ステルス 8
これまでのお話は
橋谷たちは、コハルの言うことを信じてくれたうえに、手を打とうとしてくれますが、コハルにはいまいち実感がわきません。
言われるがままに上層へ向かいますが、その前にゲートが破られてしまいます。
働けるチャンスだよ!
爆発が起きたのは、上層との境にあるゲートのうちの一つだった。
エッグを降りようとしたコハルは、中に積んであった制帽を被せられた。さらに、着ろ、と橋谷が自分の上着を脱いで寄越す。
「俺の傍を離れるな。何か聞かれたら俺の名前を出せ」
ゲートの周りは下層に向かって瓦礫が散乱していた。上層側には駆けつけたらしい防衛局の職員が慌ただしく行き交っている。
もっと人が集まっているのかと思ったコハルは、意外に思った。下層から野次馬が来ていそうなものなのに、そうではないようだ。
ぽっかりと空いた穴の奥は薄暗い。まだ陽のある時間だったが、電力が落ちていることは明らかだった。
チカッと空気が瞬く。電力が戻るのだと思う間もなく、上層へ流れていたウイルスが、天井の方へ吸い込まれた。
どうだ、と橋谷に小声で聞かれて、コハルは見たままを伝えた。話す間にも、同じことが不規則な間隔で続いている。
電力の復旧にウイルスが勝っているのだ。さすが上層と言うべきか、復旧する術はあるようだったが、その機会を全て潰されている。
それが間に合わなくなって、上層を制御するメインコンピュータにまで達したら――残りはどうなるのだろう。
「上層の電力は持つと思うか」
ゲートを通りながら橋谷が尋ねた。
瓦礫の傍にいる職員たちの周りを小さな光の粒が行き交っている。
今のところ、この付近の電力が落ちているだけのようだ。彼らは指示を受け、忙しなく動き回っている。二人のことなど見えていないかのようだった。
「……分かりません」
そうか、と橋谷は平坦な声で答えた。彼は近くに止めてあったエッグに躊躇わず乗り込んだ。ウイルスは大きな電源を探して通り過ぎるらしく、エッグは無事のようだった。
あっという間に見慣れた通路に出る。通信保安部の本部には電力が通っていた。靄がまだ出ていたことを思えば、ここもいつ消えるか分からない。
「次はここが繭になる」
橋谷がエッグを降りながら言った。大きなボックスの前だった。彼が左手を翳すと、解除音がしてドアが開く。中は倉庫のようだった。
「誰が、何の目的でやったことかは知らないが、爆発は事故ではない」
「……じゃ、じゃあ……」
「どうするのか、も知らない。ただ、どうなるかはお前にも分かるな」
彼はボックスの中にある別のドアの前に立った。端末に反応して、警報が鳴る。
〈通行には許可が必要です。担当の部門へお問い合わせ〉
橋谷が素早くドアの端にある機器に何かを打ち込んだ。音声と警報音が止まり、鍵が開く音がする。
「ドアを押さえていろ。何かあったら言え」
中には扉付きの棚が並んでいた。彼の姿は奥の棚へと消える。それを追うように、光の粒が入って来た。
「通信が、来ます」
橋谷の返事はなく、代わりにドアでしたのと同じ警報音が鳴った。それがすぐに止まる。
奥の方で、彼が応答しているのが聞こえた。
コハルの位置からでは、何を言っているのか聞こえない。再び警報音が鳴って、すぐに止められた。
ガチャガチャと騒がしく音を立てながら、橋谷が戻ってきた。手には何丁かの電気銃とカートリッジを持っている。
彼はそれをコハルに押しつけながら言った。
「見えるのはお前だけだ。繭を見つけたら迷わず撃て。
本部は機械だらけだ。今のところ危険はないと思うが、くれぐれも気を付けろ」
「……はい」
コハルは緊張気味に頷いた。繭は大きく、動かない的だ。だが、そんなに上手くいくだろうか。
橋谷はさっさと倉庫から出て行ってしまう。
いつしか、橋谷がコハルを戦力の一つと考えているらしいことが、彼女を不安にさせた。目のことが判明したとはいえ、コハルの能力が向上したわけではない。
それに――こんなに一度に渡されて、どこに持っていればいいのだろう。すでに一丁、槇に渡されたものがあるのだ。
口を開こうとしたコハルは、倉庫の外で空気が揺れるのに気付いた。
「エッグが停まります。あ……槇さん、相原さんです」
倉庫を出ようとしていた橋谷が、振り返った。コハルは、外です、と付け加える。課長、という槇の声が聞こえた。
「それは、俺にも見えているが……そんなことまで分かるのか?」
彼の顔は、心なしか引き攣って見えた。
「……はい、その……」
「課長、こちらでしたか」
現れた槇と相原は、息を切らしていた。
「どうした、何が緊急だ」
あ、とコハルは声を上げた。
「何だ」
「エッグが……あと、二台来ます。個人用……」
困惑と驚愕がない交ぜになった皆の顔を見て、コハルは身を竦めた。一番外にいた相原が、通路とコハルを見比べる。
エッグから四、五人が降りた。そのうちの一人は、コハルがよく知っている人物だった。
「……松葉さん……が、なんで……?」
はっとした槇が何かを言う前に、彼らは倉庫の入り口に姿を現した。
「通信保安部第十六課、橋谷譲。先ほど下層から戻ったそうだな」
先頭を歩いてきた男が言った。彼は松葉よりも少し年上のようで、制服ではなく黒いジャケットを着ている。
相原と槇がさり気なくコハルの前に立った。松葉はどうやら、その男の後ろにいるようだった。
「そうですが」
「RN318ゲート爆破について、同行を求める」
橋谷が険しい顔で口を開こうとしたのに、被せるように男は続ける。
「今後、発言は全て記録される」
橋谷は男たちを睨んだが、結局、何も言わなかった。槇は口を引き結んでそのやり取りを聞いている。
コハルは妙なことに気がついた。
この辺りには少なかったが、それでもところどころに靄が見える。その靄が、松葉たちの周りを避けているように見えたのだ。
より強い電気を目指したから、と言えばそれまでだ。よく見ていないと違いは分からない。
「薬があるんだ……」
え、と槇がコハルを振り返った。すでに松葉たちの姿は視界から消え、エッグが去っていく風だけが見えた。
「ええと、わたしの言ってること、あってます……」
「そんなわけない!」
叩きつけるように言われて、コハルは驚いて槇をみた。彼は、いつも彼女に冷ややかだったが、こんなふうに言われたのは初めてだった。
ごめん、と彼は硬い表情のまま言った。
「……何を見たのか、教えてもらってもいいですか?」
コハルは、今見たままを伝える。
そんなわけ、と同じことを相原が呆然と呟いた。
「そう、そんなわけない。そんなわけ、ないんです」
「ええと……だったら……」
槇は落ち着こうとするように大きく息を吐いた。
「でも、それしか考えられない」
「そんな、でも」
興奮気味に言葉を続けようとする相原を、槇は手で制した。静かに、と身振りだけで伝える。
コハルには、二人が何を言っているのかさっぱりわからなかった。
「白岡さん、分からないなら、それでいいんです。あなたの言う通り、あのとき手を引くべきでした」
「で、でも、ですが……」
諦めたコハルを叱ったのは橋谷だ。
「その通りです。それが、彼の悪いところだ……私も止めるべきでした」
「で、ですが、このままでは、繭が……」
「なんでわかんねぇの? 無駄だって言ってんだろ、だって」
相原、と、槇がさらに強く止めた。
「だって、こんなのないですよ、課長だって」
「やめろ」
槇はさらに強く言った。
「それ以上言うな。
ここでは絶対に口にするな。
今すぐ官舎に帰れ。
課長がいない今、わたしが指揮を取ることになります。分かりますよね。わたしの命令は絶対です」
相原は、槇を睨みつけていたが、諦めたように息を吐いて、歩き出した。
白岡さん、と槇がコハルを呼ぶ。
「あなたも……おそらく、この前まで使っていた部屋が空いているはずです。総務に言えば鍵がもらえるように手配しますから、待機してください」
「でも……で、ですが、え、課長は……」
「彼なら自分でなんとかします。なんとかするでしょう、自分が蒔いた種ですし」
え、でも、と食い下がろうとしたコハルを、槇は困ったようなどこか疲れた顔で見た。
「人のために働きたい、人を助けるために働きたい、最初にそう言ったそうですね」
「はい、だか……ですから」
「この件で見たこと、そう、あなたが見たことは全て忘れることです。
そうすれば、間違いなく、人のためにあなたの能力を活かすことができる。望んだ通りに働くこともできます。
この件を口外さえしなければ」
でも、とコハルは慌てた。でも今、たくさんの人が困っているのに?
「忘れることです。口にしないことです。そうすれば、下層の復旧にもあなたの力を役立てることができるはずです。
人を助けたい、そうでしょう?」
そうです、と彼女は口の中で言った。だが、それとこれとは、違う気がする。
しかし、コハルにはそれをどう説明すればよいのか分からなかった。ただ、どうして槇が泣きそうな顔をしているのかは、分かる気がした。
ですが、と彼は倉庫の外に目を向けた。コハルもつられてそちらを見る。橋谷たちが去っていった先を。
「これだけは、覚えておいてください。
彼は、あなたを買っていたんです。そうは見えなかったと思いますが。
本当は、すぐに下層に返すこともできたんです。半年の査定まで残したのは、あなたの意志を評価したからです」
コハルは何も答えられなかった。どうしていいのか、本当に分からなかった。
槇は、通路を示す。
「さあ、白岡さんも帰ってください。松葉さんと関わりがあるなら、すでに報告は上がっていると思いますが、悪いようにはならないはずです」
命令です、と槇は厳しい声で言った。
ちゃんと続きます

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