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泪橋~破綻(2)

 そこからの美濃守の行動は素早かった。早速岩間館に使いをやり為氏を呼んでくると、「家臣一同の意」として、三千代姫の離縁を申し出た。
 案の定、為氏は顔色を変えた。その目には、怒りの色が強くきらめいている。
「馬鹿を申すな!」
 為氏の怒号は、岩間館にいる三千代姫のところまで聞こえるのではないかと思われるほどのものだった。
 だが、美濃守も一歩も譲らない。
「鎌倉には、どのように申し開きをするおつもりですか。須賀川の税は全て治部大輔殿の懐に消え、城下には怪しげな者を招き入れている。さらに、京の都に働きかけて己が岩瀬の太守となろうとしている様子」
 今、都の幕府と鎌倉府ははっきりと敵対関係にある。為氏らを始めとして、須賀川の二階堂一族の多くは鎌倉方に従っているから、治部大輔の身勝手な振る舞いは、岩瀬の二階堂一族全体の浮沈にも関わってくるのだった。場合によっては、岩瀬二階堂氏全ての所領を取り上げられかねない。
「御屋形が御台をお庇いになればなるほど、他の者を窮地に立たせているのがお分かりになりませぬか」
 為氏とは対照的な冷徹とも言える美濃守の言葉に、図書亮も身が縮む思いだ。だが、美濃守の言っていることも真理だ。為氏が三千代姫のために治部との対立を先延ばしにするほど、他の者たちは窮地に追いやられていく。
 さらに、美濃守は容赦なく言葉を浴びせていく。
「殷の紂王は妲妃に迷ったために、世の中が乱れたというのはご存知であろう。周の幽王は褒姒を愛して国を傾け、楊貴妃は皇帝を悩まし、西施は呉を滅ぼしました。それも、広く知られるところでございます」
 淡々と告げているだけなのだが、それだけに美濃守の言葉は迫力がある。
「そなたらは、私が御台に誑かされていると言いたいのか」
 為氏も、いつになく本気で怒っている。今まで家臣たちが陰でそう囁き合っていたのを、強いて聞き流してきた鬱憤が爆発したのだろう。
「速やかに御台を須賀川へ送り届けなさいませ」
 安房守も主に畳みかける。だが、まだ為氏は首を縦に振らない。
「御屋形。このまま二階堂家を滅ぼすおつもりですか」
 再びの美濃守の言葉に、為氏の表情が動いた。治部大輔の横暴のために、二階堂一族が窮地に追いやられているのは事実である。
「今、二階堂の者らが内々で乱れていると田村に知られてみよ。たちまち宇津峰を越えて、当地に攻め込んでまいろう」
 二階堂と田村氏は、古くからの因縁がある。それは東衆や西衆に関係なく、共通の敵なのだった。
「田村だけではございませぬ。安積の伊東もこちらの様子を伺っております。先日、二本松の畠山殿から伊東への岩瀬の地の分領の相談の文が参りました」
 守屋筑後守も、彼なりに三千代姫を追放したい理由があるようだった。彼の領地である守屋の北部は、伊東氏の治める安積郡と接している。奥州探題である畠山氏から筑後守のところに内々に使いが来たということは、伊東氏も岩瀬の地を狙っているということだ。万が一治部大輔と伊東氏が組んだ場合、伊東氏に真っ先に狙われるのは北部である。
「だが、御台に罪はあるまい」
 黒月が一度は美濃守に向けた非難を、為氏も口にした。
「何もしないことが、罪なのでございます」
 そう言い切ったのは、遠藤雅楽守だ。
「先年の出水のときは、須賀川の城には糧食が有り余るほどだったと、うちの西牧がその目で確かめておりました。治部殿はそれを我が物とし、岩瀬の民を救おうとなさらなかった。御台の兄上が届けて参ったのは、御台のお身内分のみ。御台が誠に和田を始めとするこの地の民を思うならば、お父上にさらに談判を重ねるべきでした」
 さらに、と雅楽守は残酷な言葉を続けた。
「恐れながら、一向に和子誕生の気配がございませぬ」
 あからさまな指摘に、普段だったら誰かがたしなめたのだろう。だが、この場合の和子は、ただの子供ではない。和田衆と須賀川衆の和平の象徴だった。そもそも、治部大輔がのらりくらりと城の引き渡しを拒む理由の一つに、娘夫婦の子供の養育場所も整えて迎え入れたいというのも、含まれていたはずだった。その前提となる子供すらできる気配がないのは、話が違う。雅楽守はそう言いたげだった。
「三年経っても未だに子に恵まれないのならば、御台の御身体に差し障りがあると考えるのが自然でございましょう」
 雅楽守の残酷な指摘に、為氏が黙り込んだ。
「ここは一旦御台を須賀川に送り返し、須賀川に兵を差し向けて完全に我らが掌中に納めましょう。それで治部殿が降伏されれば、改めて姫をお迎えされても良いのではございませぬか。まさか、治部殿も娘を手にかけるような真似は致しますまい」
 遂に、現在の二階堂一族の長老格である山城守までが、それを口にした。いずれにせよ、為氏と治部大輔の対立を避けるのは、もう無理なところまで来ていた。その決定的な出来事となったのが、あの出水だった……。
 そこへ、源蔵が駄目押しとばかりに告げた知らせも、為氏の覚悟を決めさせるのには十分だった。
「先日、浜尾の者が古舘に助けを求めに参りました。その者によると、民部大輔殿の屋敷の門は堅く閉ざされ、いずこにか逐電された由」
「伯父上が……」
 今度こそ為氏の顔色が、変わった。領主が領民を見捨てていったとなれば、外聞が悪いだけではない。民部はあろうことか、為氏に味方することも治部大輔につくことも出来ず、何処にか落ち延びていったのだった。
「信じられん」
 山城守の左手に座っていた矢田野左馬允が、頭を振っている。図書亮も民部が優柔不断な御仁だとは感じていたが、ここまで意気地がないとは思わなかった。
 それから、筑後守はちらりとこちらに視線を寄越した。
「あの伊藤左近という者も、とうに須賀川から逐電したと知らせが参った」
 あまりにも立ち続けに「治部討伐」の理由が持ち上がるものだから、筑後守の知らせにも、図書亮は首を竦めるに留まった。主夫妻の婚姻成立の後、左近は便り一つ寄越さなかったから、彼の逐電はある程度は予想していた。恐らく、須賀川の内紛が当初の予想よりも長引いている様子を見て、我が身に火の粉が降りかかるのを恐れ、縁戚の伊東氏の元へでも駆け込んだのだろう。乱世だから左近の振る舞いも不思議ではないのだが、やはり腹は立つ。
 次々と家臣が揃って為氏に詰め寄るのを、図書亮は目を伏せて聞いていた。図書亮自身は主夫婦に好意的であったとしても、とても庇い切れるものではない。
 遂に、為氏が「筆と墨を持て」と小声で命じたのを聞くと、図書亮はそれ以上その場に留まる気にもならず、席を立った。

©k.maru027.2023

>「破綻(3)」へ続く

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