コンテンツ栄枯盛衰
ジェット、ジェット、ジェットマーン♪
なぜかここだけ覚えている、戦隊もののオープニング曲。
私が、というよりは、4歳上の兄がドンピシャ世代。写真で構成された子供向けの冊子が家にいくつかあり、私もなんとなく読んでいた。
大きくなってから改めてストーリーを聞くと、昼ドラ(これも表現としてはもう古いか)もびっくりのメロドラマの末、世界を平和にした後の最終回で準主人公が死んでしまうという、なかなかヘビーなものだった。
子ども向けとしつつ、大人顔負けの複雑なストーリーに挑めたのも、長い歴史があったからこそだろう。
テレビ朝日系列で放送されているいわゆる「戦隊ヒーローもの」が、50年の歴史に幕を下ろす。
今、未成年の親をやっている人の多くは、生まれてからずっと当たり前のようにあった存在だ。それが、なくなる。
半世紀におよぶ長い歴史があり、ファンも多くあるはずのコンテンツですら、終わってしまうのか。その事実が、衝撃的だ。
「オワコン」という言葉を良く聞く。というか見る。主に、SNS上で。
「オワコン」—終わったコンテンツ。
「戦隊ヒーロー」というコンテンツは、新シリーズで新たに人を集めることができなくなってきたのではないかと推察する。
過去作に根強い人気があったとしても、新しく人を集められない以上、そのコンテンツは終わりを迎えるしかなくなる。
これは、どんなコンテンツでも同じだ。
例えば、この「note」というコンテンツ。
毎日書かせていただいて、こんなことを言い出すのは不敬以外の何ものでもないが、いずれは廃れると思う。
「note」だから、ではなく、コンテンツとはそういうものだ。
だから、「noteだけで〇〇万円稼ぐ!」というような人を見かけると、私はちょっとぞっとする。「だけ」は本当に危険。
今はそれでもいいかもしれないが、コンテンツに頼ってお金を稼ぐなら、複数のコンテンツを持っておかなければいつか終わってしまう。
この考え方は、ライターが複数のクライアントと仕事をしておいた方がいい、というのとまったく同じ構図だ。
コンテンツというものは絶対に廃れる。
我々ライターなど「オワコン」とずっと言われ続けている職業。「オワコン」の最古参(?)だ。
それでもライターがまだ終わっていないのは、そのコンテンツに人が集まるからだろう。
ひょっとして実はもう終わっているのに、私が気づけていないだけだろうか?いや、終わってねーよ。終わらせてたまるか。
私は、コンテンツに頼らない力を、身に着けていきたいと思う。
極論をいうと、媒体やメディアに頼らなくても生きていけるライターになりたい。
いや、もはや最終地点はライターというコンテンツすら脱ぎ捨ててしまった方がいいのかもしれない。
まだまだ道は始まったばかり。やるぞ。
