「いいね」が世界にもたらしたもの
なんの違和感もなく、今となっては当たり前に受け入れてしまっている『いいね』という文化について少しだけ思考を巡らせてほしい。
どうも、K-styleです。
SNSの世界に足を踏み入れて数年が経ちました。かつては情報を受け取る側だった僕が、いつしか発信する側に回り、少なからず影響力を持つようになったことで、見える景色は大きく変わったように思います。
2026年3月現在、Instagramで6.5万人、TikTokで4.3万人、Threadsで1.4万人。
これだけの方に応援してもらえるようになった今なら、SNSについて語るだけの説得力も少しは持てているのではないだろうかと感じております。
そう思い、かねてより「あえて言語化してこなかった」テーマに触れてみたいと考え、このnoteを書いています。
よくお会いした方には「いいねについて語ると8時間はかかります」と豪語するほど、僕は発信者として「いいね」という現象について考えて、考えて、考え抜いてきました。深く分析し、研究し続けてきたと言ってもいいと思っています。
もちろん、心理学者や脳科学者のような専門知識があるわけではないです。けれど、後発組として発信活動をゼロから始め、Instagramでは最高いいね数36.5万、TikTokでは最高17.8万を記録した身として、実体験から語れることは少なからずあると感じております。

わかりやすくするため、
あえて自分の投稿にいいねをしていますが
普段は自分の投稿にいいねはしない派です。
SNSにおいて、いいねやコメントといった「アクション」を起こしてもらうことは極めて重要な指標となる。なぜそれが引き起こされるのか。その仕組みを紐解いておくことは、発信を続けるすべての人にとって避けては通れない普遍的なテーマでもあると思っている。
僕個人の結論を先に書いてしまえば、SNSは…
「いいね」で始まり、「いいね」で終わる。
それほどまでに「いいね」という要素はSNSの根幹であり、本質であると個人的には考えています。
5万文字以上の超大作と
なっておりますので
覚悟を持って読んでください
第1章 肯定の可視化
SNSの画面に並ぶ小さなハートや親指のアイコンを、僕たちは一日に何十回と目にしている。
このnoteのサムネイルにもしています。
投稿に何件の反応がついたのか。その数字を見るたびに興奮したり、あるいは何も感じてもらえなかったことに対してかすかな失望を覚えたり。
そんな一連の感情の動きを、僕たちはもう意識すらしていない。
あまりにも日常に溶け込んでいるために、あの小さなボタンがいつ、誰の手によって、どんな意図で生まれたのかを深く考える機会は、もうほとんどないのではないだろうかと感じている。
このnoteでは、そこをあえて立ち止まることで「いいね」の起源から遡って深掘りしてみたいと思う。
単なるSNSの一つの機能の歴史ではなく、人間が「肯定されたい」という感情をテクノロジーに捧げた瞬間として観測することができるのではないかと期待している。
「いいね以前」の世界
2005年以前のインターネットには、いいねボタンは存在しなかった。
当たり前のことのように聞こえるかもしれないけれど、少し立ち止まって深く考えてみてほしい。かつてのインターネットでは、誰かの文章や写真に対して肯定を伝えるには、自分の言葉でコメントを書くしかなかった。「いいね」「すごいね」「感動した」。その一言一言には、書いた人の時間と意志が込められていた。
ブログの時代を思い出せる人なら分かると思う。誰かの記事にコメントを残すという行為には、小さいけれど確かな重みがあった。名前を入力して、文章を書いて、送信ボタンを押す。(もちろん匿名投稿が主流だったけども)その手間のぶんだけ、受け取る側にとっても「この人はわざわざ自分のために時間を使ってくれた」という実感があった。
つまり、いいね以前のネット世界では、肯定は「言葉」という形でしか存在しなかった。
そしてその言葉には、必ず「誰が」「何を」「なぜ」という情報が含まれていた。
この構造が大きく変わるきっかけを作ったのが、2005年11月に動画共有サイトVimeo(ヴィメオ)が導入した「Like」機能である。これが記録に残る最初期のいいねボタンとされている。

ただ、Vimeo(ヴィメオ)のいいね機能はあくまでも動画への評価手段の一つであって、SNS全体の文化を変えるほどの影響力は持っていなかった。本当の転換点は、もう少し先にある。
「awesome」と呼ばれたボタン
2007年。Facebookの社内で、ある小さなプロジェクトが動き始めた。
当時のFacebook(フェイスブック)は、2006年にニュースフィードという機能を導入したばかり。この時、友人の投稿がタイムラインに流れてくるようになったことで、コメント欄にはある変化が起きていた。
誰かが婚約を発表すれば「おめでとう!」が並ぶ。旅行の写真を載せれば「いいね!」「素敵!」「行ってみたい!」などの言葉が連なる。一つ一つのコメントは善意そのものだったけれど、数が増えるほどに同じ言葉の繰り返しになり、意味のある会話がその中に埋もれてしまう。
この非効率さに最初に目をつけたのが、当時フェイスブックでプロダクトマネージャーを務めていたLeah Pearlman(リア・パールマン)だった。
彼女は、繰り返される一言コメントを一つのボタンに集約できないかと考えた。「おめでとう」も「いいね」も「素敵」も、要するに「あなたの投稿を肯定していますよ」という意思表示である。ならば、その意思表示をワンクリックで完結させる仕組みがあれば、コメント欄はもっと豊かな会話の場になるのではないか。(この仮説検証がSNSに大きな変革をもたらす)
パールマンはエンジニアのJustin Rosenstein(ジャスティン・ローゼンスタイン)らとともに、社内でこのアイデアを形にし始めた。プロジェクトの仮称は「props(称賛)」。
ローゼンスタインはこの機能を「システムの中にポジティブな力を増やす方法」と捉えていたと、後のインタビューで語っている。
デザインの候補にはハートマーク、星、プラスとマイナスの記号など、複数の案が挙がった。最終的にサムズアップ(親指を立てるアイコン)に落ち着くのだが、名称についてはしばらく迷走している。
ローゼンスタインが提案した最初の名前は「awesome button(すごいボタン)」だったそう。
ところが、チーム内では「awesome」という言葉が強すぎるという意見が出た。すべての投稿に対して「すごい」と反応するのは不自然だ、と。数ヶ月の議論を経て、より日常的で汎用性の高い「like」という言葉が採用された。ただし、当初この名称はチーム内でも「地味すぎる」と不評だったらしい。
皮肉な話だと思う。もし「awesome button」のまま世に出ていたら、僕たちは今頃「いいね数」ではなく「すごい数」を気にして生きていたかもしれない。言葉が一つ変わるだけで、世界は大きく変わっていたかもしれないと考えると自身の行動や発言一つとっても改めて考えさせられる。
ザッカーバーグの拒否
2007年11月、パールマンとローゼンスタインのチームは完成したプロトタイプをCEOのMark Zuckerberg(マーク・ザッカーバーグ)に見せた。

結果は、却下だった。
ザッカーバーグが懸念したのは、このボタンが「共有」や「コメント」といった、より深い関与を示すアクションを減らしてしまうのではないか、という点だった。
ワンクリックで「いいね」と伝えられるなら、わざわざコメントを書く人はいなくなるのではないか。再投稿して友人に広める人も減るのではないか。つまり、低コストな反応手段が、高コストだが高品質な反応手段を駆逐してしまう可能性を、彼は危惧した。
この懸念は、振り返ってみると的外れではなかった。
いいねボタンが普及した後の世界で実際に起きたことの一つは、まさにコミュニケーションの「軽量化」だったからである。かつては100文字ほどのコメントで伝えていた気持ちを、親指のアイコン一つで済ませるようになってしまった。
言葉が減り、代わりに数字が増えたとも言える。
ただ、当時のザッカーバーグがそこまで見通していたかどうかは分からない。彼の懸念はどちらかというと、プラットフォームのエンゲージメント指標が下がることへの警戒だったと考えるのが自然だと思う。
いずれにしても、この却下によってプロジェクトは一時停止する。
Andrew Bosworth(アンドリュー・ボスワース)の社内記録によると、「当初の構想での機能開発は基本的に止まった」とされている。
しかし、止まったのはプロジェクトだけで、ボタンを求める声は社内で消えなかった。
特に強く推進していたのが、ニュースフィードチームと広告チームの二つだったそう。
ニュースフィードチームは、投稿の人気度をランキングに反映する指標として「いいね」を欲しがっていた。コメント数だけでは投稿の人気を正確に測れない。もっと手軽に、より多くのユーザーから反応を集められる仕組みがあれば、どの投稿を上位に表示するかの判断材料になる。
広告チームの関心はさらにシンプル。
いいねボタンがあれば、ユーザーが何を好み、何に反応するのかを正確に把握できる。広告のクリック率を上げるための嗜好データが、ユーザー自身の手によって無料で蓄積されていく。
ここで一つ考えを深掘りしたい。
パールマンが最初に着想したときのいいねボタンは「繰り返される一言コメントをすっきりさせたい」という、きわめて素朴な改善案だった。
ローゼンスタインにとっては「ポジティブな気持ちを伝えやすくする方法」だった。
それがCEOの机に届く頃には、エンゲージメント指標という文脈が加わり、却下された後に復活する原動力となったのは、投稿ランキングと広告ターゲティングだった。
善意の機能が、ビジネスの文脈に取り込まれていくのは資本主義社会における避けようのない業なのかもしれない。
2009年2月9日
ザッカーバーグの懸念を解消したのは、データだった。
社内のデータサイエンティストであるItamar Rosenn(イタマール・ローゼン)が分析を行い、いいねボタンの導入がコメント数を減らすことはなく、むしろ増やすという結果を示した。いいねがつくことで投稿がニュースフィード上で上位に表示されるようになり、より多くの人の目に触れる。
結果として、コメントも増える。
低コストな反応が、高コストな反応を駆逐するのではなく、呼び水になる。このデータがザッカーバーグを動かした。
2009年2月9日。フェイスブックはいいねボタンを正式にリリースした。
告知のブログ記事を書いたのはパールマン本人で、タイトルは「I like this(これ、いいね)」だった。記事の中で彼女はこう書いている。
「あなたの友人やその写真、ノート、ステータスが、フェイスブックを素晴らしい場所にしている。友人が何か素敵なことをシェアしたら、いいねと伝えてあげてください」
ここで書かれている「伝えてあげてください」という表現には、人と人のあいだに流れる気遣いのようなものがまだ感じられる。少なくともこの時点では、いいねは「数値」ではなく「気持ち」として設計されていたと考えることができる。
しかし、ある要素がこのボタンの意味を決定的に変えることになる。
それは「カウント」である。
数える、ということ
いいねボタンそのものは、感情の簡略化に過ぎなかったと言える。
コメントで書いていたシンプルな賞賛としての言葉でもある「おめでとう」を、ワンクリックに置き換えた。それだけなら、コミュニケーションを効率化しただけの話で終わっていたかもしれない。
でも、フェイスブックはあえていいねの数を「表示する」設計を選んだ。
いいね 3。いいね 47。いいね 1,204。
投稿のすぐ下に表示されるその数字は、見た人に対して否応なく一つの情報を伝える。「この投稿は、これだけの人に肯定されました」。
このカウントの可視化こそが、いいねボタンの本質的な転換点だったのだと個人的には思う。
考えてみてほしい。もしいいねボタンに数字が表示されなかったら、何が変わっていただろうかと。
誰かの投稿にいいねを押す。押したことは相手にだけ通知される。でも、何人が押したかは誰にも見えない。
そういう設計だったなら…
いいねは純粋に「あなたの投稿を見ましたよ」「いいと思いましたよ」という、一対一のメッセージとして機能し続けていたかもしれない。
しかし、数字が見えた瞬間に、いいねの性質は変わったと言える。
一対一の肯定が、公開された評価になった。
47という数字は、「47人があなたを肯定した」という情報であると同時に、他の投稿と比べるための尺度になってしまった。
自分の投稿は47。隣の友人の投稿は312。この数字の差が、投稿の「価値」の差として無意識に処理されるようになった。
社会心理学には「社会的証明(social proof)」という概念がある。人は、他の多くの人が支持しているものを「正しい」「良いもの」と判断しやすいという傾向のことである。
行列のできるレストランに入りたくなるのも、レビュー4.5の商品をクリックするのも、この心理が働いている。
いいねの数字は、まさにこの社会的証明として機能した。
「この投稿には1,204人がいいねを押している。つまり、これは良い投稿なのだろう」。そう判断する人が増えれば増えるほど、さらにいいねが集まる。
逆に、いいねが少ない投稿は「あまり価値がないのだろう」と判断されやすくなる。
肯定が数値化され、可視化され、比較可能になった瞬間。
それが、2009年2月9日に起きたことの本質。
パールマンが「伝えてあげてください」と書いた温かい言葉は、カウンターの数字の前では、急速にその意味を変えていった。「伝える」という行為が、「測る」という行為に変容していった。
波及という必然
フェイスブックがいいねボタンを導入してから、他のプラットフォームが同じ機能を採用するまでに、それほど時間はかからなかった。
2010年、YouTube(ユーチューブ)が5段階の星評価システムを廃止し、いいね(thumbs up)と低評価(thumbs down)の二択に切り替えた。それまで星1から星5のあいだで微妙なニュアンスを表現できていた評価が、「肯定か否定か」の二項に集約された。
2011年、Google(グーグル)が自社のSNS「Google+」に「+1」ボタンを導入した。
そしてInstagram(インスタグラム)。
2010年にサービスを開始したインスタグラムは、最初からハートマークのいいね機能を搭載していた。写真をダブルタップするだけで押せるという直感的なデザインは、フェイスブックのいいね以上に「反射的な肯定」を促す設計になっていた。
Twitter(ツイッター)も同様の道を辿った。もともとツイッターには「お気に入り(Favorite)」という星マークの機能があった。これは「後で読み返したい」「ブックマークしておきたい」という用途で使われていた、比較的控えめな機能だったと言える。ところが2015年、ツイッターはこの星マークをハートマークに変更し、名称も「いいね(Like)」に変えた。
これらの変更はかなり象徴的だと思う。
「お気に入り」と「いいね」は、似ているようで全く違う。お気に入りは自分のための行為で、いいねは相手に向けた行為である。前者は整理、後者は承認。ツイッターはこの変更によって、自分のための静かな機能を、他者に向けた承認の機能に作り替えた。
なぜ各プラットフォームがこぞっていいね機能を採用したのか。
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