ホラー小説は元気なときしか読めない
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余白の選書
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二冊目は、辻村深月さんの闇祓を読んだ。
(一冊めはこちら)
これ、三冊の選書の中に入っていたのではなく、一冊目に読んだ、はるのこわいもの、のコメントの中にこちらもおすすめですよ、と、書いていただいていたもの。
辻村深月さんのおはなしは、これまでにも読んでいて、闇祓が書店に並んでいるのをみたときから、読みたい!と一度は手に取った一冊だ。
なのになぜ、置いて帰ったのか。
読めない、と思ったからだ。
ホラー小説は大好きなのだが、同時に非常に危険でもある。あれらは、生半可な覚悟で読むと酷い目に遭う。
姉なんかは、ネットで怪談を読むだけで、家のあちこちを鳴らすことができるのだが、わたしの場合は、そういうのではない。気持ちが持っていかれる。
だから、心身ともにエネルギーに満ち溢れた状態でなくてはならない。
ぱちこはほんの少し前まで、本気で心が折れて自分を見失っていた。そんなことはないと、ずっと思っていたのだが、今にして思えば、本気で病んでいた。
今が、単に一時的に浮上したのか、そうではなくて、かつての自分をほんとうに取り戻したのかは、分からないが、この冬を、年末を超えるあたりから、突然、世界が違って見えてきて、息が苦しくなくなった。
それまでは、息苦しくて、世界が澱んでいたことも、今になって知った。
そんなわけで、気になってはいたものの、怖くて読めずにいたのだ。
だから今回、選書の三冊ではないけど、こちらもよいですよ、と言われて、大喜びで本屋の棚から引っ掴んできた次第である。
今なら読める。
なんで、いまなら読めるのわかったの、はるさん。
辻村さんの好きなところは、文章である。とても分かりやすく、誰でも読みやすいのではないか、と思う。
ただ、いつも思うのだが、話の進み方は、人を選ぶんじゃないかと思う。本を読み慣れていて、自分でもそういう書き方をするわたしでさえ、どういうこと……? と面食らう。そこが面白いのだが。
この話も、いい意味で最初から裏切られて、混乱しながら進んだ。もう、最初に裏切られたから、読むだに全部が全部、疑わしくなってしまって、我ながらなんていい読者なんだろうと感心した。
さらに、中毒性が高い。
丁寧に読んで真面目に感想を書くはずだったのに、ちょいちょい何かの合間あいまにいつものように読んでしまって、読んでいない間は次が気になってしようがない。
あっという間に読み終わってしまった。やってしまった。
読み終えて思い出したのは、宮部みゆきさんの火車と、小野不由美さんの屍鬼、それから、貴志祐介さんの黒い家、だった。
とりわけ、わたしは、非常に小野不由美さんが好きなわけだが、いい意味で、あのホラーの雰囲気を色濃く感じた。
実は、お前なにさまやねん、と言われるかも知れないが、辻村さんのお話はどこか、物足りない、もっとダークに書いてくれ、と思っていた。ちょっと、いい人っぽすぎないか? いい話すぎないか?
そういう点で、人間の持つ黒さというか暗さというか、読んでいてときどき嫌になるくらい、本を閉じてどこかに追いやりたくなるくらい、嫌な部分が濃かった。
ホラーを好むわたしとしては、もっと闇に寄っていただいても構わない。
春のこわいもの、の記事でも触れたように、人にとって何が正しいのかは、いつもどこかで歪んでいく。
あちらは、その歪みが表面化するほんの少し前の危うさだとしたら、これは、完全に歪んで、歪んでしまったからこそ、何が正しかったのかわからなくなったところだ。
お話では、お話だから、きちんとホラーとして、仕組みがあって「とかれる」部分が作られている。だけど、本当はどうだろう。
現実にはこんなこと、当たり前にあるんじゃないか。それが、何よりも怖い。
いい人の顔をして、正しさの皮をかぶって、相手を批判したり貶めたりすることは、ざらにある。あなたもわたしも、加害者であり被害者である。加害者にならぬようにすれば、もう何も言えないこともある。
「正しいこと」と正しいことの間は、やっぱり歪んで捻くれているから。
ちなみに。
会社で昼休みに読んでいたら、この方が、パソコンの向こうからわたしをずっと見ていた。フィクションと現実が相まって、異常にシュールだったことをお伝えしておく。

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