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恋はわからないままだけど、たぶんこれは愛。

私は、ゼロではないが、恋愛の経験が乏しい。
幼少のころはなんとなく、周りが恋をしているからしなければいけない、と好きな人を作っていた感じがする。
そして、中学高校時代の私にとって、男はアホの生き物だった。
うるさい、先生の話を聞かない、何かと問題を起こす。そういう生き物だと思っていたし、心底馬鹿にしていた。
吹奏楽部に入っていたので、周囲が女ばかり、というのも影響があったのかもしれない。

大学に入って、やっと、アホではない、というか、自分と同等の階層の男性たちと出会えたと思った。今振り返れば、お前は一体何様やねんと思う。
男友達もできたし、初めて彼氏もできた。
社会人になって、初めて付き合った人と、長いことお付き合いをして、結婚した。子どももできたが、結果として離れることにした。
好き同士で結婚したはずなのに、不思議なものだ。

私の数少ない恋愛歴(短いものを数えても3人である)の傾向からして、「自分から好きだ」と言った経験がない。
どのケースも、ありがたいことに、相手からの好意を寄せて頂いて、そこからお付き合いを始めている。
相手が好きでいてくれるから、相手のことが好き。
つまり、私の恋は、相手に求めるところから始まってしまっていた。これは、たぶん、本当の恋ではなかったのだろう、と今になって思う。
もちろん、好きだった気持ちは嘘ではない。ただ、出発点がズレていたのだ。

そして現在。いい年の大人になっても、恋はよくわからない。
でも、なんとなく、愛はわかってきた気がする。

愛とは何か。
例えば、マクドナルドが食べたいと言われれば、自分は全然そんな気分ではなかったのに連れて行ってやり、本当はチキンナゲットはマスタードソース派だが、なんの抵抗もなく、バーべーキューソースにしてあげる、そんな気持ち。
私の好きな果物No.1である桃、それはそれはおいしそうな桃を、なんのためらいもなく譲ってあげる、そんな気持ち。
そこに、我慢という感情は、本当に微塵も感じない。喜んでくれる顔が、本当に嬉しいし、こちらまで楽しくなる。

食べ物の話ばっかだなおい、という感じだが、実際、食のことを譲れるというのは、愛の形の一つだと私は思う。

そして。いつか。
息子さんと一緒にマスタードソースでナゲットを食べる日を、夢見ている。

#一言で表せない感動

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