東京外道外伝①高杉康成:第3話「冷徹な覚醒、そして狂気の理由」
1. 昭和の残影と、背伸びの煙
M市の指定された待ち合わせ場所。寒風が吹き抜ける歩道の脇に自転車を止め、ポケットに手を突っ込んで待っていると、静まり返った冬の空気の向こうから、徐々にその音が近づいてきた。
「バチバチバチバチ……!」
原チャリ特有の、マフラーを改造した耳障りな排気音が夜の街に響き渡る。音の主は、予想通り高杉だった。 原チャリのシートには高杉が、そしてその後ろには、当時の言葉で言えば「ヤンキー女を絵に描いたような」風貌の少女が、器用にバランスを取って同乗していた。脱色された明るすぎる髪に、きつめのメイク。だぼだぼの派手なスウェットに身を包んだ彼女は、俺たちの通う中学校にはまず存在しないタイプの人間だった。2・3個上の不良の先輩たちの周りに、たまにこういう雰囲気の女性がいるのを見かけることはあったが、俺たちと同年代、つまり中学2年生でこれほど「仕上がっている」女子は、見たことがなかった。
原チャリが俺の目の前で止まり、高杉がエンジンを切った。 「おう、憲ちゃん。待たせた?」 「……いや、別に」 俺が少し気圧されながら答えると、後ろに乗っていた彼女がシートから滑り降りるようにして地面に立ち、俺の顔を見て小悪魔的に笑った。 「ゆかりっていいます。よろしくね」 「おう……よろしく」 彼女の物怖じしない態度に、俺はますますドギマギしてしまう。
俺は高杉に視線を戻し、小声で尋ねた。 「高杉、この子……誰?」 「あ、これ? 俺の女だよ」 高杉は何でもないことのように、さらりと言ってのけた。 「マ、マジで? お前、もう彼女いんの?」 思わず声を裏返して驚く俺を見て、高杉はニヤニヤと笑いながら言った。 「なんだよ、憲ちゃんはいないんかよ」 「まあ……な」
そりゃあそうだ。当時の俺なんて、不良の真似事をして背伸びをしてはいても、中身はまだ女子と手を繋いだことすら一度もないような、ただの青二才のガキだったのだ。同い年で「自分の女」を連れ回している高杉の姿は、それだけで俺たちとの間に横たわる決定的な距離を感じさせるのに十分だった。
そこから自転車を押して歩くこと数分、高杉の案内でたどり着いたのは、彼の自宅だった。 それは、昭和の時代によく見かけたような、ひどく古びた木造の一階建ての平屋だった。周囲の新しい住宅から取り残されたように、ひっそりと佇んでいる。
「入りなよ」 高杉に促されて一歩足を踏み入れた瞬間、独特の空気感が俺の鼻腔を突いた。 充満していたのは、安いたばこの煙の臭い。そして、当時ヤンキーたちの間で大流行していたムスク系の芳香剤のツンとした香り。しかし、それだけではなかった。その奥から、何か人間の生活臭というか、どこかで嗅いだことのあるような、どことなく淀んだ、饐(すえ)た臭いが混ざり合っているのを感じた。
高杉は居間の座布団に腰を下ろすと、ポケットから手慣れた手つきでたばこの箱を取り出し、一本を俺に差し向けてきた。 「吸う?」 「……おう」
実は、俺もすでに学校外ではたばこを覚え始めていた。そしてこの日、高杉に会うにあたって、「俺もガキのままじゃない」という奇妙なアピールと、彼に対する精一杯の背伸びを込めて、咄嗟にたばこを自分で買い、ポケットに忍ばせて持ってきていたのだ。
俺は自分のライターを取り出し、カチッと火を点けて煙を吸い込んだ。紫煙が薄暗い部屋の天井へと上っていく。互いに煙を吐き出し、部屋の空気がさらに白く濁ったところで、俺は本題を切り出した。
「高杉……お前、マジで変わったな。あの夜のこともそうだけどさ……。あれからの話、聞かせてくれよ。茨城に行ったときの話……。そして、なんで今、東京に戻ってきて、あんな学校を震撼させるようなヤンキーになっちまったのか」
しばらくすると、ゆかりが「じゃあね」と軽い調子で家を出て行き、部屋の中には俺と高杉、二人だけの空間が戻ってきた。小学校のあの下校時間のような、だけど決定的に何かが違う、静かで濃密な時間が流れる。
高杉は灰皿に灰を落とし、遠い目をして、ゆっくりと語り始めた。
2. 裸足の絶望と、椅子の衝撃
「あのさ……あの日、俺は茨城のじいちゃんの家に預けられたんだ」
高杉の声は、あの夜の冷酷なトーンではなく、どこか寂しげな響きを帯びていた。 「そこから近くの小学校に通い始めたんだけどさ……。まぁ、案の定っていうか、いじめを受けたんだよね」
高杉のその言葉を聞いたとき、俺の胸に突き刺さるものがあった。本心を言えば、俺だって「その可能性は十分にあるな」と納得していたからだ。小学校4年生の時、初めて俺たちのクラスにやってきた高杉の、あの不気味なほどの無口さと、何を考えているか分からない独特の空気。俺だって最初は「なんだこいつ」と恐怖や違和感を覚えたのだから、見知らぬ土地の、見知らぬ学校の連中からすれば、格好の排除対象、あるいは格好の標的になったであろうことは容易に想像がついた。
「最初は言葉のからかいとか、そんなもんだったんだけどさ。エスカレートしていったのは、6年生の夏休みが過ぎた頃だった」
高杉は淡々と語る。その静けさが、逆に生々しかった。 「ある朝、学校に行って下駄箱を開けたらさ……俺の上履きがなかったんだよ。どこを探してもない。周りを見渡しても見つからねえから、仕方がなく、裸足のままクラスの教室に向かったんだ」
高杉が教室の引き戸を開けた瞬間、待っていたのは地獄のような嘲笑の嵐だったという。 教室の真ん中にいた連中が、裸足で立ち尽くす高杉の姿を見るなり、一斉に声を張り上げて指を差した。
『おい、見ろよ! 親無し裸足が来たぞ──!!』
クラスの連中が、声を高々にシンクロさせて、高杉を笑いものにしたのだ。 「親無し」。交通事故で両親を亡くした、高杉が最も触れられたくない、そして子供の力ではどうしようもない絶対的な悲劇を、彼らは残酷な凶器として civilian(日常)の場へ引きずり出した。
「本当に、辛かった。学校なんて、一歩も行きたくなかった。だけどさ、引き取ってくれたじいちゃんにこれ以上迷惑をかけたくなかったし、心配させたくなかったから……俺は毎日、じっと我慢して通い続けたんだ」
高杉の小さな拳が、ズボンの上で白くなるほど強く握りしめられる。 「でもさ、人間の我慢って、ある日突然、限界が来るんだよ。……それは、じいちゃんが誕生日に買ってくれた、新しい筆箱を学校に持っていった日だった」
昼休み、高杉がトイレに行って教室に戻ってくると、自分の机の中にあったはずの、その大切な筆箱が消えていた。嫌な予感がして、教室の後ろやゴミ箱の周りを探し回ると、それは信じられない姿で見つかった。 クラスのいじめの主犯格たちの手によって、ズタズタに切り裂かれ、落書きをされ、原形を留めないほどにボロボロに破壊された筆箱が、床に転がっていたのだ。
両親を失った自分を、不器用ながらも必死に支えてくれようとしている祖父の優しさ。その象徴でもあった大切な筆箱が、ゴミのように無残に破壊されているのを見た瞬間──高杉の中で、何かが、完全に「パチン」と音を立てて弾け飛んだ。
「そのボロボロになった筆箱を見た時さ……俺の中で、何かが完全に変わったんだよ。『あ、こいつら、殺そう』って」
高杉の瞳の奥に、あの夜、空き地で白井先輩を殴り続けていた時の「漆黒の光」が宿る。 「こいつらが、二度と俺に対して何も言えないようにしてやる。そのためには、何をすればいい?……俺は、考えるより先に動いてた」
高杉は、クラスの「ボス」的な存在であり、いじめを先導していた男の机の前に歩み寄った。そして、何も言わずに、木製の学習椅子を両手で持ち上げた。 周囲が「何だ?」と気づく間もなく、高杉はその椅子を、ボスの頭めがけて全力で振り下ろした。
「ガツン!」という衝撃音とともに、ボスが悲鳴を上げて床に倒れ込む。しかし、高杉の身体は止まらない。倒れた相手の顔面に、背中に、何度も、何度も、文字通り「何度も何度も」椅子を狂ったように叩きつけ続けた。 教室の中は一瞬にしてパニックになった。床は血だらけになり、周りの女子生徒たちは悲鳴を上げて泣き叫び、男子たちは恐怖で教室の隅へと逃げ惑った。それでも高杉は、悪鬼のような形相で、ただ無言で椅子を振り下ろし続けた。
「その時のことさ、不思議と記憶がほとんどないんだよね。気づいたときには、駆けつけた先生たちに体を押さえつけられて、職員室に連れて行かれてた」
殴られた生徒は重傷を負い、全治2ヶ月から3ヶ月の大怪我でそのまま病院へと入院した。当然、大問題になり、警察や教育委員会が動く一歩手前までいったという。しかし、事の経緯──両親を亡くした高杉に対する執拗ないじめ、上履き隠し、そして祖父が買った筆箱の破壊という凄惨な事実を知った学校側や、相手の親も、自分たちの非を認めざるを得なくなった。結果として、この件は「足して二で割る」ような形で、両成敗という扱いで処理された。
事件から3日後、高杉は再び学校に登校した。 腫れ物に触るような視線の中、高杉が教室に入ると、信じられない光景が待っていた。これまで高杉の存在を無視し、あるいは一緒になっていじめていたクラスの連中が、怯えたような、しかし同時にこれ以上ないほど「愛想の良い」笑顔を浮かべて、競うように声をかけてきたのだ。
「あ、康成くん、おはよう!」 「元気? 昨日は大変だったね……」
「……それがさ、めちゃくちゃ心地よかったんだよ」 高杉はたばこの煙を吐き出しながら、フッと不敵な笑みを漏らした。 「あぁ、そうか、って分かったんだ。言葉でいくら言っても無駄だけど、容赦なく、相手が壊れるまで叩きのめせば、周りは勝手に俺になびく。俺に恐怖して、俺の言うことを聞くようになるんだって。身をもって理解しちゃったんだよね」
この日を境に、かつての無口で静かだった少年・高杉康成は死んだ。 彼は圧倒的な暴力の力を信奉する、「お山の大将」へと修羅の道を歩み始めたのだった。
3. 地域に響く悪名と、鍵の開いた部屋
小学校を卒業し、高杉は地元の公立中学校へと進学した。 その中学校は、茨城のその地域の中でも、不良の巣窟として「かなり名が通っている」ことで有名な、荒れた学校だった。 当然、小学校の終わりにクラスのボスを病院送りにした高杉の悪名は、入学前から中学校の2年生や3年生といった上級生たちの耳にも届いていた。
「入学式の初日からさ、早速3年の先輩たちが俺のところにやってきてさ。『お前、調子乗ってたら殺すからな』って、胸ぐら掴まれて脅されたんだよね」
しかし、高杉は動じなかった。彼はかつての「無口」を、今度は「不気味な沈黙」として利用した。先輩たちの脅しに対して、表情一つ変えず、一言も発さずにただ相手の目をじっと見つめ返す。その異様な眼力に気圧されたのか、上級生たちも「チッ、不気味な奴だ」と吐き捨て、その場は何も起きずに終わった。高杉は1年にして、早くも誰の手にも負えない独自のポジションを築きつつあった。
だが、中学1年生の夏休み、高杉をさらなる悲劇が襲う。 両親を亡くした彼を、深い愛情で引き取り、育ててくれていた唯一の肉親であるおじいちゃんが、突然亡くなってしまったのだ。
「両親が死んでさ、憲ちゃんと別れて、茨城でようやく新しい生活に慣れて、精神的にも立ち直りそうだった時だったからさ……。あの時は、本当に応えた。世界で俺は、完全に一人ぼっちになっちまったんだって、果てしない悲しみが湧いてきたよ」
その悲しみと孤独は、高杉の中で涙として流れ出ることはなかった。それはすべて、周囲に対するどす黒い「怒り」と「攻撃性」へと変換されていった。
夏休みが終わり、新学期が始まった。 孤独の塊となった高杉は、以前よりもさらに狂暴さを増していた。ある日、些細な小競り合いから同級生と喧嘩になった。高杉は小学校の時と同じように、相手が許しを請うても一切手を緩めず、容赦なくぶちのめして病院送りにした。
しかし、今回の相手には誤算があった。 ぶちのめした同級生には、同じ中学校の3年生に、学校の不良グループの幹部をやっている「兄貴」がいたのだ。 自分の弟をボコボコにされたその兄貴は、怒り狂い、単独ではなく数名の凶悪な上級生を引き連れて、高杉の元へと襲撃を仕掛けてきた。
「さすがにさ、その時は多勢に無勢で、俺もボコボコにされたんだよね。手も足も出なかった」 高杉は、自分の顔の傷を指でなぞりながら言った。 「まぁ、殴られるのはいいんだよ。不良の世界だからさ。だけど……あいつら、俺が首にかけてた、じいちゃんの形見のネックレスを、無理やりちぎり取ってさ……ドブの中に捨てやがったんだ」
高杉の目が、一瞬にして据わった。部屋の中の空気が、急激に冷え込んでいくのが分かる。 「そこで、俺の頭の中で何かが完全に切れた。怒りが、どうしても止まらなくなった」
高杉の恐ろしいところは、力任せに暴れるだけでなく、冷徹な計算ができる点だった。 まともに正面から挑めば、相手は3年生の集団だ。返り討ちに遭うのは目に見えている。だから高杉は、仕返しをするために「やった奴らが一人になるタイミング」を、獰猛な肉食獣のようにじっと見計らった。
学校の帰り道、あるいは夜の街。一人で歩いている上級生を、物陰から一人ずつ、文字通り「一人ずつ」確実に襲撃し、お返しとして徹底的に叩きのめしていった。 一人、また一人と、3年の不良たちが1年の高杉に闇討ちされて病院に送られていく。 当然、3年生のグループ内にも強烈な警戒心と恐怖が走った。 「あの1年の高杉って奴、ヤバすぎる……」
標的である「ボコった同級生の兄貴」は、高杉の復讐を恐れ、常に5〜6人の集団で行動するようになり、一切一人になる隙を見せなくなった。 (これじゃあ、外ではやれねえな……) そう思った高杉が取った行動は、常人の発想を遥かに超越していた。
外でやれないなら、家に乗り込めばいい。
高杉はまず、すべての発端となった同級生(病院から退院してきた弟の方)を待ち伏せし、胸ぐらをつかんで極限まで脅しをかけた。 『お前、お前の兄貴が、家に一人でいる時間帯を俺に教えろ。……もし、このことを兄貴や他の奴に一言でもチくったら、どうなるか分かってるよな?』
高杉の圧倒的な狂気に完全にビビり、精神をへし折られていた同級生は、自分の身を守るために、実の兄を売った。 「〇曜日の夕方、親も俺もいないから、兄貴が一人で家にいる……」
約束の曜日、同級生に家の鍵をあらかじめ開けさせたままにさせ、高杉は片手に金属バットを隠し持ち、その自宅へと足音を忍ばせて侵入した。 廊下を静かに進み、兄貴がいるという2階の部屋のドアを、勢いよく蹴破って突撃した。
『あ? お前、何しに──』 間抜けな声を上げる兄貴の顔面に、高杉は問答無用で金属バットをフルスイングで叩き込んだ。 そこからは、密室での凄惨な処刑だった。形見のネックレスを捨てた男に対する高杉の憎悪は、その部屋を血の海に変えるまで収まらなかった。兄貴を完全に、二度と立ち上がれないほどにボコボコにしてやったのだ。
「その噂がさ、次の日には学校中に響き渡ってさ。3年の頭の奴らも、誰も俺に文句を言えなくなった。簡単に言えばさ……俺、1年でその荒れた中学校を完全に仕切っちゃったんだよね」
高杉は、まるでおもちゃを手に入れた子供のような無邪気さで、ケタケタと笑ってそう言った。
話を聞き終えた俺は、背中に冷たい汗が伝わるのを止められなかった。 小学校時代の悲劇、茨城での壮絶ないじめ、そして唯一の味方だった祖父の死と形見の破壊。彼を怪物へと変貌させた引き金と、その狂気のグラデーションは、高杉の口から語られたことで、これ以上ないほどはっきりと理解できた。彼が昼間、ためらいもなく先生を金属バットで殴るような人間に成り果てた理由も、すべてが繋がった。
しかし、一つの疑問が、まだ俺の頭の中に残っていた。
「……事情は、なんとなく分かったよ。お前がそこまで狂っちまった理由もな。でもさ、高杉……」 俺は、灰皿の吸い殻を見つめる高杉の横顔を真っ直ぐに見据えた。 「だったら、何で今、お前は茨城を離れて、この東京に戻ってきたんだ? なんで今、俺たちの街のすぐ隣にいるんだよ?」
高杉は、持っていたたばこを灰皿に強く押し付け、ゆっくりと顔を上げた。その表情に浮かんでいたのは、先ほどまでの勝ち誇ったような笑みではなく、何か、言葉にできないほどに昏(くら)い、深い闇の色彩だった。
第四話に続く。
いいなと思ったら応援しよう!
最後までお読みいただきありがとうございます!「面白かった」「次も期待している」と思っていただけましたら、缶コーヒーや煙草を1本差し入れる感覚でサポートを頂けますと励みになります。頂いた応援は、当時の戦友との答え合わせや、次なる濃い実録を執筆するための軍資金にいたします!