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生物学者ユクスキュルの「環世界」論

Jakob von Uexküll: A Biologist's View of the World

このYouTube動画は、ドイツの生物学者ヤコブ・フォン・ユクスキュルの著書『生物から見た世界』を紹介している この動画は、生物がそれぞれ独自の知覚を通して世界を主観的に捉える「環世界」という概念を中心に解説している。具体的には、マダニの環世界を例に、生物にとって意味のある情報のみが選択的に認識されること、時間もまた生物の主観によって流れることが説明されている。さらに、生物の行動が人間のような目的ではなく、「設計」として理解されるべきだと主張し、知覚像作用像という概念を用いて、生物が世界に意味を与えるプロセスを解き明かしている。最終的に、人間の環世界が動物とは異なり、多様な意味を構築し、拡張し、共有できるという点が強調され、この環世界の視点が、他者との理解や自己の生き方を深める示唆を与えることが述べられてる。

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デカルトとユクスキュルの世界観

デカルトとユクスキュルの世界観を比較すると、世界をどう捉えるかという根本的な視点の違いが明確になる。デカルトが普遍的な客観的世界を前提としたのに対し、ユクスキュルは主体によって構成される主観的世界を提示した。

デカルトの世界観

デカルトは、「我思う、ゆえに我あり(Cogito ergo sum)」という言葉に象徴されるように、精神と身体を切り離して考える心身二元論を提唱した。彼の世界観は以下の通りである。

客観的世界の存在:

人間を含め、すべての存在は、数学や物理学で説明できる普遍的で客観的な法則に従って動く機械のようなものだと考えた。この世界は、精神(意識)とは独立して存在し、誰もが同じように認識できるものであると見なしている。

機械論的自然観:

生物もまた、精巧な機械であり、その振る舞いは外部からの刺激に対する反射的な反応として説明される。動物には意識や魂はなく、ただ物理的な法則に従って動く「自動機械(オートマトン)」であるとみなした。

ユクスキュルの世界観

ユクスキュルは、デカルトの客観的世界観を否定し、生物はそれぞれが独自の「環世界(Umwelt)」に生きていると主張した。彼の世界観は以下の通り。

環世界(Umwelt):

環世界とは、生物が感覚器を通して知覚し、行動する「意味の世界」のこと。例えば、ダニは「酪酸の匂い」「温かさ」「毛」という3つの知覚要素しか持たず、それ以外の世界は存在しないも同然である。ユクスキュルは、生物は世界をそのまま受け取るのではなく、それぞれの種にとって意味のあるものだけをフィルタリングして知覚していると考えた。

主観的現実の構成:
環世界は、個々の生物の身体構造必要性によって構成されるため、一つとして同じものはない。すべての生物は、それぞれの環世界という主観的な現実の中に生きており、客観的な世界を直接知ることはできないとされる。

両者の世界観の比較

特徴           デカルトの世界観         ユクスキュルの世界観
世界の捉え方  普遍的な客観的世界                生物ごとの主観的な環世界
中心的な概念  心身二元論、機械論                環世界(Umwelt)
生物の認識      全ての生物は                           生物ごとに
                        同じ客観的世界を認識する      異なる意味の世界を認識する
動物の捉え方  意識を持たない自動機械           独自の環世界を持つ主体

デカルトとユクスキュルの世界観の比較

ユクスキュルの理論:世界の認識と生命現象

ヤコプ・フォン・ユクスキュルの理論は、世界の認識と生命現象について、以下のような示唆を与える。

世界の認識について

ユクスキュルは、ディズニーの楽曲「小さな世界」に込められた「世界は誰にとっても同じように認識できる客観的なものである」という暗黙の前提に疑問を投げかけた。彼の提唱する「環世界(Umwelt)」という概念は、あらゆる生き物は世界という一つの箱に収まっているのではなく、それぞれが独自の感知方法で独自の主観的な世界を体験しているという考え方である。

• 主体的な世界の構築:

生物は、外部から与えられる情報を単なる刺激として受け取るのではなく、自ら感覚器官を研ぎ澄まし、その情報に価値を見出し、それに応じて行動することで、自分にとって意味のある世界を立ち上げている。例えば、マダニ「酪酸の匂い」→「毛の抵抗」→「皮膚の温度」というわずか3つのシグナルにのみ反応し、それ以外の森の中の情報(鳥の声や花の色など)はマダニの環世界には存在しない。これは、単純な生物には単純な環世界が、複雑な生物にはそれに見合った豊かな構造の環世界が対応していることを意味し、単純さが劣っているのではなく、行動の確実性を前提としていると説明されている。

• 時間と空間の主観性:

ユクスキュルは、客観的な時間や空間が存在するのではなく、生き物の「主体」こそが環世界の時間を支配していると指摘する。従来の「時間は大きな川のように流れている」という考え方に対し、ユクスキュルは「それぞれの生物に割り当てられた水路」のようなものであり、その水路は生き物自身の感覚と行動によって開かれ、流れが生まれると解釈した。例えば、マダニは18年間絶食状態で生存し、酪酸の匂いを感知した瞬間に活動を再開した事例は、マダニという主体が自らの意味付けによって時間の流れを始動させたことを示唆している。また、人間が世界を知覚する最小単位である「瞬間・モーメント」(約1/18秒)でさえ、カタツムリを使った実験では種によって異なることが示されている。

三宅陽一郎 @miyayou                                                         

• 認識は先天的な共通のフレームに依存する

◦ ドイツの哲学者イマヌエル・カントは、人間には先天的に共通の物の見方や考え方(時間的・空間的把握など)がプログラムされており、人間が世界をそのものとして眺めるのではなく、人類共通のフィルターを通して間接的に世界を捉えていると考えた。ユクスキュルは、このカントの認識論・哲学的洞察を生物学の分野に発展させた人物である。われわれが知覚している世界は現実そのものではなく、あくまで自分たちのフィルターを通した現象に過ぎないとされる。

• 知覚像と作用像:

ユクスキュルは、生物の行動や世界の認識を理解する上で、「知覚像(perceptual image)」「作用像(functional tone)」という概念を提示した。

知覚像:感覚器官を通して受け取る外界のイメージ(例:犬がソファーを初めて見たときの、そこにある「何か」という感覚)。

作用像:主体がその対象に対して何らかの行為を行うことで、その対象に意味が付与されたもの(例:犬がソファーの上に乗ったり寝たりすることで、「くつろげる場所」「寝られる場所」といった意味が付与される)。 この作用像は、主体のおかれた状況によっても変化し、ヤドカリとイソギンチャクの関係の例(盾、住処、食料として意味が変化する)が挙げられている。

盾・住居・食料 https://kotento.com/2019/03/02/post-2679/                                            

生命現象について

ユクスキュルの理論は、デカルトに始まる「機械論的生命観」に異議を唱え、生物を単なる機械ではなく、世界を生きる主体として捉え直す革新的な視点を提供した。

• 機械論的生命観への挑戦:

17世紀の哲学者デカルトは、動物を思考や感情を持たない自動機械とみなし、生命の営みを機械的な動作に過ぎないと考えた。人間は物体ではない精神を持つため機械ではないと区別したが、この思想は近代科学の発展に貢献した一方で、動物への残虐行為を正当化する口実にもなりかねなかった。ユクスキュルは、これに対し、どんな小さな生き物にも世界を感じ、意味付けし、応答する力、すなわち「主体性」が備わっていると考えた。

• 「目的」ではなく「設計」:

ユクスキュルは、生物の行動を人間的な「目的」で説明するのではなく、「設計」という観点から捉えるべきだと主張した。ここでの「設計」とは、自然という大きな構造を動かしている秩序のことである。

• 構造的な必然性:

生物の行動は、特定の刺激に対して構造的にそうなるように「設計」されていると解釈される。例えば、マダニが哺乳類の皮膚から発せられる酪酸の匂いに反応して落下するのは、彼らが卵を産みたいという目的意識からではなく、そのように構造的に設計されているためである。

• 特定のシグナルへの反応:

生物は、その種にとって意味のある限られたシグナルにのみ反応するように「設計」されている。人間のように多様な情報を処理し、状況に応じて判断を下すのではなく、特定の「設計」に従って行動する。

キリギリスの求愛行動
メスのキリギリスは、鳴き声の聞こえるスピーカーに引き寄せられるが、鳴き声が遮断されたオスがすぐそばにいても興味を示さない。これは、メスの行動が、オスとの接触という目的ではなく、ただ一つの聴覚情報に反応するように設計されていることを示唆している。

ニワトリの母子関係
母鶏は、ひよこの鳴き声が聞こえれば、ひよこの姿が見えなくても助けに向かうが、鳴き声が遮断されると、たとえひよこが真横にいても注意を払わない。これもまた、母鶏の行動が特定の音響シグナルという「設計」の一部であることを示唆している。

• 「本能」との区別:

ユクスキュルは、昆虫や動物たちの理解しがたい行動を単に「本能」という言葉で片付けるのではなく、「設計」という概念で説明することを重視した。なぜなら、「本能」という言葉では、そこにある重要な意味や構造が見過ごされる可能性があると考えたからである。

• 主体性の中での意味付け:

生物は、感覚器を通して「知覚像」を結び、自身の状態や気分によって様々な「作用像」を結ぶことで、自分にとって意味のある世界(環世界)を立ち上げる。その中で見出される一つ一つの行動は、構造的に意味が繋がるように「設計」されているのである。したがって、生物の行動や世界の見え方を理解するには、「設計」という視点が不可欠であるとされている。

つまり、ユクスキュルの「設計」の考え方は、生物の行動を、それぞれの生き物が持つ固有の「環世界」の内部で、特定のシグナルに対して構造的に、そして意味的に繋がり合うように組み込まれたものとして捉え直すものである。

人間への示唆

ユクスキュルの環世界論は、人間社会や個人の生き方にも深い示唆を与えた。

• 多様な意味世界と環世界の拡張:

人間は他の動物と異なり、より多くのものを知覚し、意味づけを行うことで、多様で複雑な「意味世界」を構築できる。例えば、を餌場だけでなく、芸術のモチーフ、競技場、信仰の対象など、幅広く意味づけが可能である。また、人間は技術や想像力によって環世界を自ら拡張することができ、生物的な限界に縛られずに世界を更新していくことが可能である(例:インターネットや乗り物)。

• 環世界の共有と理解:

人間は、それぞれ固有の環世界を生きながらも、他者の環世界に踏み込み、互いの見方や考え方を交換する能力を備えている。これは、人間同士の不毛な衝突や誤解を読み解く重要なヒントになる。他者の理解しがたい言動に直面した時、それを「異なる環世界の声」として冷静に受け止める視点を持つことで、怒りや不安といった負の感情を和らげることができる。

• 意味の創造:

ユクスキュルは、あらゆる対象は初めから意味を持っているのではなく、主体との関わりの中で初めて意味を持ち始めると言う。世界は「意味の空白地帯」であり、そこに何を見出すかは自分自身の関わり方にかかっているのである。何かを始める際に「どんな意味があるのか」「何のメリットがあるのか」と合理的な判断を求めることは、時に人間の多様な意味世界を構築し、環世界を拡張する能力を自ら閉ざすことにつながる。ユクスキュルの理論は、意味は初めからあるのではなく、自らの「動き」の中で見出されるという経験的な知恵を強調し、自分自身で「色鮮やかな環世界を創造する」こと、つまり「自分の力で世界を変える」ことを促している。

ユクスキュルの理論は、生き物の世界への新たなまなざしを提供するだけでなく、社会との向き合い方、他者との関わり方、そして自分自身の生き方を根本から見つめ直す深い問いを与えてくれるものである。

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