内なる「おそれ」を受け容れられるか:Galileo Galilei『ブギーマン』|感情の設計図#2
小さなころ、夜がくるのが怖かった。
見知らぬ誰かに、どこか遠いところへ連れて行かれてしまう気がして。
この曲のタイトルである「ブギーマン」とは、伝説上や民間伝承における「子どもの恐れ」の象徴である。
大人になりきれない、もしくは傷を負ったままの「僕」や「君」の内面に潜む、トラウマの化身だ。

(フランシスコ・デ・ゴヤ画、1797年頃)
(Wikipediaより抜粋)
本noteでは、オルタナティブ・ロックバンドGalileo Galileiの2024年作『ブギーマン』の楽曲を読み解いていきたい。
楽曲の構造的解釈
「ブギーマン」は4分13秒の中で、大きく三部構成のように感じられる。
導入(序章):“不安”の表出
「熱」「隙間」「ベッドの下」が象徴的に現れる。
展開(中盤):“葛藤”の交錯
「こわがり同士」の心の距離が入り混じる。
帰結(終盤):"おそれ"の受容
「こわいままで寄り添う」という静かな肯定がなされる。
コード進行とハーモニー
「ブギーマン」のコード進行は、メジャーとマイナーの間を行き来することで、楽曲に曖昧さと緊張感を与えている。
この往復は、歌詞に描かれる「恐れ」と「愛」の交錯を間接的に表現しているように感じる。
リズムとテンポ
楽曲のリズムは、ミディアムテンポでありながら、ドラムとベースのリズムセクションがしっかりとしたグルーヴを生み出している。結果として、楽曲全体に安定感と緊張感が共存する、独特の雰囲気が醸し出されている。
楽器構成とアレンジ
「ブギーマン」のアレンジは、ギター、ベース、ドラムを中心に構成されている。必要最小限の楽器編成でありながら、ギターのアルペジオやリバーブの効いたサウンドが、楽曲に幻想的な雰囲気を加えている。
歌詞のメタファー解釈
「ブギーマン」の歌詞は非常に難解で、直接的な表現は少ない。多義的に解釈できるメタファーが数多く横たわっている。そのすべてを理解するのは難しいが、一部だけでも読み解いてみたい。
※なお、公式ではなくあくまで僕の解釈に過ぎないことを添えておく。
導入(序章):“不安”の表出
君の開けたドア
隙間からは熱
この世界にはない
価値ある声
君の開けた「ドア」は心の境界を象徴しているのだろうか。
その境界を放つことで、閉じ込めていた感情(熱)が溢れる。
この「熱」は情熱とも不安とも取れる。
世界に存在しない「価値ある声」が聞こえるという表現は、「君」の感情が唯一無二であるという憧れ・執着の芽生えなのかもしれない。
ベッドの下には恐怖の使者
二人の交わりで目を覚ます
目があう
ここで、ベッドの下(意識の下層)に、不安の象徴であるブギーマンがいることが示される。
幼少期のトラウマ・不安…無意識に潜む心の影が、大人の営みによって目を覚ます。
展開(中盤):“葛藤”の交錯
ベランダで踊ろう
一人が二人
ほとんど明かりのない夏の夜に
メリーゴーランドの汽笛が鳴る
掴む場所のないユニコーン
「ベランダ」は、内側と外側の境界線にある曖昧な空間。
「メリーゴーランド」は、その場をぐるぐる回るだけで前に進まない象徴。
「掴む場所のないユニコーン」は、理想・希望・純粋な愛への憧れでありつつ、非現実的で実体のない存在。
「僕」と「君」がどこかですれ違いながらも、境界線にある場所で踊り続けている。進めず、手に入らず、それでも離れられないことが示唆される。
眠っていても
目覚めていても
こわがりな君
おざなりな僕の肩に
手を乗せて
しがみついて
こわくないと言えるかな
「こわがり」は、変化を恐れ、安心を求めるが、それを手にする術を知らない不器用さの表現なのだろう。
「僕」は、おそれにしがみつく「君」を理解しようとする。一方で、サビで繰り返される問い「こわくないと言えるかな」には、自分自身への疑念も含まれているように感じる。
帰結(終盤):"おそれ"の受容
眠っていても
目覚めていても
こわがりな君
こわがりな僕の肩に
手を乗せて
しがみついて
こわくないと笑えてる
笑っていても
愛していても
こわがるがいい
いつだってその肩に
手を乗せて
しがみついて
こわくないと言えるかな
最後のリフレインでは、「おそれ」を排除せず、そのまま認めている。おそれを抱いたままでも、人とつながることはできる。そう、「こわいままで」いていいのだ。
内なる「おそれ」を受け入れるために
「僕」は、君の弱さを受け入れたいが、自分も「こわがり」であり、同じようにおそれを抱えている。互いの感情が共鳴し、近づきたいけれど傷つけることをこわがっている。
「君」は自責と罪悪感を抱えた存在。幼い頃からのおそれを抱きつつ、僕に「変われなくてごめん」と許しを乞う。感情をうまく処理できず、愛されたいがゆえの不安を常に抱えている。
「ブギーマン」はよくある癒しや成長の物語ではないし、必ずしも希望が溢れるラストではない。むしろ「不安や弱さ」の自己暗示的な受容で終わっている。
必ずしも強くなくていい。あえて内なる「おそれ」を受け入れていく。近くて遠い他者と交わるじぶんを。不安を抱えたおのれと対話するじぶんを。
この静かな肯定が、聴き返すたびに僕らの心に深く沁み込んでいく。
補足:Galileo GalileiのPeople Tree

(追記)
なおオフィシャルMVでは、モノクロームの映像の中でバンドメンバーがボーカルの尾崎雄貴さんを襲撃する様子が繰り返し描かれる。
かわいらしい鼓笛隊の演奏やダンスと不穏な展開のいびつさが、不思議なぬくもりとおそれの両立をもたらしている。
ブギーマンを含むアルバム『MANSTER』および同時発売の『MANTRAL』のリリースインタビューでは、直接ブギーマンの解釈について触れられてはいない。だからこそ、想像をかき立てられる。
ご興味を持っていただいた方へ。他の楽曲も👇で紹介しています。
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