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文章のリズム、書き手の意志。

スマホから書かれた文章と、パソコンから書かれた文章。
そのリズムは、明らかに違う。

私は毎日noteをパソコンで書いて、パソコンで読んでいる。
だから、スマホの文章を読む場合、多くは右側に空白ができている。
逆に、私の文章をスマホで読むと、おそらく画面が文字で埋め尽くされているのだろう。

それがいい、悪いという話では、まったくなく。

この人はきっとスマホで書いているからスマホで私の文章を読んでいるのだろうな、この人はパソコンだろうな、ということが、noteを読むことで想像できる。
それが、なんだかとっても嬉しい。
その人が、どうやって文章と遊んでいるのか、文章と語り合っているのか。
なんとなく覗けた気がして、楽しいのです。

話は変わって、私は大学生のころ、岩波文庫をよく読んだ。読みたくて読んだというより、必要に迫られて読んだ。専攻した哲学の基礎知識として読んでおくべきものが岩波文庫から出版されているものが多かったからだ。
岩波文庫は岩波文庫らしいリズムがある。
簡潔に言うと、ムズイ。なんでこんなに難しい漢字に硬い表現を使うのだ!と抗議したくなる。
当時の教授はこんなことを言っていた。「簡単な言葉で理解しようとすると、正しく理解できないこともある」。そういうものだろうか、と四苦八苦しながら読んだ記憶がある。
その教授は原文にふれることの大切さも教えてくれた。「訳が入ると、どうしても訳者の解釈が入る。だから、本当に自分で理解したいなら、原文を読むべきだ」と。例えばドイツ語の「richtig」。英語の「right」に該当するその言葉は、英語のそれと同じように「正しい」という意味と「適切な」という意味を持つ。似ているようで微妙に違う概念だ。これは訳者によってとらえ方が異なってくる。
この教えは、文章には書き手の意志が滲むものだ、という気づきをくれた。それが10数年たった今、書き手となった私の教訓の一つになっている。
文章には、書き手の意志が必ず介在する。それが訳書であろうがSEO記事であろうが、書き手の解釈は必ず入る。

それぞれのリズム。それぞれの意思。それぞれの文章。
だから、文章は、書くのも読むのも楽しい。

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