能登路の旅 最終章 七尾駅〜七尾市総合体育館(5月11日回顧録) ―完結―
最後にどうしても行きたい場所があった
この旅の完結は七尾市総合体育館
去年に七尾市の一本杉通りと能登食彩市場を訪れ1時間も
滞在していなかった
府民の会(夢洲でカジノを止める)で内灘、七尾への視察となった時にレンタカーで「運転手」を買って出た

内灘には私の仕事でお世話になった方がリタイアし
その方の自宅がある町

七尾市は私が高校生の時にバスケのインターハイが開催された街であった為だ

七尾駅のロータリーから左へ線路沿いを走り小丸山公園下を左折県道1号線(七尾輪島線)を右手に丘の様な場所に木々が小丸山城址公園を見ながら小丸山交差点を更に左折県道2号線(七尾羽咋線)に入り御祓川を渡ると直ぐに
目的地の七尾市総合体育館があった

体育館の道の脇に車を停め入口付近に立ってみた
「ここだった気がする」
和倉温泉駅から加賀屋に荷物を置いたのか?
送迎バスで体育館に向ったのか覚えていない
入場行進がこの場所でした事は覚えている
しかし「この体育館だったはず」と

外壁の窓ガラスは確かに覚えている
しかしあれから40年も経ち「建て替えたのだろうか?」
少し市街地から丘だいの上にあったのは間違いない
滞在は帰りの事もあって僅か数分であった
写真でもお分かりの様に空は曇天模様
今にも降り出しそうであった
大阪に帰ってから、後に七尾市役所さんに電話をし被害状況や仮設住宅の事も、その序でに体育館の事を聞かせて貰った
やはり総合体育館は昭和60年3月に完成
今もこのまま存続
当時、行われた開催は間違いないです
との回答を頂いた
私が当時行った時体育館の床がピカピカだった事と新しい建物の匂いが今も覚えていたのは確かだったんだ

5月であった為にツヅジも綺麗に咲いていた
関西とは違うのか?キリシマツツジが多いらしい
青春の一コマを思い出し震災の事はすっかりと忘れてしまっていた
車を動かし帰路に向かおうと体育館沿いに走らせて左折した所にいくつもの仮設住宅らしき物を見た
敷地には車もたくさん駐車している
私は車を再び停め辺りを見る
仮設住宅に居る人同士の会話と思われる光景を
旅の終わりに「震災からの傷」はまだ終わっていない
※市役所のお話
今も(9月現在)数百の仮設住宅があり住宅を建てられない方々が住まれています
色々と諸事情がありまして…と
(総括編みないなので伝えられたら)
内灘からあちらこちら周り
帰る最後に私自身、能登路の旅で初めて仮設住宅を見て
今だに傷が癒えていない方々がいると今から大阪に戻る私には帰る家がある
直線距離にして400kmしか離れていない大阪に
震災や他の災害で被害に合われている方々がいるのに
普通に何気なく過ごしてしまっている私は申し訳がなく
昨年5月から震災の状況、現地の人の声を聞き
自分の脳裏に焼き付けて来た
今回は自分が日々出来ている
「当たり前」ではなく
「有る事が難しい」=「有り難み」を実感する為
震災の被害状況や現地の回復を願い
それと各場所を訪れ実際に見聞きし私個人の小さいながらの発信を続けて来ました
もう少し、あと1日は滞在したかったのですが
私も仕事上で時間もなく
体育館を後にし「想い出の地」を去る事にした
まさに「後ろ髪を引かれる」想い
出ると直ぐに国道249号に合流
七尾田鶴浜バイパスを経由し
能登自動車道へ
3日間、雨の予報が滞在期間に少なく(金沢での宿で雨は降ったが)のと里山海道に合流する徳田大津JCT付近で小雨が降ってきた
のと里山海道の最終、内灘にある
道の駅内灘サンセットパークで石川を惜しむかの様に
休憩
時間は18時半すぎ
「また来るから」
そう心で呟き後にした


下道を走り北陸道白山ICから乗る頃には
雨も強くなり視界が悪くなった
福井や滋賀までの道のりは覚えているが
到着した大阪の天気は覚えていない
能登のイメージが強過ぎて生活感に戻ると記憶されないのだろう
あれから4ヶ月の歳月が流れた
今も訪れた場所は印象に残っている
出会った方々、それと分からない点をまた後で聞き直して答えていただいた方々本当に有り難うございました
全ての関係者の方々ありがとうございました
私自身にとっても本当に貴重な体験をさせていただいた3日間でありました
もし、ここまでお読み続けていただいた方がおられましたら心から感謝申し上げます
本当にありがとうございました
石川、能登路の旅
―完―
