、滅多に行かない自宅から少し離れたスーパーに行きました。
そこで、見てはいけない、会ってはいけない人に会いました。
と言うより、そこのスーパーで働いているなんて知らなかった。
もう二度と行かない。行けない。
住む世界が違う人。
眼が合って、ハッとして、お互い一瞬若い頃の顔戻り笑顔になっても直ぐにおじさんの顔に戻って他人の振りをする。
その理由は、今でも違う世界で生きているから。足を洗っていないから。
昔の決まり事を守る理由はただそれだけ。
なのにこんな店で働くなんて反則だ。
笑顔で働くその顔の素顔を私は知っている。
その過去を知っている。
私は前職、公務員でした。公務員時代の笑い話を書いても良いのですが、
その話はまた今度。
国家公務員なんて柄では無いのに、諸事情で世間で一番安定していると思われている、THE 国家公務員を47歳からやっていました。
でも、知らない人は国家公務員なんて受かるのが難しいと思うかもしれませんが、面接だけで受かる方法が有るんです。
きっと学歴が良い?頭が良い?公務員試験に合格している?って思うかもしれませんね。
でも、実は私は県内ワースト2位の高卒です。
ちなみにワースト1位は調理師専門高等学校でした。
当然勉強なんてしたこと無いです。
昔の武勇伝をするおじさんって嫌われます。
私の場合、武勇伝が有りません。悲し。
武勇伝を作る前に、友人たちが進んで喧嘩を買いに行きます。
私に売られた喧嘩を、関係無いのに買いたくて奪い合いの喧嘩をする輩たちが沢山いました。3度の飯より喧嘩が好きな輩の群れです。
暇だからと言って、ゲームセンターに喧嘩しに行こうぜ!!って満面の笑みで言う馬鹿達。
ゲームセンターはゲームを楽しむ場所。
喧嘩目的でゲームセンターに行くのは間違ってる。
だから私には武勇伝はありません。
私に有るのはそんな輩に囲まれて過ごした、笑い話になるような経験談だけです。
同じ時代を生きた人には分かる人もいると思います。
昭和の後半、底辺のレベルの若者達が集まった世界を少しお話します。
高校までは片道自転車と電車を乗り継ぎ、さらにまた自転車に乗る。片道2時間の道のりを3年間通いました。
正確には、1年の終わりごろから、高校近くのマンションに一人暮らしをしている友人宅(事務所)にたむろして、ほぼ友人宅から出勤(登校)していました。
たまに自宅に帰ると、おふくろから「家が分からなくなって迷子になったか、野垂れ死にしてるかとおもった。」とよく言われました。野良犬のような扱いです。
でも、毎月銀行振り込みで20万のお小遣いと、もしもの時の金色カードは支給してくれていたので、過保護な親です。親に感謝です。
私は昭和49年生まれです。私のような子供の多い昭和世代の馬鹿が通う高校と言うのは、基本的に昭和のヤンキーか本当の馬鹿か、医者や金持ちのバカ息子がお金を積んで入学するような私立の高校です。
今でも覚えている事で、馬鹿な高校だと最初に感じた出来事があります。
それは寒さが厳しい日でした。入学試験当日の事です。
笑い話として盛っていません。事実です。
盛る必要が無い通常で狂っている高校です。素で書きます。
入試会場は高校の教室でした。
私立だったので、沖縄から北海道まで全国から選りすぐりの馬鹿が集まっていました。
1学年900人で全校2700人の大きめの高校でした。
今は少子化対策で、進学校を目指し少数精鋭(精鋭とはお金持ちの子供)に絞っているらしい。
入学試験の当日のこと。
先ずは、私の左隣の席の奴は、バッチリ決まったとんがりリーゼントを決め込んでいました。
前の席の奴はスキンヘッドで、眉毛も剃って青光りしていました。この二人は入学式に居なかったので、この時点で脱落です。
後ろの席の奴は、おやじ顔のリーゼントで、剃りこみが青かったです。
私の試験の会場となった教室の中で、一番ヤバイと思われる奴が私の右隣りに座っている奴。
何故か最初から私の方を向いて睨んでいました。
とりあえず、黒板の有る前を向いて座ることが出来ないヤバイ奴。
その男は、奇麗なリーゼントで、剃りこみも良い感じの入り方でした。
眉毛も全剃りでは無く細く短く、極単の胸のポケットにはセッタ(セブンスター)が顔を出していました。
入試試験にタバコを持ってくる輩です。午後から面接があるのに。
ある意味、強いヤル気を感じます。
ヤバイ奴は、何よりスタイルが良く、瘦せ立ちでタッパ(身長)が高く、面長の顔つきで、見た目は中3には見えません。ジョジョの様な見た目です。
学ランはショートカラーの極短&ボンタンで、白の細いエナメルのベルトがアクセントで、白の尖ったエナメルの革靴を履いていました。
お洒落ですね。時代は巡るといいますが、白のエナメルがまた流行る時代は来るのでしょうか。
チンピラ又は、輩と言う言葉がピッタリの中学生です。
そんな奴が入学試験当日に、黒板に向かって座らずに、大きく股を開き私に向かって座っているのです。
当然、喧嘩を売られる感じがヒシヒシと伝わってきます。
入学試験で喧嘩をするほど私も馬鹿では無いので、何か用か尋ねました。
その答えは、このクラスの中でお前が一番イイ面構えでヤバイ目つきをしてるから、本職だろ!(本職とは構成員)どこの組か教えてくれ!って言うのです。
馬鹿ですよねー。当然私は普通の中学3年生です。
確かに髪は太めの遠赤外線カールアイパーで、ワインレッドでした。
アイパーを知らない世代の方へ。
アイパーとは、パンチパーマの事です。熱く熱した細いコテで大仏様の髪の様にクリクリパーマにするんです。
でも、私は遠赤外線カールアイパーなので、ゆるフワパーマです。
当時、カールアイパーでリーゼントの形にしていた私は珍しい髪形でした。
リーゼントの中でもお金を掛けたリーゼントです。
髪を洗って手櫛を通すだけで、リーゼントになるんです。
ドライヤーなんて使いません。寝る時もリーゼントのままです。
遠赤外線で髪に優しいらしいですが、嘘です。髪は痛みます。焦げます。
私は決して大仏様にはなっていません。
今思うと恥ずかしいですね。馬鹿ですよねー。
でも、ワインレッドには理由が有って、私の祖母は女学校なので10代の頃から長い髪の白髪でした。黒髪は1本も無かったそうです。
遺伝で、一族皆幼少期より白髪が多いんです。
私も小学生の頃には半分くらい白髪だったので、小学生の頃から黒に染めていました。
昔の白髪染って数日で色が落ちちゃうんです。
しかも赤く落ちるんです。染まりぐわいによってはワインレッドになるんです。
特にパーマをかけると色がよく落ちます。
この歳になると、ほぼ白髪なので、公務員時代は短髪で耳に髪が掛からない決まりで、染める必要も無く白髪のままで楽でした。
そうそう、話の続きですが、
ヤバイ奴に組を聞かれ、私は〇〇中学3年1組ぐらいしか答えられません。
そこで、組なんて入ってないよ。って答えたんです。
そしたら、ヤバイ奴は「自分夜走(やしゃ)の特攻隊長してるけど、お前はどこの族なん?」って再度馬鹿な質問をしてきました。
当然、族でもない事を伝えました。
そしたらそいつが、一匹狼なら相当やってきただろ。何人刺した?ってまた馬鹿な質問をしてきたので、相当頭いかれてると思い、無視して筆記用具の準備を始めました。
こいつ絶対に入学試験の面接で落とされると確信して、関わらないように決め込みました。
後に、このヤバイ右隣りの奴は、親友の石田君となりました。
早々に試験が始まり、最初は数学の問題でした。
私立なので、公立高校とは問題が異なります。
今でもハッキリ覚えている数学の問題です。
数学の試験問題を開いて、最初に書いてある問題が、
「1+1=?」
?を答えろと言う問題です。
いきなり躓きました。焦りました。
高校の入試です。答えが2の訳が有りません。
明らかに引っかけ問題です。とんちです。
とりあえず、名前と受験番号を落ち着いて書く事にしました。
しばらく考えました。色々な計算式を考えました。
県下ワースト2位(ドベ2)と言えども高校の入学試験です。
私は確かに勉強は嫌いです。宿題もやった事がないです。
夏休みの課題もやった事がないです。でも期末テストで合計350点は取ってました。IQだけはかなり高いです。後の知能検査で全校2700人中IQは2番でした。私の上の1位の奴IQ175で2つ後ろの席の自律神経がおかしなやつで、ちょっとお奇知で悪知恵だけはズバ抜けた奴でした。
世間で馬鹿と言われる人の中には、サヴァンと言う人々いますが、馬鹿が集まると普通よりも多く混ざってきます。(注意:サヴァンは馬鹿では無いです。好きでなったわけでは無いです。差別反対です。私もサヴァンの端くれです。)
2700人も馬鹿が集まる高校では、サヴァンが含まれる確率も高くなります。お勉強ができなくても、秀でた何かを持った素晴らしい人達です。
私は文系がもの凄く苦手です。
言語系の単語や漢字、人の名前なんかも寝ると忘れるんです。
そのせいで、文章を書くのも下手で、誤字脱字も多いです。
でも、理数系のテストは全く勉強してないのにほぼ90点~100点です。
中学の担任からはカンニングを常に疑われていました。
覚えていますか野原先生。私は今も覚えています。
あっ!もうお亡くなりになってるかもしれませんね。ごめんなさい。
親から聞いた話では、4歳の頃にはスーパーで割引価格を暗算で答えていたらしいです。
亡くなった叔母は、億単位のそろばんの計算問題を、そろばんを使わなくても一瞬見ただけで答えが頭に浮かぶ人でした。
祖父が凄く頭のいい人だったらしく、大本営の〇〇部隊の大将でした。
近所のお年寄りには、大将の孫と言われて育ちました。
親兄弟が多いので従妹も20人以上います。父方の従妹も加えると50人オーバーで合った事がない親戚や従妹も居ます。
でも、母方の家系は大手企業の社長や地元の有力者や社長が多いです。
私の結婚式の祝電で〇〇運輸〇〇社長と言う知らない祝電を頂いて、親に聞いたら、私の従妹だと知りました。私も知らない従妹が多いです。
笑い話で、叔父が刑務官をしていたのですが、ある日道路標識を盗んでコレクションしていた甥がいまして、程なく捕まり刑務所に入ることになったのですが、その事を知らない叔父は、檻の中で正座していた甥に驚き、他人の振りをしながらだいぶ説教したらしいです。
両極端な一族なのかもしれません。
有名大学卒とバカ高校や中卒の従妹の2つに分かれます。
中間レベルが居ない感じで、頭が良いか馬鹿か。その2択に不思議と別れます。もちろん私たち兄弟は馬鹿な部類に属します。
一族の遺伝なのかもしれませんが、たまに考えてもいない訳の分からない答えだけがパッと頭に浮かびます。
何年か前に見た問題の答えとか。いきなりパッと頭に浮かびます。
自分でも何の答えなのか分からないので、答えが分からず悩むのではなく、問題が分からず悩みます。答えが分かっても問題をまた考えだすんです。
でも自分では考えている意識は無いんです。問題すら覚えていないのに答えだけが分かるのは本当にめんどくさいです。
これ分かってくれる人います?
私の手法のロジックもトイレでパッと思いつきました。知っている知識だけでどうしたら勝てるのか、無意識の間も考えていたのだと思います。
記憶の宮殿って知っている人は分かってもらえるかもしれませんが、
部屋が散らかっていても、どこに何があるのか、的確に覚えている人に多い記憶の方法なのですが、大きな宮殿の沢山ある部屋の中のどの引き出しに何が入っているのか覚える感じの記憶の方法です。
無意識にこの方法で、頭の中に記憶している人はIQの高い人に多いのですが、私もどうやって自分が物事を記憶しているのか考えると、辞書の様に関連する項目順やキッチリ整理され、関連付けられた状態で記憶していなくて、散らかった部屋の山済みになった本の何番目に何があるのか覚えている感じで記憶しています。多分記憶の宮殿方式です。でも文系の記憶の宮殿を探しているんですがが見つからないんです。
その方法が良い訳では無いですが、意識して変えられるものでも無いので、それが何か意味の有ることではなく、ただ記憶の宮殿と言う無駄知識です。
多くの馬鹿の中には天才と紙一重の奴らが居ます。本当の天才と言われる人と実は大して差が無いのに、紙一重で馬鹿の部類に入る人達。私の知っている頭のいい奴の事はまた別で記事にします。気が向いたらですが。
話は脱線しましたが、
中学時代の内心点が悪すぎて、普通レベルの公立高校を受けさせてもらえませんでした。そりゃ毎日担任から馬鹿扱いされ、勉強してないのに、理数系のテストの点数だけは良いので、カンニング扱いで成績は常に評価1です。そんな扱いをされればぐれますよ。そりゃ反抗的な態度もしますよ。
お前に良い点付けても無駄だから、他の生徒にイイ点付けて良い高校に入れるようにした方がマシ!って本人に言い放つような担任ですよ。元気な15歳にその物言いでは、そりゃ殴りたくもなりますよ。昭和だから許される暴言じゃないですよ野原先生。分かってますかね。(暴力反対!)
そんなこんなで内心点は酷いもんです。全教科ほぼ1と2です。
テストで100点取っても成績は評価1なんですよね。
評価1のカードを切った担任には、もう手持ちの切り札が無い状態です。
評価1を貰った私は怖いものが無くなることを、担任は理解していなかった。楽しい中学生活でした。
お互い馬鹿ではなくアホなのかも知れません。
話は入試の数学に戻りますが、
平均150点~180点又は札束で合格する高校の、数学の1問目が解けない事に、自分でも衝撃を受けました。
30分ほど悩みました。色々な方程式を書きましたが全く答えが思いつかず、右隣りのヤバイ奴を何気なく見たら、1問目の答えがチラッと見えました。
見ようとしたわけでは無いです。あっ嘘です。
そこには、答え”2”とデカデカと書いてありました。
私がマジで⁉って言うと、ヤバイ奴がお前馬鹿だな!って笑ってきました。
足し算分からんなんて俺より馬鹿じゃん!ってヤバイ奴が言うんです。
えっ?何?足し算?そんな訳ないじゃん!って言いながら、試験問題をペラペラめくってみたんです。
そこで、ハッ!としました。
最後の問題が10÷10=なんです。
これは、1~10までの数字を使った足し算・引き算・掛け算・割り算の問題しかないのです。
そうです。小学生低学年の問題です。1+1=2なんです。
残り15分で気が付いて良かったです。
小学生の算数の問題にガチで悩んで手こずりましたが、何とか間に合いました。
数分で答えを書き終え、何とか間に合ったことに安堵していると、
後ろの席の、おっさん顔のリーゼントが、背中を突いてきて「━に点々って何?」って聞いてきました。
この数学(算数)の問題で、人に聞く事なんて有る?って思いながら、振り向いたら、そいつの示す指先には、割り算が書いてありました。
4÷2=? で何?それが何?どうした?こっちはお前が何が分からないのかが分からない!
横棒に点々ってまさか、割り算(÷)を知らない?どうやって15歳になった?
当時の私にとって、割り算を知らないと言う15歳を知らなかった。
未知との遭遇です。いや、無知との遭遇です。
後に、掛け算が分からない元気一杯の馬鹿も知ることとなった。
おやじ顔のリーゼントに俺いじられてる?って思ってしまいます。
当時、私はふざけた性格だったので、4÷2=1だよ!って答えたら、笑顔でじゃその次は?って聞いてきたので、適当な数字を言っていたら、右隣のヤバイ奴が爆笑していました。
後ろの席のおやじ顔のリーゼントは、入試に落ちたと思っていましたが、
入学式当日に私の後ろに座っていました。それが佐々木君です。
割り算できない奴でも受かる高校です。流石超有名私立〇〇高校です。
翌年電車の中で昼間っから酔っぱらいの自称東大卒!と言う小汚いおっさんに、オイ!〇〇高校の馬鹿ども!1+1がお前ら分かるか?
2じゃないぞ!3なんだぞ!って言うおやじに絡まれたことも思い出しますが。。。3の理由を聞いておけば良かったです。今も気になります。
私の小さな脳みそのどこかで、おっさんの発した1+1=3の一言を無意識で30年以上考え続けている細胞君がいるのかもしれません。怖い怖い。
今は〇〇〇〇〇会社の課長をしている高校時代の友人は、当時3分の1=1だと言い張っていました。言っている本人が馬鹿だと知っているので、それは気にしていません。多分本人は今でも理解していません。ただの馬鹿です。
馬鹿でも真面目に働けば、課長になれると言う見本です。
また脱線したので本線に戻します。
続いて、国語の試験の前の休憩時間に、ヤバイ奴が「お前ヤバいだけあって馬鹿だな!」って、ヤバイ奴にヤバイ奴扱いされて、小バカにされました。
実は国語の試験は私は苦手です。
長くなるので、その話はまた別で記事にします。ってさっき私書きましたよね?
国語の入試問題も、今でもハッキリ覚えています。
1問目、
タを耕す。
カタカナの部分を漢字にしろ馬鹿ども! と言う問題です。
えっ?耕すの読み方を答えるのじゃないの?
逆に漢字で書くなら耕すを答える問題にするべきでは?
タ? た? 田? 田以外に何かあるの? 引っかけ問題?
数学の問題と同じで、低レベルなだけなの?
焦ります。悩みます。でも、問題をペラペラ捲ると最後は、早くハシる。と言う問題です。
ハシるは、すなわち走るです。他には無いはずです。
1問目の答えは”田”です。間違いないです。
試験開始から10分も掛からず回答が終わり、余裕でヤバイ奴を見たらほぼ答えを書き終えていました。
ヤバイ奴は小学校低学年の知識は有るようです。
でも、試験中に火を着けていないとは言え、咥えタバコで試験を受けるのはどうかと思います。
今の若者は知らないと思いますが、昭和の時代はどこでも煙草を吸えました。
一様、一般的な高校では喫煙は謹慎処分になってました。
私の通う高校は、たばこぐらいは何も言われません。
教師にタバコの火を借りるほどの仲です。
でも、私の高校でも喫煙は良くても薬物だけは即謹慎処分でした。
タバコを叩いて空いた先端に葉っぱを詰めるタイプは謹慎でしたが、
入れるタイプ(お注射)は即退学で警察に通報されてました。
ちゃんと守るべきラインは有るんです。
駅のホームや電車の中も。飛行機の中も。病院の中も。煙草を吸う。
子供を抱きかかえたおばちゃんが咥えタバコなんて当たり前の時代です。
私が産まれたときに、祖父が煙管(きせる)を吸いながらが私を抱きかかえている写真が残っています。
でも、その時におしっこをして着物が汚れたことにイラッてした元軍人の祖父は、生後間もない私の頭を叩いたそうで、それを見ていたおふくろは、息子を抱いた自分の父親の頭を殴ったそうです。
今のご時世、タバコの煙がどうのこうの言いますが、生後間もなく煙管で煙草を吸う人達が居るそんな環境で生きてきた我々世代は今も元気に生きています。
副流煙が!って言う人。私は間違ってないかもしれませんが、長寿と言われる世代の日本人は副流煙を空気のように吸ってきたのに長生きしているんです。何事も人間少々汚れた方が抗体が付くと思うのですがね。
今の時代のキレイキレイだけの過保護な状態で将来大丈夫なんでしょうか。
今の世の中、少し愛煙家に対して厳し過ぎると思います。
そうそう忘れてました、3科目目に戻ります。
入学試験の科目は全3科目です。
数学(算数)・国語の後は英語でした。
英語の試験が始まる前の休憩時間、英語の前にヤバイ奴は3階の教室の窓際で一服してました。(-。-)y-゜゜゜
何人か同じ中学の知り合いも試験を受けていたみたいで、ヤバイ奴の集まりでした。集会でも開く勢いでした。
当時、私もまだ常識が多少はあったので、15歳の喫煙は違法だとしっていましたし、私も15歳の頃に、父から新聞紙で手巻きタバコの作り方を教わり、カラーの新聞紙で巻くと甘い味になるとか無駄な雑学を英才教育され、愛煙家として生きてきました。
でも、試験官(高校の教員)が試験問題を持って教室に来た時に、その試験官のおっちゃんが、煙草はしっかり消してからバケツに入れるように注意したんです。
今思えば、注意するならそこじゃないですよね。
火の用心は大切ですが、喫煙に対して教師は無反応でした。
と言うより、天井にびっしりとガムが投げつけて有る教室の後ろに、灰皿用の鉄のバケツが置いてあることに、当時の私は疑問を抱くべきでした。
入学してから驚いたのは、毎日お昼前になると各クラス出前がたくさん届きます。
寿司屋・うなぎ屋・中華・ピザ屋等々、パチンコや競馬で稼いだ奴や、若頭衆がご馳走してくれてました。
午後の廊下は空になったすし桶やお重が毎日並ぶような高校は今はもう無いですよね。あったとしても今時はウーバーですよね。
冬は教室のストーブのやかんにワンカップを入れて、スルメを炙り昼から酒盛りが日課の高校です。
最後の英語の試験もしっかり覚えています。
英語は全く分かりません。単語を覚えられない私にとっては無理難題です。
なので、半分諦めてました。
問題がA4の1枚だけで、そこには短い文章で、アルファベットのA~Zまで大文字で書け!って書いてあるだけでした。その1問に全力投球です。
小文字でも無く、筆記体でも無く、大文字で書くだけです。
流石に3科目目にもなれば、低レベルの入試問題を疑う事無く回答しました。
流石です。もちろん100点です。
これ書けない奴馬鹿だと思いましたが、ヤバイ奴がA・B・C・D・・・ってアルファベットの歌を口ずさみながら答えを書いているんです。
それを聞いた周りの馬鹿共が同じようにつぶやいて書いているんです。
でも、どいつもこいつも、間違ったアルファベットの歌を呟いているんです。おいっ!「O・P・Q」が抜けてるよ~って助け合いの精神です。
この話は盛ってるわけでは無いです。
事実を書いています。
どちらかと言うと、もっと書けない事が日々有るような高校なので、これでもまだマシな話ばかりです。
本当にこんな世界が有ったんです。
私なんて大人しい方です。気合が入った馬鹿の集まった入学試験です。
全国から集まったエリートクラスのバカばっかりです。
クスクス笑いながら私は適当なアルファベットを口ずさんで、馬鹿をからかい、人生初の試験は終わりました。
その後は一人ずつの面接で、楽しい入学試験でした。
面接後に歩いていると、右隣りのヤバイ奴が釘バットをマフラー上にセットした朱色のゼファーで、スカジャン&ノーヘルで手を振りながら通っていきました。
冬空に朱色のバイクに白のエナメルが光ってました。
無免許で盗んだゼファーに、愛用の釘バットを装着したバイクで、雨の日もノーヘル通学するヤバイ奴の石田君や、無免許なのにBMWを運転して毎朝グランドの真ん中に駐車する〇〇君(ちょっと違う世界の人なのでピーーです)
〇〇組の若頭は毎日高級外車で護衛付きの送迎だったり。
今は個人情報保護でありえないですが、当時は全校生徒の住所や誕生日・電話番号・親の職業まで書かれた電話帳のような本が、頼んでも無いのに毎年貰えました。
その中の、親の職業欄は、半分以上が自由業と書かれていました。
自由業とはヤ〇ザ屋さん、もしくは父が大人の学校に入っている家庭です。
高校側も上手い事書きますよね。
入学式の校長(社長)の一言は今も覚えています。
ちなみに私立高校は会社と同じ役職名です。教頭は副社長。学年主任は課長です。営利団体なので教員免許を持っているだけの普通の会社員ですね。
公立高校の教員に採用されなかった、公務員の夢に破れたヤバ目の人が集う場所が私立です。私立への偏見だと分かってます。でも事実です。
入学式の社長の第一声。
「お前らは社会のゴミだ!カスだ!
この高校に入学した時点で、頭では世間に負けた負け犬だ!
頭で負けたなら、体で勝て!
売られた喧嘩は必ず勝て!
それもできない奴はこの学校から去れ!
以上!」
私の人生の中の名言の一つです。
嘘だと思うでしょ。でも本当に入学祝の社長の挨拶です。
今だと大問題ですよ。でも昭和の時代は本気でこんな学校があったんです。
この校長にしてこの高校有り。
ある意味正しいストレートな有難いお言葉。
喧嘩と言いつつ本当は、誰よりも体を使って汗水流せと言う意味だと思うんです。
多分。でもあの社長なら本気で喧嘩を意味していたのかもしれませんが。
入学式も終わり、各々の教室に強者共が散らばって廊下を歩いている時に、
私のすぐ近くで喧嘩が始まりました。
馬鹿が集まるとすぐに喧嘩が始まります。頭のいい奴は意味の無い喧嘩なんてしません。
野次馬根性で見ていると、ゴリラみたいな男が二人、オデコをくっ付けて睨みながら怒鳴っています。
ゴリラA『髪型パクりやがって!タヒすぞーー!』
ごりらB『貴様の方が真似しやがって!タヒすぞー!』
で、ヘアスタイルで2匹のゴリラは、おでこをくっ付けてにらみ合っているんです。
でも面白いのはその髪型。
ゴリラA=モヒカン。(毛足の短いデッキブラシのような奇麗なモヒカン)
ゴリラB=逆モヒカン。(角刈りでモヒカンの逆で髪が剃られている)
モヒカンVs逆モヒカン
髪型真似したと因縁をつけての喧嘩です。
正直、どうでもいい話です。真逆の髪型です。
頭可笑しいにも程がある。本当に馬鹿対馬鹿の争い。
30秒ほどにらみ合いが続き、殴り合いのスタートです。
両ゴリラが鼻血を出しても殴り合いを辞めません。
どちらかが倒れるまで続きます。
ゴリラのタイマンは2分ほど続きました。
2匹がフラフラになりながら、お互いの学ランを掴み合い何とか立つ事ができている状態になったころにボスゴリラの登場です。
ボスゴリラは、元重量級の脳筋柔道馬鹿の体育科の教員資格をまぐれで貰った教師です。(後に、趣味が一人で転がりながら受け身を取ること、だと判明。あだ名:受け身おなぬ)
フラフラになって、鼻血を出した2匹のゴリラを、背負い投げで交互に廊下に叩きつけて、『お前ら退学処分だから今すぐ帰れ!』と怒鳴りつけて、
2匹のモヒカン・逆モヒカンは入学日に退学になりました。
自分の教室に辿り着くことも無く、入学金を払っただけの馬鹿。
50代になったゴリラ達は人間に進化できたのでしょうか。気になります。
いい加減、話を盛ってると思うでしょ?
私がこの話を聞いたら嘘だと思います。馬鹿にも程が有りますから。
でも、全て本当の話なんです。こんな馬鹿話は作って話せるものでは無いです。
公立中学を卒業した普通の15歳少年だった私にとって、高校初日は驚きの連続でした。事実だから30年以上前でも覚えているんです。
もっと面白い話もあるのですが、流石にこれ以上馬鹿の群れについて話すと嘘つきだと思われかねないので、辞めておきます。
生徒が生徒なら教師も酷いものです。
毎回一升瓶と湯呑しか持ってこないアル中の赤ら顔の算数の爺さん。
女子生徒に値段を聞いて一覧表を作って毎月廊下に掲示している変態眼鏡。
生徒を往復ビンタで教室の端から端まで殴り倒す体罰おやじとか。
会議で漢字が読めずにクビになる新入社員。
大雨警報が出て生徒と一緒に午前で帰宅してホテルにしけ込みクビになったおばちゃん。
廊下で正座をさせられて泣きながら課長に芝かれている新入社員。
授業を抜け出し食堂のラーメンを毎日食べていた主任。
毎日生徒から煙草をカツアゲするおっさん。
卒業後にパチ屋で合った私から煙草をカツアゲするの辞めて欲しかった。
あの時代、ヤバイ教師が沢山いた。
体育科の女子は角刈りで、全国空手大会の入賞者が揃っていたので、女子なのに舐めてかかると回し蹴りを食らいます。秒で気絶させられます。
角刈りをからかうと下段上段回し蹴りの2発食らいます。
暴走族の3番隊の隊長レベルでは歯が立ちません。気が付いた時には倒れている。
そんなヤバイ奴が沢山いるテーマパークのような高校でした。
もちろん、全国からその世界の人たちが集まってきていたので、対立している組の若頭同士が同じ教室だったり、舎弟も一緒に入学して鞄や靴の準備をしていたり、夏休み中に全国指名手配になって強制退学した奴とか、体育の水泳時間はプールサイドに和彫りのイカツイ奴らが並ぶヤンキー映画の世界のような高校を卒業したのが今の私です。
そう考えると、脇道に逸れる事無く、この歳まで真っ当に生きてきました。
もちろん前科もありません。墨も無いですし指も揃っています。
右隣りのヤバイ奴だった石田君も、割り算を知らなかったおやじ顔の佐々木君も、予想に反して入学試験に合格して、卒業まで3年間同じクラスで楽しい高校生活でした。
〇〇高校と言うだけで警察に連れていかれて取調室で正座をさせられ、スリッパで刑事に叩かれ指紋を取られたり、何でも有りで毎日が楽しい良い時代でした。
時計が読めず、デジタルの腕時計をしていた〇〇君も、ダッチワ〇フを持ち込んで席に座らせていた〇〇君も、東西南北が分からず、いつもあっちこっちと言っていた〇〇君も今では立派なおっさんになりました。
33年ぶりに会った同級生のお陰で、馬鹿をしていた良き時代の記憶が蘇ってきました。
今の時代の高校生では経験できない事が毎日経験できたのが昭和の世代です。今は即逮捕されます。昼休みに教師の車を盗んで河原で燃やすなんて、今の時代はニュースになります。
でも今の時代の高校生にはネットやSNSがあるので、また違う楽しい高校生生活が有るのだと思います。
青春ってやつなんですかね。
その時代にしか経験できない事が沢山あるので、今の時間をできるだけ楽しんで生きていけるように頑張っていけたら良いと思います。
でももう二度とそのスーパーには買い物に行きません。
異世界の同級生には二度と会うつもりは無いです。
良かった。無事にこの歳まで生きてきたんだなって思うだけです。
世界が違う友達には、卒業後はお互いすれ違っても他人の振り。
例え昔々の友人でも、気安く話しかければどこで舎弟が見ているか分からない。一般人が気安く兄貴に話しかける事を弟分は良しとしない。
年月が経ち友人が悪い奴になっているかもしれない。
だから違う世界に住む者同士、気安く話しかけるのはご法度。
目が合っても話しかけない。自分のため相手のため。お互いのために。
あの時代を経験した私達は世界を分けるラインは越えない。
その約束を今も皆守って生きている。
この先もわざわざ会いに行くことはしない。
