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戦争論:昭和の軍部はなぜ暴走したのか?〜茂木誠・講説


Japan's Descent into War: A Soviet Perspective

この動画では、昭和時代の日本の軍部がどのようにして「暴走」したのかについて、ソビエト連邦との関連性を中心に説明している。特に、世界恐慌時の経済状況とそれに対する不満が、若者やエリート層を社会主義的な思想へと惹きつけたロシア革命後のソ連が世界革命を目指し、世界中に共産党を組織したこと、そして日本にも共産主義者が政府や軍の中枢に潜入したことが指摘されている。また、北一輝の思想昭和維新の動きが若者の共感を呼び、満州事変へとつながったと解説されている。さらに、軍内部の統制派と皇道派という二つの派閥が、それぞれソ連に対する姿勢や社会主義の実現方法において対立し、二・二六事件が発生した背景が語られている。最終的に、統制派が勝利したことで日本は南進政策へと向かい、ソ連のスパイであるゾルゲ機関近衛内閣の情報をモスクワに流していたこと、そして戦後の日本の体制にもソ連の影響が及んでいたことが示唆されている。

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なぜ日本の軍部が暴走し、国際社会との関係が悪化したのか?

日本の軍部が「暴走」し、国際社会との関係が悪化した背景には、複数の要因が複雑に絡み合っていたと説明されている。特に、当時の日本の経済状況、ソ連の国際戦略、そして日本国内に潜んでいた共産主義の影響が大きく取り上げられている。

• 深刻な経済不況と社会主義への憧れ

◦ 当時の日本は、政府の「めちゃめちゃな経済政策」と「金解禁(グローバリズム)」により、深刻な不景気に陥っていた。

◦ 多くの日本企業が倒産し、国民は「明日の飯も食えない」ほどの貧困に苦しんでおり、特に東北地方では子供を身売りするほどの状況であった。

五・一五事件と二・二六事件を動機付けた娘たちの身売り・下記notem参照

◦ このような状況下で、国民は「魔法のように解決してくれる素晴らしい思想」に傾倒しやすく、当時のエリート層(特に東大卒など)の間では、ソ連が「万民平等」の「理想国家」を築いたという情報から、社会主義への憧れが強まった

•ソ連による「世界革命」とコミンテルンの浸透

◦ ロシア革命を成功させたソ連は、「世界革命」を目指し、世界中の資本主義を打倒しようと考えていた。

◦ そのための連絡組織として「コミンテルン」を設立し、日本にも共産党が結成された。

日本の共産党は政府や天皇の打倒を掲げたため、治安維持法によって弾圧されたが、共産主義者たちは思想を隠して政府や軍の中枢に入り込み、「隠れ共産主義者」として活動するようになった。

• 「昭和維新」と統制経済の台頭

◦ 公然と社会主義を掲げられない中で、北一輝のような思想家は、天皇制と両立する日本独自の社会主義(土地の国有化など)を提唱した。 北一輝は、社会主義は天皇制と両立可能であり、天皇陛下は「一君万民」、すなわち万民のことを思われる方であるから矛盾しないと説いた。彼の構想は、天皇のもとで土地を国有化するというものであった。

◦ この北一輝の思想は、当時の若者たちに広く受け入れられ、財閥を打倒し、真の日本を取り戻す昭和維新」を掲げる運動につながった。

◦ 日本軍部の一部は、日本の経済問題を解決するために、資源が豊富で失業者を送り込める満州を領土として広げ、強力な「統制経済」を導入する計画を立てた。当時の世界では、ソ連のスターリンアメリカのルーズベルト(ニューディール政策)ドイツのヒットラー(アウトバーンやフォルクスワーゲン)など、各国が国家が経済を統制する「統制経済」を導入していた状況と被る。

石原莞爾のプランでは、満州を基盤に日本がアジアのチャンピオンとなり、将来的にアメリカと最終戦争を戦う構想であった。

• 軍部内の派閥争いとソ連の影響

◦ 陸軍内には、改革の方法を巡って「皇道派」と「統制派」という二つの派閥があった。

▪ 皇道派財閥や国会を暴力革命で打倒し、天皇をいただく日本独自の社会主義政権を目指したが、ソ連を敵視していた。

統制派帝国憲法の枠内で合法的に統制経済を進めようとし、ソ連を「理想国家」と見なし、ソ連との友好を望んでいた。満州からソ連への侵攻には反対していた。

二・二六事件はこれら両派の衝突であり、皇道派が敗れたことで親ソ連的な「統制派」が主導権を握った。

• ソ連の対日戦略と中国でのテロ工作

◦ ソ連は、満州にいた日本軍が北(ソ連)に向かわず、南(中国)に向かうことを望んでいた。

モスクワから見れば、日本軍が中国国民党と戦うことで、毛沢東率いる中国共産党を助けることができると考えた。

◦ 二・二六事件と同じ年に起きた西安事件は、ソ連のスパイであった張学良が蒋介石を拉致し、日本軍と戦うために共産党と協力するよう強制したものであった。.

◦ その後、中国では日本の民間人や軍に対する爆弾テロや暗殺といった「凄まじいテロ」が頻発した。これらは共産党が実行し、国民党の仕業に見せかける巧妙な手口が使われた。

盧溝橋事件通州事件(日本人居留民が襲撃された事件)も、共産党が日本を中国戦線に引きずり込むために仕組んだ可能性が指摘されている。

• 近衛内閣の共産主義者による浸透と「敗戦革命」

近衛文麿首相のブレーンには社会主義者が多く、内閣書記官長の風見章は元社会主義者、彼が紹介した朝日新聞記者の尾崎秀実はソ連のスパイであった。

近衛内閣は、ソ連とは戦わず、毛沢東を擁護するために蒋介石と戦うことを推進した。

◦ この時期、尾崎は「暴支膺懲(暴れるシナを懲らしめる)」を唱え、中国への派兵を煽った。

石原莞爾満州での衝突を止め、中国本土への拡大に反対したが、彼の意見は聞き入れられなかった。

◦ これらの動きの背景には、日本政府の中枢に入り込んだ共産主義者たちが、日本を戦争に突入させ、敗北させて「敗戦革命」を起こすことを目的としていたという見方がある。

• ゾルゲ機関による情報漏洩

近衛内閣のあらゆる情報は、尾崎や風見を通じて、ソ連赤軍の情報部員であったリヒャルト・ゾルゲに伝えられ、モスクワに筒抜けになっていた。これを「ゾルゲ機関」と呼ぶ。

近衛文麿は敗戦間際になり、天皇に対し、自分の側近にソ連のスパイがいたこと、そして「いわゆる右翼は国体の衣をつけた共産主義者」であり、特に陸軍統制派はソ連の手先となって共産主義革命を目論み、日本を戦争に突っ込ませた陰謀の主体であったと告白している。

• 戦後への影響

近衛内閣を戦争に引きずり込んだ風見章は戦後も生き残り、日本社会党の指導者の一人となり、「護憲」や「日米同盟反対」「安保破棄」などを主張した。GHQは治安維持法で弾圧されていた共産主義者たちを釈放し、日本の大学や様々な要職に配置した。

これらの情報は、ソ連のスパイの交信記録である「ヴェノナ文書」の解読などによって、90年代以降に明らかになってきたとされている。

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