書くこと。自信と諦め。
脳内の私は、結構な速さで反復横跳びをしている。割と毎日。
noteやX(旧Twitter)で、いろんな発信を目にする。
「書き続ける」ための発信は、けっこう目につくわけで。
noteの場合だと
恐れずに公開ボタンを押してみよう!
完璧を求めすぎないようにしよう!
時間を決めて、書けたところまでで公開してみよう!
といった、コツやポイントが並ぶ。
なるほど。書いた文章を公開できない要素に「恐れ」というものがあるのか。
では、毎日性懲りもなく書き続けている私という書き手は、文章を公開することを恐れていないのか?
今日はそんな話を書こうと思います。
結論から言うと、「恐れ」はあまりない。強がりでもなんでもなく。
毎日誰かしらが私の文章にスキを下さる。
フォロワーだし、しゃあねえな、と思ってつけている人が大多数かもしれない。
それでも、その中の数人は「私の文章が楽しみ」と思ってくれているかもしれない。というか、いる!と思い込む。
そうすると、スキがもらえることは自信につながる。
このスキという事実は、間違いなく私を支えてくれているのだ。
そうか、じゃあ自分の文章に「恐れ」を払拭するほどの「自信」があるのか!と言われると、決してまったく、そういうわけでもない。
文章を公開することに「自信」が半分あるとすれば、残りは私の場合、「諦め」だ。
私ごときの文章が、誰の批判をくらうこともなく、何の間違いもなく書くことなど、私は「諦め」ている。
よく読んでくださっている方ならお気づきだろうが、私はしょっちゅうタイプミスも誤字もしている。
公開後に見つけて「ぎゃあ!」となることなんてしばしば(そういうときはこっそり直しています)。
私なんぞが完璧な文章を書こうなんてことは、そもそもおこがましいのだ(もちろん、その時点で自分ができる最大限のチェックはしてます)。
さらに言うと、見知らぬ誰かに評価されることなど「諦め」ている。私の文章は、無名ライターの独り言のような文章だ。この文章たちが評価されるには、「あの吉岡さんの文章だ!」となるしかない。つまり、私自身が評価されなければ、私の文章は評価されない。
これが、私の文章に対する「諦め」だ。
文章を書くことについて、私は「自信」と「諦め」の間を跳ね回っている。
自信がありすぎると、周りの意見を聴けずに成長できない。
諦めすぎても成長しない。
だから、私は「自信」と「諦め」の反復横跳びを繰り返す。
脳内の私は、かなり身軽です。しゅばばばばばっ。
