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言葉に対する私の矛盾

「ワイナリーでしか買えないワイン」が、スーパーで売っていた。
なんて、愛おしい存在だろう、と思う。
いや、スーパーで売ってますやん!って、ツッコミ待ちしているその態度。
その存在自体が、歪で、矛盾している。


私がこのワインの存在を認められているのは、私の中で「(本当は)ワイナリーでしか買えないワイン」と、言葉を補っているからだろう。
言葉を補う力というのは、生きる上で重要だけど、時に危険なものでもある。言葉を補っている時、その言葉はだいたい口に出さない。自分の中、主観の域を出て行かない。
この、自分の中で勝手に補った言葉が、相手の意図と違ったものなら、相手の意図は正しく認識できない。逆もしかり。自分が言葉を端折って伝えたら、相手は相手の解釈で言葉を補い、認識する。
うまくいかないコミュニケーションのほとんどは、この足りない言葉と補う言葉の認識齟齬からきているのではないか、と思う。


A「明日ひま?」
B「ひま(遊びに行くんかな?)」
A「シフト代わってほしい」
B「いや、忙しいです」
A「うそやん」


A「明日ひま?」
B「忙しい(バイトのシフト代わりたくない)」
A「そうなんか。遊びたかったけど残念」
B「いや、ひまやで」
A「うそやん」


カッコの言葉を勝手に補ってこんがらがる会話。こういうの、あるあるじゃないだろうか。
言葉は、その性質上、必ずその通りに伝わらない。誰かが言った言葉を受け取った人は、自分なりにその言葉を咀嚼して飲み込む。
ときには、どんなに言葉を尽くしても届かない人がいる。それはもう、その人の中で考えが凝り固まって、何を言われても勝手に言葉を補って、というか捻じ曲げて理解してしまう人だ。こういう人が最近政治家やその支持者に散見されるから、本当にもう、しんどい。

話を聞かない人には話さないということは、きっと、いろんなことの終わりだと思う。その先に待つのは分断しかない。実際、私はそれで自分の家庭を分断してしまった。
だからできるだけ言葉を尽くしていきたい、と私は思う。でも、それで自分が疲弊してしまうぐらいなら、言葉は尽くさなくてもいいとも思ってしまう。
私自身が、言葉に対して矛盾している。

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