Photo by
k_jack_norio
「してあげる」をしない
今日は助産院で開催される勉強会に参加。
勉強会の内容から派生して、相手になにか「してあげる」はいらないという話に。
相手は自分でできるし、自分で選べる。
前回書いた知り合いのお産の話をしたら、それも「してあげる」になってるよと。
いつの間にか、助産師の私>なにもしらない妊婦さん という力関係を結んでいたことに気が付きました。
でもでもやっぱり、知らずに悲しい思いをするなら伝えたくなる。。
悲しい思いをするだろうというのも、わたしの思い過ごしなのか。。
アーティストが音楽でみんなを元気にしたいと思ったり、医者が病気の人を救いたい、教師が生徒にいろんなことを教えたい、と思うのとは違うのか?
たくさんの人に向けての思いなら、相手がそれを受け取るか否か選べるからいいのか…そっか…
「してあげる」の中身が、相手を喜ばせたいという気持ちならいいけれど、一方的な助けたい・力になりたいは余計なお世話になる…
里帰り中、母が沢山動いてわたしにいろんなことをしてくれるけれど、わたしはそこまで望んでいないし、申し訳ないと思ったり。
これが「してあげる」を受け取る側の気持ちなら、たしかにいらないなと思う。
SOSが来た時にそれに応える、それだけでいいのかな。
でも、こうして今親がしてくれることをありがとうと受け取って頼れると、親が歳をとった時に頼ってくれるよと聞いて、なるほどなぁと。
頼り頼られ、そこに上下関係を作らず、自分と相手を切り離して生きる。
まだまだ落とし込めない……
ちょっとよくわからなくなってきたので、してあげるになりそうなことは全部しないをやってみる!
