わたしの友人
本日の記事はエイプリルフール仕様になっております。
わたしは、千葉の大学に進学した。そのころのわたしは、芸能界に強い憧れがあった。若い人間は誰しもそんなことを考えるのか、自分がとち狂っていたのかは、分からない。
関東の大学に進学できたことは、大いなるチャンスだった。何をすればいいのかは、さっぱり分からないが、列島の中で数多の島々を除いたうちでは一番小さなパーツの島にいた頃よりは、チャンスが転がりまくっているに違いない。
そのころのわたしは、嵐が大好きだった。これは、高校のときに、近所の友だちに騙されて入信したのだが、三年を経てすでに盲信していた。中でも二宮を推していて、彼らは総武線沿線に存在していたとされていたから、その辺りの大学を選んだわたしの能力に感嘆した。
この辺をうろついていれば、いつか会えるかもしれない、などという、田舎の子どもらしい浅はかな妄想でいっぱいだった。ただ、これはあながち間違ってはいない。姉は渋谷に住んでいたとき、横断歩道の向こうからキムタクが歩いて来るのとすれ違った、と言っていた。二宮じゃなくても、何がしかの芸能人とすれ違えるかもしれない。
大学を受験するときのホテルは、赤坂のTBSの近くに泊まった。学校は千葉である。アホである。
そんなわたしは、学業そっちのけで、音楽活動に走った。自分は歌が上手いと信じていたから、歌手になれると思っていた。そこそこかわいいとも思うから、アイドルにもなれるかもしれないが、もう十八歳になっていたから、遅い気がする。ここは、ただのボーカルを目指した方が無難だ。
当時は、まだネット回線は電話回線につながっていたころだ。お腹が壊れたような音を立てながら、時間をかけて通信を繋いで、ようやく繋がっても、サイトが表示されるまでにはいちいち時間がかかる。
わたしが、一体、どうやってそれを知ったのかは分からないが、そのころは、バンドのメンバーを募集する掲示板というのがあった。本当に記憶にないのだが、今のように検索機能が発達していない状況で、わたしはどうやってありとあらゆるしょうもない集まりに首を突っ込んでいたのか謎である。謎であるが、別にあの段階でも充分にネットは便利だった。ああ、思えばすでにmixiは存在していたから、その辺りから発掘したのかもしれない。
東京にも千葉にも、学校にも知り合いはいないし、自分から直で人に声をかけることはできない。もっとリア充寄りの人間が見たら、大学に入ったのなら、そういうサークルがあるだろう、と思うかもしれないが、サークルになんて怖すぎて入れない。
ここのところ、非常に間違っている気がするのだが、大学のサークルには怖くて入れないが、ネットで探し当てた人間に会いに行くのは全然怖くなかった。
というわけで、その、バンドのメンバーを募集している掲示板に、自分は歌をうたえる十八歳であることを売り込む投稿をした。ちなみにこの時の名前は「愛花」といった。
すぐに何件か連絡が来て、その度に東京に会いに行ったり、テープを送ったりした。当時はまだ、歌一曲分のデータをやり取りすることは難しかったから、テープかMDに録音したものが郵送、ないしは手渡しされていた時代だった。
とち狂ってはいたが、たまにわたしはこういう謎に積極的な行動に出る。会いに行った相手がみんなまともな人間でよかったと思う。みんな、二十代から四十代の男性で、場合によっては場合によったと思うけど、いい人たちだった。
一番面白かったのは、仮歌を歌う手伝いで、これは作曲家さんが作った歌を声データにするものだ。今ではボーカロイドなんかに歌わせればいいけど、これも当時は人がせっせとやっていた。歌手の卵の仕事のうちだ。下積みみたいなもので、わたしも作曲家の人に呼ばれて、東京のどこかの下町の、駅の裏の方のビルの地下にあるスタジオに通っていた。
他のバンドマンに曲を書いてもらったり、他の作曲マンに収録してもらったりしながら、ただ歌っているだけで楽しい時間を過ごした。はっきり言って、本当に歌手になりたかったのかは、定かではない。
定かではないが、その中の、誰が言い出した誰の伝手なのかさっぱり忘れてしまったが、なんとかいう、タレントの養成所に通わせてもらえることになった。
もちろん、これにはお金もかかる。だが、聞いてみると思っていたよりもお手軽だった。紹介してくれた人も、バイトして払える額だよ、と言っていたし、実際頑張ればできそうだった。
お試し期間があるから、続けられそうになければやめればいい。そんな話だったと思う。まあ、相手にしてみても、使い物にならなければいらないだろうし、今思えば、あのころは、タレントの養成が加熱していたころだ。なんでもいいから発掘したいという気持ちも多分にあったのかもしれない。
大人たちもわたしたちも、音楽に夢を見ていた時代だった。
結論から言うのが好きなわたしは、今日も結論から述べるが、そんなものにわたしが耐えられるわけはなかった。
歌は自分の好きなように歌いたいし、結局のところ、歌がうたいたいだけで、タレントになりたいわけではない。自分を売り込んでいくためには、個性が大事で、お前のようなものは大勢の中に埋没する、などと言われたが、わざわざ自分ではないものに偽装するのも面倒だった。
昔から声がちょっと変だったから、声優コースの担当の人から声をかけられて、そっちにもちょろっとだけ顔を出す羽目になったが、それも面白くなかった。書かれたセリフを指事されたようにしゃべるなんて、窮屈すぎた。
ほんの少しだけ通っていた間に、仲良くなった女の子がいる。彼女のことは、Kとでもしておこう。他の友だちにもKという人が何人かいるが、カ行の名前は多いらしい。
Kとは、ボイストレーニングのレッスンで一緒だった。他にもいくつか別のレッスンを受講していたのに、どういうわけか、行きと帰りの電車が同じになることが多くて、それに、入ったのもちょうど同じころ、年も同じだった。
きっかけは、通い始めて一週間ほどしたころに、帰りの電車が止まってしまったことだったと思う。都会の電車は何かにつけてすぐに止まる。二人で駅で途方に暮れて、お互いどちらからともなく声をかけて、近くの喫茶店でお茶をすることになった。
当時は喫茶店もまだチェーンばかりではなかった。駅から立体交差を経たビルの二階に、窓が大きくない、全体的に焦茶色の雰囲気の古い喫茶店が入っていた。大人が入るようなところだ。
そこに躊躇わず入っていくKにわたしは驚いたしちょっと嫉妬した。いつもここに来てるの、というようなことを聞いた気がする。彼女は、初めてだけど、と何にもないことのように言った。
思い返せばKだって、田舎から大学に進学するために上京してきた口だったし、ちょっと大人ぶったところをわたしに見せるために入ったのかもしれない。
喫茶店の飲み物は妙に高かった。お金のないわたしは顔が引き攣ったが、それもKは無難に注文していたように見えた。しかし、実際には彼女も資金繰りは芳しくなかったようだ。
それ以来、レッスンの前や後やに、こうやって喫茶店に入ってはどうでもいい話をして過ごしたのだが、パフェやケーキを食べるときは、二人で一つだった。二人で一つのパフェに、恥ずかしげもなく店員に持ってきてもらった二つのスプーンを突っ込んで、食べた。
彼女が何を目指していたのか、正確には知らない。お互い、将来の夢については話さなかったからだ。話していたのは、ごく最近身近で起きたようなことや、実家の家族の話ばかりだった。
Kは自分が石のコレクターであることを明かし、河原でいい石を拾うと家に持って帰るのだが、あまり置いておくと溜まってしまうので、前に拾った石をその辺に投げて自然に返すことを教えてくれた。
わたしは、大学の裏庭に大量のタンポポが綿毛になっていて、友だちとそのタネをできる限り飛ばして回ったことを報告した。
一度だけ、Kが悩ましげに言ったことがある。
「ホントはお笑い芸人になりたかったんよ」
え、そうなん、とわたしはKのことを上から下まで眺めてしまった。ものすごく美人、というわけではなかったがタレントとしてデビューするには申し分のない見た目をしていた。少なくともわたしよりは美人だし垢抜けていた。
「親はダメって言うし、間違って東京に来てしまったし、そもそも面白いこと言えんし」
Kはため息まじりに言った。
「なんかな、東京のヒトって、笑うポイントがずれとるやん、アメリカ人みたいに」
Kとは連絡先の交換をしていなかった。お互いに、レッスンの前後にだけあって、その空白を埋められればいいと思っていたのかもしれない。
結局、わたしは行かなくなったが、そのことをKには伝えなかった。学校に行かないのなら今すぐ戻れ、と親に言われたわたしは、渋々実家に帰った。ここで言う学校とは、大学のことである。
何年かして、わたしはKをテレビの向こう側に見ることになった。彼女は女優としてデビューを果たしたらしく、以来、ドラマやバラエティでぽつぽつ見かけるようになった。
テレビの中でしゃべる彼女は、東京弁だったし、面白いことも言わなかった。礼儀正しくいい子の女優だった。
わたしはどうして自分があの世界に憧れていたのか、よくわからなくなった。窮屈にしか見えない。会社で働くことと、どんな違いがあるのだろう。自分を偽って誰かの言いなりにならなければならないのは、同じなのではないか。みんな芸能人に憧れるけど、少しもキラキラなんてしていない。
日本のテレビはあまり見なくなったから、ここまでの間に、Kがどんな道を歩んだのか、実は正確には知らない。調べれば分かるのだろうが、面倒くさいのでそんなこともしていない。
小耳に挟んだところによると、コロナ禍をきっかけにKはキャラ変したそうだ。今では、体を張ったギャグもできるマルチタレントとして活躍している。

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