「女性差別」論のパラダイム転換〜C・ゴールディン、イリイチ、杉田水脈の諸説を踏まえて
タイトル画像・一時期、息子ショーンの子育てのために主夫に徹したジョン・レノン。写っている幼児はショーン・タロー・オノ・レノン。
代わってショーンが物心がつくまでの時期に、妻の小野洋子は、ジョン・レノンの版権管理などのビジネスを担当した。
「女性差別」論のパラダイム転換〜C・ゴールディン、イリイチ、杉田水脈の諸説を踏まえて
序論:賃金格差論争におけるパラダイムの転換
男女の賃金格差を巡る議論は、長らく職場における直接的な性差別(差別論)に焦点が当てられてきた。しかし、ノーベル経済学賞受賞者であるクラウディア・ゴールディンの膨大なデータに基づく研究は、この格差が女性の教育水準や労働参加率の向上にもかかわらず残存する主要因が、「子育て(家庭)」の存在と、市場における「時間の柔軟性への対価」という構造的な問題にあることを示した。
本稿では、ゴールディンが提唱する5つの女性世代区分の分析枠組みを前提とし、彼女が示唆する「長時間労働プレミアム」と、イヴァン・イリイチの「シャドゥ・ワーク」論を組み合わせることで、賃金格差の根本原因を特定する。さらに、日本の政策論争で提起された杉田水脈氏の提言を援用し、その解決策としての「性役割の逆転と再分配」の必要性を考察する。
1. C・ゴールディンが示す「キャリアと家庭」の道程:5つの世代と継続する壁
ゴールディンの研究は、過去100年間における女性の生き方を、「キャリア」(一定期間継続する人生のコース)と「仕事」(単発的・短期的な労働)を明確に区別しつつ、以下の5つのグループに分けて分析した。
※この場合、「家族」の必須要員は、子供をつくれる男女の夫婦と、子供である。すなわち、「(子育て) 家族」を想定している。従って、C.ゴールディンには夫と犬一匹がいるが子供はいないので、彼女の定義では「家族」ではないことになる。
世代区分・特徴・時代的位置づけ・格差の構造
① 家庭かキャリアか
既婚女性のキャリア継続が困難な時代
1900年代初頭
法的・社会的な制約
➁ 仕事のあとに家庭
結婚・出産で一度仕事を辞めるパターン
1920年代~40年代
家庭の優先による断続的な仕事
③ 家庭のあとに仕事
子育て後に再就職するパターン
1950年代~60年代
キャリアの中断(仕事)
④ キャリアのあとに家庭
高等教育を受けキャリアを築き出産を遅らせる世代(現在の主要層)
1970年代~
チャイルド・ペナルティの顕在化
⑤ キャリアも家庭も
キャリアと家庭の両立を試みる世代
2000年代~
時間プレミアムの壁
この分析は、女性のキャリアの道程が世代を経るごとに進むものの、「ピル」の登場などによって一つの壁(家庭かキャリアか)を乗り越えるたびに、次の想定外の壁(チャイルド・ペナルティや時間プレミアム)が出現する「道の先の不確実性」を明らかにした。女性たちは、世代を超えて経験や学びを伝え合い、チームとしてバトンをつないできた歴史を持つ。
※「④ キャリアのあとに家庭」の生き方に対応するために、若い時期の子宮を冷凍保存する方法が考えられている。
2. 賃金格差の真因:長時間労働プレミアムとシャドゥ・ワークの構造的結合
ゴールディンの結論は、格差の多くが、男女が同じ仕事をしていても、「子育てを機に」女性がより柔軟で時間の制約が少ない仕事を選ぶこと、そして市場が「長時間労働」や「柔軟性のなさ」に高い対価(プレミアム)を支払う「長時間労働プレミアム」の存在に起因することを示唆している。
A. 長時間労働プレミアム(Time Premium)
多くの高収入・高キャリアな職種(金融、法律、コンサルタントなど)は、顧客や案件の要求に応じて突発的な長時間労働や時間のコントロールがきかない「オンコール・ジョブ」の性質を持つ。市場は、この「時間の柔軟性の欠如」に対して、通常の時間対価以上のプレミアムを上乗せして支払う傾向がある。
B. シャドゥ・ワークと「チャイルド・ペナルティ」の固定化
ここでイヴァン・イリイチの「シャドゥ・ワーク」論が深く関わる。家庭における家事・育児・介護といった無償のケア労働は、主に女性が担うシャドゥ・ワークとして存在し続ける。
女性がシャドゥ・ワークの主たる担い手となることで、時間の柔軟性のない仕事(長時間労働プレミアムがつく仕事)を事実上継続できなくなり、「チャイルド・ペナルティ」として賃金が低下する。
その結果、夫婦の経済合理性として、相対的に賃金が低い妻がシャドゥ・ワークの専従者となり、賃金プレミアムが得られる夫が賃金労働の専従者となる性役割の分業が固定化する。
したがって、賃金格差の根本原因は、「女性が市場に入っていないこと」ではなく、「市場(長時間労働プレミアム)と家庭(シャドゥ・ワーク)の非対称性」にある。女性の労働参加率が上がっても、この非対称な構造が解消されない限り、賃金格差は縮まらない。
3. 解決策としての「性役割の逆転と再分配」
ゴールディンの研究が示唆した解決策は、日本の政策論争における杉田水脈氏の提言とも一部で共鳴する、「性役割の根本的な逆転とシャドゥ・ワークの再分配」に他ならない。
A. 長時間労働プレミアムの解消と「夫婦間の比率是正」
ゴールディンが示唆する解決策は、「夫婦の比率を同じくする」ことである。
現状:主婦(または軽労働)× 夫がハードワーク(高賃金)
理想:主夫(または軽労働)× 妻がハードワーク(高賃金)
この比率を同等に近づけるためには、女性が「上昇婚をしない」、すなわち主夫または軽労働の夫を養う経済力と意思を持つ必要がある。これにより、シャドゥ・ワーク(育児)の担い手としての性役割分業が崩れ、市場も「男性だけが長時間労働を担う」という暗黙の前提を崩し、時間の柔軟性に対するプレミアムの度合いを下げざるを得なくなる。
B. 杉田水脈の提言との共鳴:子育ての価値と選択の自由
杉田水脈氏の提言した「景気対策による単一収入での家族扶養」の重視や「家庭における子育て・介護の支援」は、上記Aが理想とする構造を、「女性の自由な選択」という観点から支援するものとして解釈できる。
シャドゥ・ワークの価値化: 杉田は、子育てや介護の重要性を主張し、働く女性のみを優遇する政策を批判した。これは、シャドゥ・ワーク(家庭)の価値を再評価し、その役割を担うことを女性が自由に選択できる経済的基盤(夫の賃金による扶養)を整えることの重要性を示す。
在宅勤務の促進: 杉田氏が提唱した在宅勤務は、シャドゥ・ワークと賃金労働を家庭内で両立させることで、長時間労働プレミアムの高い職場を離脱せず、時間の柔軟性を人工的に創出する試みであり、賃金格差を生む構造的要因への対策となり得る。
結論:差別から「時間と役割の再分配」へ
ゴールディンの分析とイリイチのシャドゥ・ワーク論から導かれる結論は、男女の賃金格差は、もはや「女性差別」ではなく、「時間に対する市場の歪んだ対価」と「シャドゥ・ワークの性別分業」が引き起こす構造的な帰結であるということだ。
真の解決策は、女性を無理に長時間労働の職場に押し込むことではなく、市場が時間の柔軟性を評価する仕組みへと変わること、そして夫婦間でシャドゥ・ワークの責任を平等に、または女性が高賃金労働を担う形で逆転させて分担する「性役割の再分配」を実現することである。女性たちが世代を超えてつないできた「キャリアと家庭の両立」のバトンをゴールへと導くには、個人の努力を超えた、この構造そのものの変革が不可欠となる。
