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須賀川桜紀行~長沼地区編

さて、肝心の桜です。
日曜日に向かったのは、須賀川市長沼地区。
なぜわざわざ「地区」の名称をつけるかというと、以前は、岩瀬郡長沼町という、全く別の自治体だったからです。
元々別の自治体なので、地元民感覚では「長沼に行く」というと、やや遠出するイメージかもしれません。
そんな長沼地区ですが、調べてみると、何気に隠れた名所が多い場所でもあります。しかも山間にある地区のためか、「THE 観光スポット」という感じでもなく、ゆっくり見回るのには丁度いいかもしれませんね。

さて、ながぬまさくら紀行スタンプラリーですが、長沼地区にある9つの桜の名所を訪れよう、というもの。
9箇所の名所は、次の通りです。

1. 古舘のサクラ
2. 長楽寺のサクラ
3. 岩崎山史跡公園のサクラ
4. 護真寺のサクラ
5. 横田陣屋御殿桜
6. 兎内のサクラ
7. 長沼城址のサクラ
8. 永泉寺のシダレザクラ
9. 藤沼湖のサクラ

これらの名所のうち、訪れたのは、3~5の桜。3箇所が同じ地区にあるので、割と訪問しやすい印象ですね。
もっとも、よく訪問させて頂く太田屋菓子店さまのある場所が、木之崎地区。ここが須賀川市街地からの実質的な入口で、横田地区は、その西に隣接する地区です。距離にして、太田屋菓子店さまから約4km程でしょうか。

岩崎山史跡公園のサクラ

実は、今回初めてこの公園を知った次第です。公園の遊歩道の途中には、「松山城跡」という案内があり、帰宅後、ネットで調べてみました。

各種文献などで確認されているのは、次のような記録です。

$$
\def\arraystretch{1.5}
\begin{array}{l|l|l}
\textbf{年代}& \textbf{出来事}\\ \hline
天文6年(1537年)&葦名盛氏が二階堂照行領であった松山城を攻撃。\\ \hline
永禄5年(1562年)8月& 田村氏が攻め落として入城したが、その後、二階堂氏によって奪い返された。\\ \hline
永禄9年(1566年)& 葦名盛氏・盛興父子が松山城より横田館を攻め横田氏を捕えたという。\\ \hline
\end{array}
$$

戦国大名に詳しい方ならば、ひょっとしてご存知かもしれませんが、ここで言う「二階堂氏」というのは、須賀川及び岩瀬地方を中心に支配していた、戦国大名です。

画像出典元:http://miharu-megohime.com/read/read02.php

長沼地区は現在でもそうですが、会津地方への入口の一つ。
そんなわけで、松山城(奥州松山城とも)は、要害の地として重視されていたのでしょう。
実際に歩いてみると、文字通り「山城」^^;
昨年12月に訪問した二本松の霞ヶ城もかなり足腰に来ましたが(苦笑)、こちらはもっときつかった……。

展望台にはこんな看板がありました。

余談ですが、私がお付き合いのある太田屋菓子店さまの中の人(Twitterのアカウント主)によると、学生の頃に訪れた際も、息を整えつつ登ったそうです。

展望台からの眺望は、場所を変えればまずまず。

昔の人は、健脚でないと城には努められなかったのでしょうね。
あくまでも想像になりますが、江戸時代になってからは、後で登場する「横田陣屋」が行政の中心だったのかもしれません。

この公園は、ヤマザクラが多かったのが印象的でした。

下山中、目についた枝をズームアップ。

ソメイヨシノとの見分け方ですが、ヤマザクラは開花と一緒に、葉が出てくるのが特徴的です。
城跡及び多くの供養塔があるということで、夜桜見物はためらいますが(苦笑)、歴史好きな方には、たまらない公園かもしれません。

横田陣屋

自転車を走らせ、次は横田陣屋に向かいます。
もっとも、Googleマップで計測したところ、岩崎山史跡公園から700mしか離れていないので、まずまずご近所といったところでしょうか。

ところで、この「横田陣屋」の名称についてです。
どうも、江戸時代に溝口氏が元禄11年(1698年)に、この地に|交代寄合として、岩瀬郡に5000石を拝領し、横田陣屋を築いたのがその始まりだそうです。
交代寄合とは、江戸幕府における旗本の家格の一種。ざっくり言うと、直接領地に赴き領地の管理をする旗本の役職で、大名と同等の権限を持っていたとのこと。

溝口氏とは?

甲斐源氏の庶流で、元々は、尾張国中島郡溝口郷に土着したことから、溝口氏を名乗るようになりました。
歴史的なところで言うと、織田信長の配下であった丹羽にわ長秀ながひでに仕え、その後豊臣秀吉政権下では堀秀政の与力よりきとなり、慶長3年(1598年)には新発田しばた藩(新潟県)6万石を拝領。

溝口氏の本家は新発田藩ですが、その傍流として横田溝口家が幕末直接の家臣として、領地を管理していたのですね。

Wikiの情報を頼りに、江戸時代の横田溝口家の支配地域を調べてみましたが、地図で確認しようとしたところ、複雑でお手上げ^^;
ざっくり述べると

合併以前の須賀川市西部地区
旧岩瀬村の一部
旧長沼町町の一部

の15村(郷)を差配していたようです。

旗本というと、どうも幕末のイメージから貧しいイメージがありましたが(苦笑)、ピンからキリまでの格があり、横田溝口家は、旗本の中ではかなり上位の旗本だったのですね。
それだけ勢力を持っていれば、御殿もさぞ立派なものだったのでしょう。

案内板によると、エドヒガンの枝垂れ桜で、

樹高:12m
根回り:3.5m
推定樹齢:300年

とのこと。
尚、現在でも一般の方が居住しており、実は横田陣屋跡地は私有地です。
県内でもよく知られている古木なのですが、マナーを守った観覧をしたいものですね。

御殿桜の奥にも、もう一本、しだれ桜が咲いていました。
こちらも綺麗ですね😊

そんなわけで、地元では有名な「横田陣屋御殿桜」でした。

護真寺

俳句の記事でも少し取り上げましたが、護真寺は臨済宗円覚寺系のお寺です。
お寺が開かれたのが1351年ですから、「古刹」と呼ぶのに相応しい寺院ではないでしょうか。

須賀川市街地にある普応寺ふおうじの末寺で、隠元いんげん禅師(臨済宗の高名な法師)の法弟、本禅等択和尚が開山したと伝えられています。
本堂には県指定重要文化財の「木造宝冠釈迦如来像」が安置されており、本堂もなかなか立派な建物です。
今回は桜見物だけで終わりましたが、由緒あるお寺なのですね。

参道入口にて。

本堂への参道もしっかり残されており、小規模でありながらも、昔から地域の心の拠り所だった様子が伺えます。
ここで、郡山からいらっしゃったという男性二人組と出会い、よもやま話に花が咲きました。

お一人は画家の方で、もうお一人の方は釣りを嗜むのだとか。
特に画家の方は、俳句に親しまれていた時期があったそうで、俳句結社の活動の様子なども教えて頂き、実りの多い時間を共にさせていただきました。

本堂前の石段より、振り返って参道を見下ろしてみました。

こちらが、参道を登ったところにあるしだれ桜。奥に本堂が見えますね。

護真寺のしだれ桜は、県内では三春の滝桜に次ぐ樹齢のしだれ桜だそうです。

樹高:12m
幹周り:4.5m
根回り:6.3m
推定樹齢:450年

下から見上げると、まるで巨大な花傘のよう。

なお、画家の方から土蔵脇にあった地蔵について、「この地蔵は、珍しい地蔵なんですよ」と教えていただきました。
境内の一角にあったお地蔵様ですが、仏像に詳しくない私は、地蔵尊の名称を覚えていません。(苦笑)。
仏像に詳しい方に、どのような地蔵尊なのか、いつか伺ってみたいものです。

道中は、手前に菜の花(もしかしたらカラシナもしれません)、奥に桜と田舎道ならではの光景が広がりました。
これが、4/10のお話です。
この後、自宅に戻らずに夜桜見物と洒落込んだのは、須賀川市街地を流れる釈迦堂川の堤防に植えられた桜。
須賀川市街地のお花見スポットの一つでもあります。

市街地編は、また改めて!

©k_maru027.2022


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