【書評】これは、私たちの問題。(集団浅慮:古賀史健)
2025年3月31日。
フジテレビジョン(以下、フジテレビ)とその親会社フジ・メディア・ホールディングスが設置した第三者委員会による調査報告書が公表された。
当時大物タレントだった中居正広氏と女性アナウンサーの間で発生した問題。
スキャンダラスな性質に好奇の目で見る人、もういいよと飽き飽きしてしまった人、そもそも無関心だった人。
様々な注目を集めた調査報告書だったが、もう去年の話と言わんばかりに、今は誰も触れなくなってしまった。
今回のご紹介する本は
古賀史健『集団浅慮「優秀だった男たち」はなぜ道を誤るのか』(以下、『集団浅慮』)(ダイヤモンド社)
です。
この本どんな本?
冒頭に述べた元タレントの中居氏とフジテレビ社員である女性アナウンサーの間で起こった、重大なハラスメント事項について、「集団浅慮」という観点から紐解いていく本書。著者はライターの古賀史健さんです。
古賀史健さんときいて、何を一番最初に思い浮かべるでしょうか。『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)か、あるいは『さみしい夜にはペンを持て』(ポプラ社)ではないかと思います。
普段、古賀さんがメインで執筆しているのはビジネス本やビジネス系の記事(『さみしい夜には~』はどちらかというとかなり例外作品)。つまり、ノンフィクション系もジャーナリズム的な執筆も専門としていない方です。
そんな古賀さんが本書を書かねばと思ったのは、第三者委員会による調査報告書を読んだときでした。この報告書は古賀さんをして「魂の報告書」と言わしめています。
この報告書をできるかぎり多くの人に知ってもらいたい。ある種の義務を感じ、本書の執筆にとりかかった古賀さん。
ならば、フジテレビの過ちを関係者への取材に基づくノンフィクションとして描くのではなく、「どんな組織にも起こりうる集団浅慮」との観点から振り返り、その構造や打開策を考えていくことはできないか。そうすればフジテレビ問題を対岸の火事としない、まったくあたらしい「ビジネス書」が誕生するのではないか。それこそがノンフィクション作家ではないビジネス書ライターの自分に課せられた仕事ではないか。そんな仮説のもと、本書は執筆された。
構成は大きく4つにわかれます。
序章~1章:調査報告書をもとに議論の下地となる当問題について。
2章:当問題を例に「集団浅慮」のメカニズムの掘り下げ、考察。
3章:集団浅慮に陥らないための多様性について考察。
4章:調査報告書の裏テーマとも呼べる「ビジネスと人権」について。
本の感想
前置きが長くなりましたが、ここから感想です。
「同質性の高さ」と「多様性の欠如」
序章~1章を読み終わったとき、きっと私はものすごい恐ろしい顔をしていたと思う。目が吊り上がっているのを自覚していたし、歯を嚙み締めすぎて下あごの筋肉が痛くなっていました。それぐらい、怒りが湧いてきた。
フジテレビ問題で発生したのはタレントと女性アナウンサーによるただのスキャンダルではない。そこには重大なハラスメントが、明確にありました。
この問題で起こっていたのは、明らかな人権侵害である。
事実、調査報告書に登場する女性アナウンサーの上司や、産業医たちは中居氏による性暴力があったと、認識し、役員に伝わっています。しかし、なぜかこの問題について諸々の決定を行う役員だけが、ハラスメントの事実を認めつつも、「彼女の安全を第一に考え」という姑息な言い訳で思考停止してしまっていた事実が、明らかにされています。
ここに「集団浅慮」が潜んでいるというのが古賀さんの指摘です。
集団浅慮とは、凝集性の高い組織において同調圧力により、現実的に物事を判断する動機を無視してしまうことです。
凝集性とは、簡単に言うと「その集団にとどまらせようとする力」のことだと古賀さんはいいます。
企業でいうところの愛社精神。チームのメンバーが仲良くなること。これが強ければ強いほど、集団浅慮を引き起こしやすくなります。
集団浅慮のメカニズムを理解するには、本書を読んでもらうのが一番良いので割愛。本当にぜひ読んでほしい。
本書では、集団浅慮を引き起こすのは「同質性の高い」集団であると明言されています。まさにフジテレビ役人は「同質性の高い壮年男性」という会社への凝集性が高い集団です。
多様性と聞くと、やれSDG’sだ、やれダイバーシティだと、なんとなく(笑)とつけてしまいたくなるような、言葉の軽さを感じてしまいます。でも、ここで述べられているのはそんな生半可な概念ではありません。
なぜ多様性が重要なのか、なぜ多様性が欠如されることが問題なのか、この本を読んで、やっと本当の意味でも多様性の重要性を理解した気がします。
日本人は人権知識が足りていない
本書の4章では「ビジネスと人権」がテーマです。
そこでは、ビジネスにおける人権は何か、世代間における人権という言葉のギャップ、日本人の人権意識の低さについて解説し、どうすればこのフジテレビ問題のような事態を回避できるかという結論ついて語られています。
ここで一番衝撃を受けたのは、日本人の人権意識の低さです。親切な国民性で知られる日本人。しかし、古賀さんはデータを元に「親切であること」と「人権意識が高いこと」は一致しないと指摘し、疑問を持ちます。
古賀さんの結論はこうです。私たち日本人には、「人権知識」が足りていないということ。
われわれ日本人は、人権の「意識」が低いのではない。ただ、その「知識」が圧倒的に足りていないのだ。グローバルスタンダードとしての「人権」を知らず、ローカルな習慣で、また「親切で善良な国民性」でそれを補ってきたのだ。インフォーマルな規範として。だからこそ、身近な人権侵害に鈍感になっていますのだ。
これは、私たちの問題。
本書を読んで思ったのは、私はどうだったかということです。
私は女性で、新卒から10年間、転職や育児休職をはさみながら一般企業で働いていました。
その現場で、私は率先してお茶くみもしたし、飲みの場では女性だからお酌した方がいいな、と思う場面が多々ありました。おどくことかもしれませんが、これは2010年代の話です。男女の平等が叫ばれ続けてもなお、昭和的な男女の価値観は根強くあったと思います。
それを、当時は嫌とも思わなかったけれども、今考えて見れば、女性である私自身が、ビジネスにおける女性の人権を、私の人権を尊重できていなかったのではないか、と思うのです。
フジテレビ問題はただのスキャンダルでも、ただの男女トラブルでもありません。
集団に属するすべての人々の、私たちの問題です。
ぜひ、一度読んで、人権について改めて考えてみる機会にしてみてください。
それではまた来週。
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