岡山を切り撮る人「K-style」って...? ❘ 自己紹介
どうもはじめまして、K-styleです。
このnoteは有料ですが、
最後まで無料で読むことができます
主にInstagramやTikTok、Threadsなどのショート媒体で発信をしながら岡山県を拠点として活動しています。



穴場スポット
ありがたいことに、趣味で岡山県を切り撮って発信してたら、たったの3年ほどでSNSだけで生活できるくらい人生が変わりました。
しかも全てがiPhoneによる撮影なので、高いカメラ機材や難しい編集などはしてなくて初期投資もほとんど掛けてません。(今はMacBookAirを使って編集していますが、これはnoteからの収益のみで購入したものなので初期投資には含まれていません。)
それでも、Instagramは7万人、TikTokは4.3万人、Threadsは1.7万人以上となり…

現在は自由気ままに風景を撮影しながら、好きな場所で好きなことをしながら旅をするように生きています。
…が、ここまで来るのにはいろいろな変遷がありました。
基本的にはセミナーやスクールなどにはいっさい入らず、独学でSNSを学び、実践と経験を繰り返して、さまざまなアカウント構築方法や運用方法を独自の視点で研究し「 仮説と検証 」を繰り返してきました。
その独自の運用方法を体系的にまとめた処女作のnoteがこちらです。
全3万5,000文字からなる超大作で、この記事の作成には約1年半ほどかけて制作しました。
もともとは全くの無名で、撮影のスキル、SNSのノウハウ、活動資金がすべてゼロの状態で発信を始めました。(収入も0でしたし、なんなら借金もあったのでマイナスからのスタートです。)
そんな僕が、今では岡山県内であればそこそこ名前を知っていただけるくらいの知名度になり、様々な企業の方からお声がけいただいたり、ありがたいことに地元地域の方々やフォロワーさんからも少しずつ応援していただけるようになりました。(認知度はそこそこですが、影響力はまだまだです。汗)
岡山県を切り撮る発信活動を始めてからは、あまり自分のことは話さずにひたすら愛すべき地元である岡山の魅力を多くの人に届けることに注力してきたので、改めて詳しい自己紹介をしたいと思い、このnoteを執筆しております。
ということでますは簡単なプロフィールから
プロフィール
活動名:岡山を切り撮る人(K-style)
生まれ:1990年3月30日 21時46分 出生時の体重1,972gの未熟児
出身 / 拠点:岡山県倉敷市
18歳まで倉敷で育ち、大阪で6年、東京で約7年間、プロマジシャンとして活動。コロナ禍に東京から三重県伊勢市に移住して2年間過ごしました。
この時、収入が一度完全にゼロになるという挫折を経て、地元・倉敷へUターン。マジシャン時代に培った観客心理の研究、緊張と緩和の構造設計、そして認知科学の理論をSNSに応用し、現在は総SNSフォロワー数が13万人以上となり、“岡山県内でも最大級のSNSメディア”を運用。
約10ヶ月でInstagramフォロワー2.3万人に到達。県内に万垢アカウントがひしめくなか、後発ながら「風景系」というジャンルで岡山の景色だけを切り撮り続け、参入から2年半という異例の速さでフォロワー数・総再生回数ともに県内No.1を記録。今では県内トップクラスの発信者の仲間入りを果たしています。
マジシャン時代
プロのマジシャンとして活動していると、たぶん100万回は聞かれてきた質問があります。
それは「マジシャンになったきっかけは?」というものです。
きっかけは、高校2年生の終わり頃までさかのぼります。たまたま教育実習で来ていた若い先生が、放課後に見せてくれたマジック。あの数分間が、僕の人生の進路をまるごと変えてしまいました。
もともとテレビの前でマジックを眺めるのは好きで、漠然とした憧れはありました。ただ、本音を白状すると、動機はもっと不純なものです。
もともと承認欲求が人一倍強くて、「たくさんの人にチヤホヤされたい」「女の子にモテたい」という、我ながら邪な心が出発点でした。笑
そんなタイミングで、目の前でマジックを見せてくれる先生が現れました。しかも幸運なことに、そのやり方まで教えてもらえたんです。僕はそこでマジックにのめり込んでいき、「将来はマジシャンになる」と周囲に宣言して、実際にその夢を叶えることになります。
けれど、好きなことで食べていく、生活を成り立たせていくというのは、そんなに甘い話ではありませんでした。夢を叶えた、まさにその先で最初にぶつかったのが、この現実だったのだと思います。
煌びやかで華やかに見えるマジシャンですが、プロと呼べる人はほんの一握りです。テレビで活躍し続けるような人は、事務所に所属していたり、ほとんどタレントに近い立ち位置だったりします。実際にいちばん数が多いのは、Barというビジネスモデルの中で、お酒のおまけとしてパフォーマンスを添える「Barスタイル」のマジシャン。
他にもマジシャンの営業形態としては、様々なものがあります。
1.学校や施設などを巡業する
2.企業のパーティーや余興として呼ばれる
3.大道芸のようなストリートで観客を集めてパフォーマンスの後に投げ銭を得る
4.「流し」と呼ばれるキャバクラなどのテーブルをホッピングして回りチップをいただく
5.ステージマジシャンとして大きなホールなどで観客を集めてチケットを販売してマジックショーを行う
6.ホテルと専属契約を結んでディナーショーなどを行う
K-styleは、その中でもホテルとの専属契約に近い形でした。ただ、ホテルではなく飲食店と業務委託契約を結び、マジックパフォーマンスを行うスタイルで活動していました。
出演していたのは、東京の赤坂にある隠れ家的な高級フレンチレストランです。実際のお店↓↓
コース料理の合間にマジシャンが登場し、食事のタイミングに合わせてマジックを披露するという演出でした。
具体的には、メインの肉料理が出る前と、デザートの後の2回に分けてパフォーマンスを行っていました。
このような形態のお店と業務委託契約を交わし、出演料をいただきながら活動しつつ、そこで来店されたお客様から直接お声がけいただき、パーティーや余興などに呼んでいただくこともありました。
お店には場を盛り上げる演出として価値を提供し、お客様には特別な食事体験を届ける。その関係性の中で、次のご縁や仕事につながっていくような形で生活をしていました。
当時の年収は、良い時で大体800万円ぐらい。しかもお店への出演は大体15日ほど。月の半分だけ仕事して、残りのお休みの日には、企業様からのご依頼でパーティーや余興などを行うという、今思えば完全に自由で楽しく理想的な生活でした。(しかもチップで1日に数万円とか貰えてました。当時の東京はそれはそれは景気が良かったです…笑)
場所が東京ということもあり、かなり経費や出費は出ていっていたものの、自分の好きな仕事をしながら生活ができていることに、とても幸福と豊かさを感じていて、かなり楽しい日々を過ごしていました。
しかし、そんな理想的な生活は長くは続かず、数々の挫折を経て借金をしたり、その額が400万ほどに膨らんだりしました。(ギャンブルや遊びで作った借金ではなく、新型のマジック開発のためのアプリ開発や事業運用のための投資として借りたお金でしたが、そのプロジェクトはうまくいかず、ただただ借金だけが残ってしまうという形になってしまいました。)
そんなタイミングで起こったのが、あの世界的な未曾有の大災害でもあるコロナです。まさに、泣っ面に蜂ですね…
コロナ禍で学んだこと
順風満帆に思えた東京生活、そしてマジシャンとしての活動。
しかしコロナをきっかけに、すべてのパフォーマンスの依頼はキャンセル。飲食店との契約も切れてしまい、完全に収入がゼロになりました。
良くも悪くも、このコロナをきっかけに、自分の生き方や働き方について、深く考える機会ができてマジシャンという職業が、自転車操業的な、何の後ろ盾も保証もない、その日暮らしの日銭を稼いで生きていく働き方だということに気づくことができました。
俗に言う「フロー型」と呼ばれる稼ぎ方ですね。
レストランでマジックを披露する→イベントに呼ばれる→パーティーで演じる
これはその場に身体を運び、時間と技術を提供し、その対価として出演料を受け取る構造です。
もちろん実績や口コミは残りますが。
基本的には、
出演する → 報酬が発生する
出演しない → 報酬が発生しにくい
という形です。
これは一定期間に発生するフロー収入と呼ばれるものです。
一方で、現在のメインの活動として行なっているインフルエンサーは投稿そのものが蓄積されていきます。
過去の投稿、フォロワー数、再生実績、PR実績、地域での認知、講師としての信頼、検索されるアカウント、企業からの問い合わせ導線。
これらは、ある時点で残っている「信用資産」「メディア資産」と考えることができます。
マジシャン時代=出演するたびに収入が発生するフロー型労働
インフルエンサー化=投稿・実績・フォロワー・信用が蓄積され、後から仕事を生むストック型資産形成
コロナ禍をきっかけに、自分の頭の中に巡り続けていたのは、いかに自分自身を知ってもらう(認知を獲得する)ためのメディアや発信媒体を手にするかということでした。
まだ何者でもない自分がSNS上でどんな価値提供ができるのか、それをひたすらに考え続けて辿り着いたのが「岡山を切り撮る人」という概念でした。
岡山を切り撮る人という概念
この「岡山を切り撮る人」という概念は、岡山県にすでに存在している魅力を再発見し、その価値を定義し、SNSという現代の情報環境の中で見つけてもらえる形へ整えることで、まだ知られていない岡山の一側面を、多くの人の認識の中に根づかせていく存在。
という形で定義しています。
そう、K-styleが目指したのは“地域社会貢献”という視点です。個人だけで生きていくのではなく、いかに社会や地域に還元して生きていくか。
そこを目指した結果に辿り着いたのが「切り撮る」という活動でした。
ここでいう「切り撮る」とは、単に風景の一部をカメラの映像に収めることではなく、岡山県に無数に存在する景色、歴史、文化、神話、人の営みの中から、今あらためてスポットライトを当てるべき価値を見つけ出し、その場所が持つ意味を選び取ることであると考えていて…
岡山には、まだ広く知られていない魅力がある。
日常の中にあるために見過ごされている場所もあれば、言葉や映像によって価値が十分に伝えられていない場所もある。
しかし、知られていないことは、価値がないことを意味しない。
それは、まだ魅力として発見されていない、あるいは人に伝わる形で定義されていない可能性があるということ。
「岡山を切り撮る人」は、そうした価値をあらためて見つめ直すためのきっかけを提供する存在です。
その景色は、なぜ心に残るのか。
その場所は、岡山県のどのような一面を表しているのか。
そこには、どのような歴史、文化、時間、人の営みが積み重なっているのか。
景色を美しいという言葉だけで終わらせず、その背景にある意味まで掘り下げ、映像と言葉によって定義していく。
ただし、魅力を見つけ、定義するだけでは、それが人に届くとは限らない。
SNSでは、価値のある情報であっても、見つけてもらえる形に整えられていなければ、膨大な情報の中に埋もれてしまう。
だからこそ、映像、構図、編集、言葉、音、投稿設計を通して、その魅力がSNSの文脈の中で発見されやすい形へと翻訳する。
これは、価値を誇張することではなく、その場所が本来持っている魅力を、現代の人が理解し、感情を動かし、記憶できる形に整えること。
目指しているのは、一時的な再生数や話題性だけではなく、投稿を見た人が、その場所を大切にしたくなる文化的価値の高さに気づくこと。
思い出から蘇ること。
実際に訪れたくなること。
そして、自分の言葉で誰かに伝えたくなること。
そうした行動を通じて、これまで一部の人しか知らなかった景色や文化が、少しずつ「岡山にはこのような場所がある」「岡山にはこのような魅力がある」という共通認識へ変わっていく。
その積み重ねによって、まだ知られていなかった岡山の一側面を、岡山県を形づくる新たなイメージとして社会に定着させていく。
「発信の主役は、発信者自身ではない」
主役は、岡山に存在する景色、文化、歴史、そして、そこに関わる人々であるということ。
発信者は、それらの価値を独占するのではなく、見つけ、意味を与え、届く形へ整えて、次の人へ手渡していく。
自分がその魅力に心を動かされたように、同じ景色に触れた誰かもまた、大切な人へ伝えたくなるかもしれない。
その連鎖が生まれるための最初の入口をつくることが「岡山を切り撮る人」の役割であると確信しています。
「岡山を切り撮る人」とは、岡山をただ撮影する人ではないんです。
岡山の魅力を再発見する人。
その魅力が持つ意味を定義する人。
SNSの中で見つけてもらえる形へ翻訳する人。
そして、まだ知られていない岡山の一側面を、多くの人の記憶と認識の中に根づかせていく人であると定義しています。
まだまだ発信活動は未熟ですが、これからも多くの方にまだ見ぬ岡山の魅力を届けるために尽力していきます。
おわりに
もっとお伝えしたいことはたくさんありますが、あまり長くなってもと思い自己紹介はこのへんで止めておきますね。笑
僕の活動や想いに共感してくださった方は、これからも応援してもらえると嬉しいです。
そして、もしもこのnoteで紡いだ言葉や考え方が少しでもあなたの心を動かしたなら、このnoteに『高評価』をお願いします。
“高評価”はnoteを購入してくださった方にしかできません。
なので、お気持ちを表現してもらえると嬉しいです。
よろしくお願いします。
ここから先は

K-styleの思考の一部
過去の記事からK-styleの思考を切り出した一部をお見せしています。 少しでも触れたいなと感じたら手に取ってみてください。
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