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理想を目指すために、人は努力する。
理想が高ければ高いほど、努力はより、必要だ。

野球界のレジェンド、王貞治さんにこんな名言がある。

努力は必ず報われる。
もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない。

王貞治さんの名言

確かに、王貞治さんの逸話をみてみると、彼がいかに努力をしてきた人物かわかる。
だから、ものすごい説得力のある言葉ではあるのだ。けれど。

私はこの言葉をきくと、ものすごく、しんどい。
結果を出した人しか言えない言葉。この言葉を是とすると、結果を出せなかった側の人は、いつまでも努力が足りない、となじられる。
報われない。

いや、そもそも、努力をすれば報われるということ自体が間違いで。
これは日本の学校教育の弊害そのものだと思う。
努力しなさい。
いい子でいなさい。
しかし、社会に出ればこの考えは180度変わる。
誰も努力なんて評価しない。結果がすべて。
すべてだなんて大袈裟だ、と思うかもしれないが、結果がないと誰も見向きもしてくれないのは事実だ。
結果を出した人の努力しか、人々は知りたがらない。
結果を出した人の物語しか、人々は興味がない。
結果が出なかった人の努力は、ないも同然の扱いを受ける。
報われない。


この報われなさ、親切に似ていると思う。

情けは人の為ならず、という諺。
人に親切にすると、巡りまわって自分に良い報いがある。だから自分のために人に親切にしなさい、という意味の諺だ。
この諺は、見返りを前提にした視点で親切を定義している。
人に優しくしたら、必ず返ってくるよ。だから、優しくしなさい。
いや本当に?親切は、必ず返ってくるのだろうか?
私は、親切な人が必ずしも報わるわけではないというのを何度か見ている。
正直者が馬鹿を見る、という諺もあるわけだ。
親切なだけでは、ただの都合のいい人で終わってしまう。
報われない。


それでも努力し続けようしたり、親切であろうとしたりする人はいるわけで。
かくいう私はどっち側でいたいかというと、やっぱり努力もしたいし、親切でいたいとも思うのだ。
報われないかもしれないとわかってはいても、努力する人でいたいし、できる限り親切でありたい。
なんでこんな欲求が湧くのだろう。
結局は、自分で自分を認めてやりたいだけかもしれない。
そうだとしても、努力したり、親切したりする人の方が多い世界の方が、たぶんうまくいくと思う。
私は、今日も、努力したいし、親切でいたい。

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