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『なぜ、たった1点で世界は泣くのか』   第4部:2026年W杯へ——日本代表をどう観るか-20

第20章:森保ジャパン——無名だった男が、日本サッカー30年分の記憶を率いる

第4部に入る。

ここからは、2026年W杯へ向かう日本代表をどう観るか、という話になる。

けれど、それは単なる戦力分析ではない。

誰が先発か。
誰が得点するか。
どのフォーメーションで戦うか。
相手国の弱点はどこか。

もちろん、それも大事である。

しかし、この本で見てきたのは、サッカーがどのように神話や民話を生んできたか、ということだった。

ペレが王になった。
ガリンシャとマラドーナが民衆の神話になった。
クラブは町の旗になった。
オシムは失われた国から日本へ問いを持ってきた。
メッシとロナウドは現代の二大神話になった。

そして日本でも、物語は積み重なってきた。

キャプテン翼。
メキシコオリンピック銅メダル。
Jリーグ開幕。
ドーハの悲劇。
ジョホールバルの歓喜。
2002年日韓ワールドカップ。
海外へ出ていった選手たち。
2011年のカズとなでしこ。
ロストフの14秒。
ドイツ戦、スペイン戦。

そうした記憶の積み重ねの先に、2026年の日本代表がある。

そして、その中心にいるのが、森保一である。

森保一監督は、ドーハの悲劇を知る男である。

あの夜、ピッチにいた選手である。

1993年10月28日。
日本は、あと数分でワールドカップに届くはずだった。
しかし、最後の最後でイラクに追いつかれ、初出場を逃した。

日本サッカー史に深く刻まれた、ドーハの悲劇。

その場にいた森保一が、三十年後、日本代表監督としてワールドカップを戦っている。

これだけでも、すでに物語である。

だが、森保一という人物の物語は、もっと地味で、もっとしぶとく、もっと日本サッカーらしい。

森保は、最初からスターだったわけではない。

高校時代まで、全国的に名の知れた選手ではなかった。

長崎のサッカーといえば、国見高校という巨大な名前がある。
名門である。
多くの名選手を生んできた学校である。

しかし、森保は国見高校へ進んだ選手ではない。

地元長崎で、全国的なスターとして騒がれた存在でもない。

いわゆるエリート街道の選手ではなかった。

それでも、彼を見ていた人がいた。

高校の監督が、年賀状で推薦する。
今西和男が、その声を受け取り、長崎まで見に行く。
ハンス・オフトを伴って視察する。

けれど、オフトは当初、そこまで強い興味を示さなかったという。

分かりやすい技術。
目立つスピード。
派手な得点力。
観客がすぐに気づくような才能。

森保は、そういう選手ではなかった。

しかし、今西は違うところを見ていた。

視野の広さ。
先を読む力。
危機察知能力。
常に顔を上げていること。
三列先まで見ているような感覚。

それは、派手な才能ではない。

だが、サッカーという競技において、非常に重要な才能である。

目の前のボールだけを見るのではない。
次のプレーを見る。
その次を見る。
相手が何を狙っているかを読む。
味方がどこへ動くかを考える。
危険が起こる前に、そこへ立つ。

森保一という選手は、最初から「見えにくい価値」の人だったのかもしれない。

1987年、マツダへ入る。

ただし、ここでも最初から厚遇されたわけではない。

マツダサッカー部の新人採用において、当初の内定枠は5人。
しかし、森保一の評価はそれに次ぐ6番目であり、一度は内定取り消しが検討される状況。

マツダ本社採用が難しかったため、今西和男氏が親会社と掛け合い、給与体系や福利厚生などは本社と異なる子会社「マツダ運輸」勤務からのスタートだった。

プロサッカー選手として華々しく入団したわけではない。
将来の日本代表監督として期待されていたわけでもない。
チーム内でも、最初から高い評価を得ていたわけではない。

苦汁を舐めながら、結果を出し続ける。

這い上がる。

この時点で、すでに森保一の物語には「逆転」の匂いがある。

派手な天才ではない。
分かりやすいスターではない。
だが、見ている人には分かる。
地味だが、試合を読む。
目立たないが、効いている。
派手ではないが、チームに必要である。

これは、のちに「ボランチ」という言葉が日本サッカーに浸透していく流れとも重なる。

森保は、日本代表でボランチとして評価された選手である。

ボランチ。

今では当たり前に使われる言葉だが、かつて日本では、誰もが理解している言葉ではなかった。

守備的ミッドフィルダー。
中盤の底。
チームのバランスを取る選手。
危険を察知し、攻撃の起点にもなる選手。

しかし、それは見えにくい役割である。

ゴールを決める選手は分かりやすい。
ドリブルで抜く選手も分かりやすい。
強烈なシュートを打つ選手も分かりやすい。
最後の最後にピンチを防ぐ選手も分かりやすい。

だが、危険な場所を先に埋める選手は、分かりにくい。

相手の攻撃が危険になる前に消してしまうから、観客にはその危険が見えない。
味方がプレーしやすい場所へ静かにボールを動かすから、派手なアシストにはならない。
チーム全体の距離感を整えるから、一つのプレーとして切り取られにくい。

森保一は、そういう見えにくい価値の中で評価された選手だった。

オフトジャパン。

日本代表が、本気でワールドカップを目指し始めた時代。
Jリーグ開幕前後の熱気。
カズ、ラモス、柱谷、井原、福田、武田、北澤。

その中で、森保は代表に入っていく。

表のスターではない。

だが、チームには必要だった。

かつて無名だった選手が、日本代表の中盤の底に立つ。

これは、森保一という物語の第一の逆転である。

そして、ドーハで砕ける。

1993年。

日本代表は、ワールドカップ初出場に手をかけていた。

あと少しだった。
あと数分だった。

しかし、最後に追いつかれた。

日本は、世界への扉の前で崩れ落ちた。

森保一は、そのピッチにいた。

ドーハの悲劇とは、ただの歴史的事件ではない。

森保にとっては、自分の身体の中に残る記憶である。

最後の数分。
試合を終わらせることの難しさ。
勝ち切ることの難しさ。
一瞬で夢が崩れる怖さ。

それを、彼は選手として知っている。

のちに日本代表監督となった森保が、試合の終盤にこだわること。
交代策を重視すること。
全員で戦うこと。
ベンチを含めたチーム作りを意識すること。

そこに、ドーハの記憶を見たくなる。

もちろん、本人がどこまで意識しているかは分からない。

しかし、サッカーの記憶は身体に残る。

選手として経験した敗北は、監督になっても消えない。

むしろ、消えないからこそ、次の判断の奥に残る。

森保一は、ドーハの悲劇を知る男である。

そして、それを知る男が、三十年後、ドーハで歓喜を作る。

これが、サッカーの怖いところであり、美しいところである。

森保の物語には、もう一つの大きな場所がある。

広島である。

マツダ。
サンフレッチェ広島。
選手として過ごした場所。
指導者として戻った場所。
そして、監督として勝者になった場所。

森保は、サンフレッチェ広島の監督として、Jリーグを制する。

2012年。
2013年。
2015年。

三度のリーグ優勝。

これは、広島というクラブにとっても大きな記憶である。

サンフレッチェ広島は、巨大資本でスターを買い集めるクラブではない。

育てる。
組織で戦う。
連動する。
選手の特徴を生かす。
チームとして積み上げる。

そういうクラブである。

森保は、そこで勝った。

派手な個人の力だけで押し切るのではなく、チーム全体で勝つ。
全員で守り、全員で攻める。
役割を理解し、相手を見て、状況に応じて戦う。

広島での森保は、勝者になった。

無名だった選手が、ボランチとして代表に入り、ドーハで砕け、広島で監督として勝者になる。

ここにも逆転がある。

そして、その森保が日本代表監督になる。

2018年以降、日本代表を率いる。

もちろん、順風満帆だったわけではない。

森保ジャパンには、常に賛否があった。

なぜその選手を使うのか。
なぜ交代が遅いのか。
なぜこの戦い方なのか。
本当に世界で勝てるのか。
戦術が見えない。
個の力に頼っている。
もっと攻撃的に行くべきではないか。

批判は多かった。

それでも森保は続けた。

選手を入れ替えながら、チームを作る。
ベテランを残し、若手を使う。
海外で戦う選手たちを束ねる。
国内組も含めて見続ける。
ベンチの空気を作る。
全員で戦うチームにする。

そして2022年、カタールワールドカップ。

日本は、ドイツとスペインを倒す。

どちらも逆転勝利だった。

場所は、再びドーハだった。

ドーハの悲劇を知る男が、ドーハでドイツを倒す。
ドーハでスペインを倒す。
ドーハで歓喜を作る。

こんなことがある。

サッカーは、時々こういう辻褄を合わせてくる。

偶然なのか。
後付けなのか。
神話なのか。

おそらく全部である。

森保一にとって、ドーハは悲劇の場所だった。

しかし三十年後、その場所は歓喜の場所にもなった。

過去は消えない。

ドーハの悲劇は消えない。
あの失点も、あの沈黙も、あの崩れ落ちた時間も消えない。

しかし、過去は上書きではなく、重ね書きされることがある。

悲劇の上に、歓喜が重なる。
痛みの上に、勝利が重なる。
敗北の記憶が、次の世代の力になる。

森保ジャパンのドイツ戦とスペイン戦は、単なる番狂わせではない。

日本サッカーが、三十年分の記憶を使って作った逆転劇だった。

そして2026年へ向かう今、森保ジャパンはさらに不思議なチームになっている。

今の日本代表は、今いる選手たちだけでできているのではない。

もちろん、ピッチで戦うのは現在の選手たちである。

三笘薫。
久保建英。
遠藤航。
冨安健洋。
堂安律。
南野拓実。
鎌田大地。
伊東純也。
上田綺世。
鈴木彩艶。
そして、長友佑都。

彼らが走り、戦い、判断し、シュートを打つ。

だが、その背後には、長い記憶がある。

ドーハで崩れ落ちた選手たちがいる。
ジョホールバルで扉を開いた選手たちがいる。
Jリーグを育ててきたクラブとサポーターがいる。
高校サッカー、大学サッカー、ユース、街クラブから育った選手たちがいる。
欧州で道を切り開いた選手たちがいる。
女子サッカーが世界一になった記憶がある。
2010年、2014年、2018年、2022年と悔しさを重ねた選手たちがいる。
そして、それを見てきたサポーターたちがいる。

日本代表は、いつも今だけでできているわけではない。

過去の選手が作った道の上に、今の選手が立っている。
過去の敗北が残した問いに、今の選手が答えようとしている。
過去の成功が生んだ期待に、今の選手が押し上げられている。

森保ジャパンのベンチにも、その記憶が集まっている。

名波浩。
齊藤俊秀。
中村俊輔。
前田遼一。
長谷部誠。
下田崇。

名前を並べるだけで、日本サッカーの時間が見える。

名波浩には、1998年フランス大会の記憶がある。
齊藤俊秀にも、日本代表とJリーグの積み重ねがある。
中村俊輔には、左足の美学とセルティックの記憶がある。
前田遼一には、Jリーグで積み重ねた得点と代表の時間がある。
長谷部誠には、長く日本代表を整えてきたキャプテンの記憶がある。
下田崇には、広島と日本代表、ゴールキーパーの記憶がある。

これは、ただのコーチングスタッフではない。

日本サッカーの各時代の記憶を持つ人たちが、ベンチにいる。

さらに、吉田麻也を呼ぶこと。
長友佑都を残すこと。

それらも、単なる戦力論だけでは説明しきれない。

もちろん、戦力として必要だから呼ぶ。
経験があるから呼ぶ。
ピッチ内外で役割があるから呼ぶ。

それはそうだ。

だが、ワールドカップの代表チームにおいて、経験とは単なる年齢ではない。

それは記憶である。

勝った記憶。
負けた記憶。
ロッカールームの記憶。
世界大会の空気を知っていること。
試合前日の緊張を知っていること。
劣勢の時間を知っていること。
勝った翌日の難しさを知っていること。
PK戦の怖さを知っていること。
批判される重さを知っていること。

そうした記憶を持つ人間がいることは、チームにとって大きい。

ワールドカップでは、ベンチは控え選手の置き場ではない。

ベンチは、チームの感情を保つ場所である。

試合に出ていない選手が、どんな顔をしているか。
交代で入る選手が、どんな準備をしているか。
ベテランが、若い選手に何を伝えるか。
負けている時に、誰が空気を保つか。
勝っている時に、誰が浮つきを止めるか。

そういうものが、試合の奥にある。

森保ジャパンは、その見えにくい部分を重視しているチームに見える。

森保自身が、もともと見えにくい価値の人だったからかもしれない。

ボランチとして、危険を先に消す。
監督として、チームの空気を見る。
ベンチを含めて、全員で戦う。
スターだけでなく、役割を持つ選手を置く。
目立たない部分に価値を見る。

これは、森保一という人物のキャリアとつながっている。

無名だった男。
見出された男。
子会社勤務から始まった男。
ボランチという見えにくい役割で評価された男。
ドーハで砕けた男。
広島で勝者になった男。
日本代表監督として、ドーハで逆転の歓喜を作った男。

その男が、2026年へ向かう日本代表を率いている。

これは、単なる監督論ではない。

日本サッカーの記憶の継承である。

森保ジャパンは、今の選手だけのチームではない。

ドーハの悲劇を知る。
ジョホールバルの歓喜を知る。
2002年の熱を知る。
2006年の中田の終幕を知る。
2010年の現実主義を知る。
2014年の理想の挫折を知る。
2018年のロストフを知る。
2022年のドイツ戦とスペイン戦を知る。

その記憶を、ピッチに立つ選手だけでなく、ベンチとロッカールームにも集めている。

だから森保ジャパンは、日本サッカー30年分の記憶を集めたチームなのかもしれない。

2014年、日本はドログバ一人の登場で、スタジアムの空気が変わる怖さを知った。
だからこそ今、日本代表はベンチやロッカールームに「空気を変えられる人間」を置く意味を、以前より深く理解しているのかもしれない。
ワールドカップでは、ピッチに立つ十一人だけで試合をしているわけではない。
ベンチにいる経験、ロッカールームにある記憶、交代で入る選手の気配まで含めて、チームは戦っている。

もちろん、記憶だけで勝てるわけではない。

ワールドカップは、情緒だけでは勝てない。
神話だけでは勝てない。
過去の物語だけでは、目の前の相手を倒せない。

戦術が必要である。
個の力が必要である。
コンディションが必要である。
判断力が必要である。
勇気が必要である。

しかし、記憶は力になる。

同じ失敗を繰り返さないために。
過去の痛みを、現在の準備に変えるために。
勝った経験に浮かれず、負けた経験に潰されないために。

日本代表は、長く失敗してきた。

だからこそ、失敗を知っている。

2006年のように、期待が重くなることを知っている。
2010年のように、現実を見ることで勝てることを知っている。
2014年のように、理想だけでは折れることを知っている。
2018年のように、あと少しで届かない痛みを知っている。
2022年のように、強豪を倒したあとにも次の難しさが来ることを知っている。

2026年へ向かう日本代表は、史上最強と言われるかもしれない。

実際、選手層は厚い。
海外で戦う選手は多い。
世界基準でプレーしている選手もいる。
かつてなら想像できなかったほど、日本人選手は世界の日常に入っている。

だが、森保ジャパンの本当の強さは、そこだけではない。

このチームは、史上最強の日本代表であると同時に、史上最も日本代表の失敗を知っている日本代表なのかもしれない。

それは大きい。

失敗を知らない強さは、脆い。
期待だけで膨らんだ強さは、ワールドカップで簡単に折れることがある。

しかし、失敗を知っている強さは違う。

痛みを経験に変える。
敗北を準備に変える。
過去を力に変える。

森保ジャパンは、そういうチームに見える。

無名だった男が、日本サッカーの記憶を率いている。

それは、あまりにも日本サッカーらしい。

派手な王の物語ではない。
最初から選ばれた天才の物語でもない。
圧倒的なカリスマがすべてを変える物語でもない。

見出され、耐え、読み、整え、敗れ、勝ち、また問いを抱える。

そういう物語である。

森保一は、無名から見出された。
ボランチという見えにくい役割で評価された。
ドーハで砕けた。
広島で勝者になった。
日本代表監督として、ドーハで歓喜を作った。
そして今、日本サッカー30年分の記憶を率いて、2026年へ向かっている。

神話タイプで言えば、これは記憶の継承である。

無名からの下剋上である。
逆転の神話である。
過去を力に変えるチームの物語である。

次章では、その森保ジャパンが、今どんな神話を作ろうとしているのかを見ていきたい。

今の日本代表は、単に「強い選手が揃ったチーム」ではない。

世界の中で日常的に戦う選手たちが、日本代表として集まり、日本サッカーの次の物語を書こうとしているチームである。

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この連載は、サッカーを世界史・町・記憶・人生の物語として読み解くマガジンです。
全体の目次と読み方はこちらにまとめています。

▶ 読む前に|2026年ワールドカップを、物語として観るために
https://note.com/ka1zoku/n/n1d1568976062

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