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南京事件考10):ヴォートリンが見た世界と否定派の論点〜強姦・掠奪などは中国兵の仕業!?


amazonレビュー

★★★★★ ミスター・ディグ
日本軍は何て酷い事をしたのか 日本軍に対する怒りが湧いてくる本
2018年11月1日に日本でレビュー済み
フォーマット: 単行本
南京大虐殺を語る上では欠かせない本である。
1919年から南京の金陵女子大学で教師・教務主任を務め、日中戦争時には南京安全区の設営に関わった内の1人である。

本書には日本軍の犯した犯罪・残虐事件の膨大な事例が記載されている。読み進めていく内に、日本軍に対する怒りが湧いてくるのを抑える事が難しくなった。

取り敢えず、まずは日本軍の強姦事例から紹介しよう。
一二月一九日 日曜日
そのあとキャンパスの裏手まできたとき、教職員宿舎へ行くようにと、取り乱したような声で言われた。その二階に日本兵が上がって行った、という。
教職員宿舎二階の五三八号室に行ってみると、その入り口に一人の兵士が立ち、そして、室内ではもう一人の兵士が不運な少女をすでに強姦している最中だった。

日本大使館に書いてもらった一筆を見せたことと、わたしが駆けつけたことで、二人は慌てて逃げ出した。卑劣な所業に及んでいるその二人を打ちのめす力がわたしにあればよいのだがと、激怒のあまりそう思った。 日本の女性がこのようなぞっとする話を知ったなら、どんなに恥ずかしい思いをすることだろう。(P68)

一二月二一日 火曜日
朝食のあと、例の二五人の警備兵が昨夜危害を及ぼした(女性二人が強姦された)件について事情を聴取した。 しかし、こうしたことには慎重に、しかも臨機応変に対処する必要がある。そうしないと兵士の恨みを買うことになり、そのほうが当面している災難にもまして始末が悪いかもしれない。(P71)

二月八日 火曜日
一〇時に使用人の一人がやってきて、南山に兵士がいる、と言った。大急ぎでゴム靴を履き、上着を着て駆け出した。 イーヴァのバンガローの裏手に兵士が若い女性といっしょにいるところを見つけた。彼の正体を知ろうとしたが失敗した。 そこで、退去するよう命じると、彼は腹立たしそうにわたしを睨みつけたが、そのまま立ち去った。

のちにその女性が話してくれたところによれば、彼女は四人の女性といっしょに南の境界に近い池で衣服を洗濯していたそうだ。 四人は逃げ出したのだが、彼女は捕まってしまった。兵士が彼女に銃剣を突き付け、服を引き裂こうとしたので、彼女はしぶしぶ服のボタンをはずした。 というわけで、わたしが姿をあらわしたとき、彼女はボタンをはずしている最中だったのだ。
はじめはカッとして、彼の銃剣を引ったくり ―その好機はあった― 、そのとき集まっていた使用人たちに、兵士を捕まえるのを手伝ってくれと頼みたいほどだった。 しかし、それは分別あることではないと思い、やむなく彼が塀をよじ登って退散するのにまかせた。(P159)

一部を紹介したが、上記は安全な筈の大学内での事件である。大学外で何が起こっていたかは推して知るべしであろう。

次は連行事例である。日本軍に連行された中国人は、ほとんど帰ってこなかった。当然殺されたからである。
一月三日 月曜日
午後、若い女性二人がわたしの執務室にきて、夫を捜し出すのに力を貸してほしい、と訴えた。 三人兄弟のうち二人が十二月十四日に連行されたという。その一家は、南門の近くで鴨肉屋を経営していた。 (P96)

一月五日 水曜日
これも午後のことだった。わたしが執務室にいると、新婚一八日目の若い花嫁が、夫を捜す手伝いをしてもらえないか、と言ってきた。 彼は何の罪もない洋服の仕立屋で、一二月一五日、家から連れ去られたまま戻ってこない、というのだ。

さらに別の新婚二ヵ月の若い花嫁がやってきて、一二月一六日に夫が連れ去られたと話し、わたしに援助を求めた。

いずれの場合も夫は兵士ではなかったが、戻ってくる見込みはほとんどないのではないかと思う。当初のあの狂乱の時期には多くの若者が銃殺されたからだ。 前者は一〇人家族を、後者は八人家族を扶養する一家の柱であった。このような悲話がたえず耳に入ってくる。(P99)

一月一一日 火曜日
四時から五時まで執務室にいると、大勢の女性が入ってきて、夫の捜索に力を貸してほしいと懇願した。 数週間前から、つまり、一二月十四日以来いなくなってそれきり、という事例もいくつかあった。ご主人は戻ってこないだろう、とはあまりに酷なことで、そんなことは言えない。 しかし、連れ去られた若者については、多くの場合それは当たっている。若者たちは、当初のあの恐ろしい時期に銃殺されたのだ。(111)

一月一五日 土曜日 
午後、夫や息子が連行されたまま戻ってこないという二六人の女性の事例を日本大使館に報告した。 いずれの事例でも、夫がかつて兵士であったことはなく、多くの場合が大勢の家族を養うただ一人の稼ぎ手だった。 大量虐殺がおこなわれた当初のあの残虐非道の時期に、このような人たちがどれほどたくさん殺害されたことだろう。当時は銃声が聞こえるたびに、だれかが―おそらく何の罪もない者が―殺されたのだろうと思ったものだ。(P117)
他にも沢山あるが割愛する。日本軍は敗残兵を掃討する中で、多くの一般市民を殺した事が分かる。

最期に殺害事例を挙げる。
一二月二◯日 月曜日
午後四時、ビッグ王といっしょにアメリカ大使館に行き、そこから日本大使館に連れて行ってもらった。 ふたたび実情を伝え、使用人二人の送還と、日中の憲兵派遣を要請した。アチソン氏の料理人の話では、 彼の父親が射殺されたが、死骸を埋葬するために家へ戻る勇気のある者がいない、というのである。(P70)

一二月二一日 月曜日
一時三◯分、アチソン氏の料理人といっしょにキャンパスの西の方角に向かった。 料理人は、七五歳の父親が殺されたと聞いていたので、ぜひ確認したかったのだ。わたしたちは、道路の中央に老人が倒れているのを見つけた。 老人の死骸を竹薮に引き入れ、上にむしろをかけた。老人は、危害をこうむることは絶対にないと言い張って、大使館で保護してもらうことを拒んでいた(P71)

一二月二一日 月曜日
日本大使館を出てから、今度はアメリカ大使館の使用人といっしょに三牌楼にあるジェンキンズ氏宅へ行った。 彼の家は、アメリカ国旗を掲揚し、日本文の布告や東京あて特電の文を掲示することによって護られていたにもかかわらず、徹底的な略奪をこうむった。 ジェンキンズ氏が信頼していた使用人は車庫で射殺されていた。彼は雇い主の家を出て大使館に避難することを拒んでいた。(P72)

今回もまた一部のみ紹介した。これらだけでも、日本軍の戦争犯罪の存在を十二分に証明していると思う。
日本軍は親切でも誇り高くもなかったのである。
最後に1つ。ヴォートリン女史は、中国が日本に侵略され、犠牲者が次々と出るのを見聞して鬱病を患ってしまい、1940年4月14日に日記を書くのを止め同年5月14日にアメリカへ帰国した。

そのちょうど1年後の1941年5月14日に、彼女はガス自殺を遂げた。
間接的に日本軍が殺したようなものである。

★★★★★ ヘブン
南京の現場にいた証言者
2007年4月15日に日本でレビュー済み
フォーマット: 単行本Amazonで購入
南京事件に関する虐殺派、否定派。それぞれの根拠はあるにせよ。
ここに現場にいた、そして南京の避難民に直接関わり、奔走した人間の克明な日記がある。

これを読んで、南京では日本軍は虐殺しなかった。強姦は最小限にとどめられた。という見解に依然なるなら、もはや何を読んでもどんな証言を聞いても、その人は虐殺否定の先入観でしか見れないのだと思う。

もし一歩外で殺人と強姦のあれすさぶ危険で制限された環境の中にいて、あなたが克明な詳細な事件の真相を証拠立てることができるか?できないだろう。全部見たのか?見てないだろうと言われたらどう答えるだろう?
たしかにそのとうりかもしれない。

けれどもその時、南京では普通ではない何かが起こっていたのだ。・・・そういうことがこの日記にはしっかり書かれてある。

そしてそのような極限の環境の中で人権と安全のために身を尽くして活動した人々。一読の価値アリです。

★★★★☆ kawanya
逆説的だが、便衣兵狩りはかなり正確に行われたことが、著者により証明されている。
2016年5月6日に日本でレビュー済み
フォーマット: 単行本
日本軍と交戦するも形勢不利と見て大量の中国軍将兵が南京城内に逃げ込んだ。そして、軍服を脱いで私服を手に入れて着た。

日本軍は、彼らは捕虜になる資格がない便衣兵(ハーグ陸戦規定及び捕虜取り扱い条約)だとして、大規模に摘発した。第9師団と16師団が、合計9,000名の便衣兵の疑いのある中国人男性を拘束した。

拘束された中国人男性の中には兵士ではない一般市民が混じっているとヴォートリンは見て、家族による釈放嘆願署名を数か月かけて集めた。その数は約1,000名に達した。本当は便衣兵なのに駄目元で署名した分も含まれているであろうから、実際は1,000名を下回ると推測される。

そうすると、日本軍が拘束した中国人男性は9,000名であるから、間違って拘束したのはその1割未満となる。これは、秦郁彦『南京事件』での一部荒っぽい便衣兵狩りの場面にもかかわらず、日本軍の便衣兵狩りが概ね正確に行われたことを示している。

すなわち、便衣兵狩りに際しては、青壮年の男性の内、坊主刈・指に銃タコ・額に軍帽の日焼け・軍隊用の下着などを調べて摘発したのであって、そのような手続きを無視した荒っぽい摘発は一部の部隊にとどまったことになるのである。無差別に見境なく男と見れば拘束したのではないのである。

ヴォートリンの本書の史料価値としては、上記の釈放嘆願署名数が約1,000名と記している点である。女史の意図に反して、日本軍がほぼ正確に便衣兵という不法戦闘員を拘束していた事実を証明しているのである。
以上

★★★★★ nao_a_jp
攻略前の南京は、中華軍の破壊と放火と銃殺が…
2012年5月13日に日本でレビュー済み
フォーマット: 単行本「南京事件は、中華国内に革命が在ってその中で中華軍が遣った事を日本のせいにされている」と昭和40年代に聞きました。

南京の真実 (講談社文庫)や新聞記者達や日本人の証言等を照合すれば、
大日本帝国軍が南京城に入る以前に起きた中華人達による伐採・焼払い・破壊・強奪・銃殺などの被害がかなり甚大そうなのが感じ取れます。

Yale大学神学図書館の「The Nanking Massacre Project」では、日記の原文全文が閲覧でき解説とのニュアンスも比較できます。

解説の笠原氏が侵華日軍南京大屠殺センターの客員教授だった関係で英語表記人名の漢字表記照合により中華人達の実名が解ります。

中華大陸内での戦争は上海線が一番の激戦で戦死傷者も一番多く、「南京攻略戦は誰が先に行着くか、南京攻略すれば対中戦争の決着がつく」というので猛スピードで進軍した、南側から行って殆ど敵軍に出食わさずに着いた、とも聞いていまして、最近、他の情報等で様々な方の話を読んでも聞いてもその様で、私が聞いた事も事実だったと確信しています。

この日記では、1927年の蒋介石の動きと約10年後の比較、大日本帝国軍が行く前の南京の様子、日本軍が入る以前に混沌としていた中華人の放火や破壊等が日本軍が入ったら暫くの間は日本軍の仕業ばかりなっている所、直接接した大日本帝国人達は皆穏和でクレームに即対処してくれている所、12月24日の慰安所の設置について(『南京事件の日々』では12月26日)、不在家屋から持出した商品を売る逞しき中華人達の「泥棒市」等、犯罪行為の中の中華人達の仕業、彼女の周辺の人々の様子、等が読み所です。

当時、中華軍の上海での田伯烈も入った打合せでは、中華人ではなく外国人に宣伝して貰うと決定していた事も頭に入れて読むと、それなりの状況が見える気もします。

宋家王朝――中国の富と権力を支配した一族の物語(上) (岩波現代文庫)も一緒に合わせ読むと、中華軍の仕業がよりハッキリと見えます。

広東方面から南京に行くのに自国民を虐殺して、槍にその頭を突き刺した物を掲げて行軍してたとか、若い女の子の腹を裂いて腸を取出し体に巻付け喜ぶような軍を持っている人に共感できない等、壮絶な記述もたまに在り、米国に移民した財閥が中華への支援を流用して米国財閥として財を成したり…。

大日本帝国軍人達は、敵軍の慰霊碑も建てたり慰霊祭遣ったりしていたんですよね。
中華の人達、少しは残して置いてくれて居るのだか?

★☆☆☆☆
ヴォートリンの日記の真犯人が当時のNYタイムズに載っています。
2013年6月29日に日本でレビュー済み
フォーマット: 単行本
ヴォートリンの日記にて散々悪行を行っていた真犯人が下記の新聞記事です。

また、ヴォートリンの日記の真の価値は、12月以前の中国軍による漢奸狩りの記述です。(その箇所は意図的かどうかわかりませんが本書では全く抜けおちている)。

この書物の史料的価値は中国軍の悪行を立証するものでしかないでしょう。(肯定派がこの本で如何に南京事件をでっちあげようとしたかの証拠にもなる)。

現在では、南京事件は完全に否定されている。
1938.1.4 NYタイムス
元支那軍将校が避難民の中に 大佐一味が白状、南京の犯罪を日本軍のせいに

南京の金陵女子大学に、避難民救助委員会の外国人委員として残留しているアメリカ人教授たちは、逃亡中の大佐一味とその部下の将校を匿っていたことを発見し、心底から当惑した。

実のところ教授たちは、この大佐を避難民キャンプで2番目に権力ある地位につけていたのである。

この将校たちは、支那軍が南京から退却する際に軍服を脱ぎ捨て、それから女子大の建物に住んでいて発見された。

彼らは大学の建物の中に、ライフル6丁とピストル5丁、砲台からはずした機関銃一丁に、弾薬をも隠していたが、それを日本軍の捜索隊に発見されて、自分たちのもであると自白した。

この元将校たちは、南京で掠奪した事と、ある晩などは避難民キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込んで、その翌日には日本兵が襲ったふうにしたことを、アメリカ人や外の外国人たちのいる前で自白した。

この元将校たちは戒厳令に照らして罰せられるだろう。

序章:検証の視点──金陵女子大学構内での叫び

南京事件をめぐる議論の中で、否定派がしばしば展開する論理に「強姦や掠奪の多くは、日本軍の軍服を奪って変装した中国兵(便衣兵)や反日攪乱工作隊による仕業である」というものがある。しかし、事件当時、避難民の保護に奔走した金陵女子大学の教務主任、ミニー・ヴォートリン(華群)が残した克明な日記(『南京事件の日々』)は、その論理を根底から覆す生々しい事実を突きつけている。

本稿では、あくまでもヴォートリンの証言に基づき、否定派の主張がいかに教育現場や避難所での実態と乖離しているかを検証する。

⇒本稿では、あくまでもヴォートリンに見えた世界、かつ彼女が判断した絶望的な“日本人兵士たちの蛮行”が繰り返された地獄のような世界に照らして、判断される限りの評価である。しかし、別稿ではまた違った“世界”が見えてくるので、それまで、お待ちいただきたい。


第1章:安全区の蹂躙──大学構内での強姦と残虐行為

ヴォートリンの日記には、本来「安全な避難所」であるはずの大学構内日本兵が侵入し、組織的、あるいは日常的に暴行を働いた記録が散見される。

  • 強姦の現行犯: 12月19日、彼女は教職員宿舎の二階で、一人の日本兵が入り口を見張り、もう一人が「不運な少女をすでに強姦している最中」である現場に遭遇した。日本大使館の証明書を見せることで追い払ったが、彼女は「卑劣な所業に及んでいるその二人を打ちのめす力がわたしにあればよいのだが」と激しい憤りを記している。

  • 銃剣による脅迫: 翌年2月に至っても、洗濯をしていた女性が日本兵に捕まり、「兵士が彼女に銃剣を突き付け、服を引き裂こうとした」場面をヴォートリンが阻止している。

これらは、混乱に乗じた中国兵の変装によるものとするには、あまりに頻繁であり、かつ日本軍の装備(銃剣や大使館の書面への反応)を伴った「日本兵」としての振る舞いを装ったものと見なすことはヴォートリンには思いもよらなかったであろう。


第2章:連行と消えた若者たち──民間人の抹殺

否定派は「便衣兵狩り」が正確に行われたと主張するが、ヴォートリンの執務室に助けを求めに来た女性たちの訴えは、それが無差別な徴用と殺戮であったことを示している。

  • 消えた一家の柱: 「洋服の仕立屋」や「鴨肉屋」など、軍人とは無縁の民間人が次々と連行され、戻ってこなかった。ヴォートリンは、「若者たちは、当初のあの恐ろしい時期に銃殺されたのだ」と結論づけている。

  • 「便衣兵狩り」の虚実: 日本軍が「指のタコ」や「額の日焼け」を基準に兵士を識別したとする説があるが、ヴォートリンが救出のために集めた釈放嘆願署名は1,000名に達した。これは、少なくとも1,000名近い明白な民間人が「誤って」拘束されていた実態を裏付ける数字である。


第3章:否定派の論理検証──「中国兵犯人説」の矛盾

否定派が論拠とするのが、1938年1月4日付ニューヨーク・タイムズの記事(中国軍将校が難民キャンプで悪事を働いたと自白)である

これについて、歴史学者の笠原十九司氏らは以下のように反論している。

3.1 「反日攪乱工作隊」説の不自然さ

東中野修道氏らは「中国軍の工作隊が日本軍の評判を落とすために強姦・掠奪を行った」と主張する。

しかし、潜伏中の将校がわざわざ摘発のリスクを冒してまで「強姦をしてみせる」という発想は、現実的な軍事行動として極めて不自然である。

AI による概要
反日攪乱工作隊」とは、主に南京事件(南京大虐殺)に関連して、その事件の存在を否定する立場の一部の人々が提唱した独自の説に登場する概念です。
この説は、以下のような主張を含みます。
主張の概要: 南京事件否定派の一部は、日本軍による残虐行為とされるものは、実際には「反日攪乱工作隊」という中国側の組織によって行われたものであると主張しました。彼らは、この工作隊が日本軍の軍服などを着用して便衣兵(民間人に偽装した兵士)として行動し、意図的に略奪や暴行を行い、それを日本軍の仕業に見せかけた、あるいは日本軍の評判を落とすために情報を攪乱した、と論じました。

歴史学界での評価: この「反日攪乱工作隊」説は、歴史学界や南京事件の研究者の間では根拠のない「妄想」や「謀略説」として否定されています。笠原十九司氏などの研究者は、この説は歴史的事実に基づいたものではなく、否定論を構築するためのトリックであると批判しています。

つまり、「反日攪乱工作隊」という言葉は、実際の歴史的な組織の名称ではなく、南京事件否定論の中で特定の主張をする際に使われるレッテル的な用語であると言えます。

3.2 買収と脅迫の介在

当時のドイツ外交官ローゼンの報告や、マッカラムの日記には、日本軍が中国人を金品で買収、あるいは命を盾に脅迫し、「犯行は中国軍によるものだ」と偽証させていた実態が記録されている。

「日本のある領事館警官が現われて、中国人が犯人であると証言させるため、大使邸のクーリーに50ドルを手渡した」

ローゼン報告

結論:命を削った証言が問いかけるもの

ヴォートリンは、目の前で繰り広げられる地獄絵図と、それに対する無力感から深い鬱病を患い、帰国後に自殺を遂げた。彼女の死は、南京で起きた出来事がいかに凄惨であり、人間性を破壊するものだったかを無言で物語っている。

「中国軍の仕業」という言説は、現場で血を流した被害者や、彼女のように命を懸けて難民を守った証言者たちの記録を、政治的な先入観で塗りつぶす行為に他ならない。ヴォートリンの日記は、単なる告発状ではなく、極限状態において守られるべき人権と、それを蹂躙した権力の狂気を記録した、人類が共有すべき歴史的遺産である、と本稿では結んでおく。

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