黄門さまと犬公方 山室恭子 著 文春新書(1998年10月発行)
かたや修史事業に力を尽し理想の名君と讃えられてきた水戸光圀。こなた生類憐れみの令により稀代の暗君と罵倒される徳川綱吉。ほぼ同じ時代を生き、ともに三男坊でありながら主座に就くことになった両者なのに、後世の評価に天と地ほどの落差が生じるとは―。
ふたりの運命を分けたものは何だったのか。史料の森に踏み入り手さぐりで見つけた真の姿が、三百年の時空を超えて今、立ち上がる。
本書の感想
ずいぶんと以前から読みたいと思っていた本だったのですが、先日ようやく巨大古書チェーン(いわゆるB●●K●FF)で出会いました。
本書は二部構成となっていて、第一部が水戸光圀、第二部が徳川綱吉となっています。二人が同時代人であることはよく知られたことなので、お互いがどのような関係性を持っていたのか、特に生類憐みの令などに対して、どのようなやり取りをしていたのか、などが整理されていると期待したのですが、第一部と第二部に完全に分けられていたのが、少々残念でした。
本書の眼目としては、著者が膨大な史料から、相互に矛盾している記述や、いわゆる俗説との違いを明らかにするという、ちょっとしたミステリー仕立てで、しかも歴史の一般教養書には似つかわしくない「くだけた」文体でまとめられています。
その時代にまとめられた一次資料であっても、あるいは後年まとめられた公式記録であっても、あくまでも文書に基づいた研究である以上、そこには「解釈」が含まれます。
藩や幕府がまとめて公式と認めたものであっても、それがすべての真実を表しているわけではないのは、現代も同じなので、これはやむを得ないでしょう。
大切なのはその解釈が理にかなっているのか、個人的に納得できるのかだと思います。そのような意味では本書はとても面白かった(やや解釈が大胆すぎるという個所も見られましたが)。
著者が東京大学史料編纂所に所属していたこともあって、読み込んだ史料も(おそらく)膨大で、個人的にはおおむね納得できる内容でした。
特に第一部の「光圀ノ巻」は、著者が示す解釈を徹底的に追求し、自由に発送すると「光圀伝」になるなぁ、と感じています。
一方の第二部「綱吉ノ巻」では、主として生類憐みの令による犠牲者(処罰された人々)に着目しています。イメージで語られるよりも少ないし、目的はもっと高尚なもので、後年言われるほどの悪法ではなかったんだよ、という趣旨でまとめられていますが、視点が少々一方的に過ぎるとも感じました。
綱吉公大好きなのかなぁ。
本書はその文体もあいまって、簡単に読み進めることができます。おそらく新刊では入手困難だと思いますので、どこかのB●●K●FFで出会った際にはパラパラとめくってみてください。

注)以降は人の悪口が続きます。ご了承ください。
東京大学史料編纂所について
上記の組織に所属している研究者の一般教養書について、どこかでしゃべりたいと、ずっとフラストレーションをためてきました。
よい機会なので、ここで吐き出させてください。
まず、既読のものとして「信長が残した書状から外交戦略を探る」というものがあります(正式タイトルと著者名は覚える価値もないので忘れました)。
残されている様々な書状を並べ、読み下しながら内容を解説していました。その論旨としては
「信長は各武将に様々な約束をしておきながら、それをほとんど守っていない。だから弱腰で優柔不断な嘘つきに違いない。」
というもの。
最後にこの結論を投げつけて著者が満足げにしているのを見て、思わず本を放り出しました。
戦国武将の書状に書かれたことをすべて真に受けるやつがどこにいる!
ちょっと歴史に興味がある(というより弱肉強食世界を知っている)人ならば、書状に書かれたことは
「今は(戦いができる状態ではないので)ひとまず、お互いに手を出さないということでどう?」
程度の内容でしかないことはわかりきっているでしょうに。
それを「書状にかかれている」ことだけがすべて真実だと言い切るとは、どんなに世間知らずなんだ!
本当に情けなくて腹が立ちました。
本は放り出すことはできても、売り飛ばしたり捨てたりすることができないという厄介な属性を持つ私なので、書庫の奥の奥のさらに奥にしまい込みました。
ここにしまわれた本はこれで二冊目です(もう一冊については思い出したくもない)。
東京大学史料編纂所のH氏について
さらに、むかっ腹がたつのが、同所のH氏です。
この方の本はたくさん読んだんですよ。
書棚にもかつては20冊程度並んでいました。
読みながら、「癖があるなぁ」とは思っていましたし、ここでの「読書遍歴」でも取り上げたことがあるのですが、ある二つのきっかけで完全に決別させていただくことといたしました。
まず一つ目がH氏が出演した歴史バラエティを見たときです。
とある史跡を案内しながら
「明智光秀は生き延びて天海という僧になって家康に仕えたんですよ」
いいきってやがるぜ、こいつ!
と耳を疑いました。そこまではまだよかった(良くはないか)のですが、後日とあるPODCASTに同氏が出演した際にこの話題に振れ、
「・・・という話題をテレビでしたのですが、こういうことは信じるほうがどうかしているので大丈夫・・・」
という発言をしたのです。
あんた東大で、歴史の教授だろうが!
そんな肩書の人間がしゃべれば信じる人もいるんだよ!
と心の中で毒づきました。
二つ目は敬愛すべき中野信子先生(なぜ敬愛すべきかは内緒)との対談本があって、それはH氏が戦国武将の行動などを解説して、それを中野先生が脳科学的に解釈するという、いくぶん怪しげ?なものでした。
その中で「上杉謙信は女性だった」という説を、さもありなんという形で紹介して、こともあろうに中野先生にきちんと脳科学的解釈をさせている(それなりに長く)のである。
そこは(笑い)ですませるところだろうが!
H氏は「歴史をわかりやすく伝える」ことを信条としているようだが、これらの言動を見る限り、大きな勘違いをしているように感じられてならない。
これらを通じることで、今までの書籍で感じた違和感が言語化できて来て
「この人は他人の研究成果を一切認めないのでは?」
と感じてきました。
自分の研究内容はすべて一級で、他人のは二級もしくは、自分でもできるけどやっていないだけ、なのではないかと。
確かにベストセラーとなった「応仁の乱」についても「たいしたことはない」とどこかの本で書いていたし、日本史全体で戦争(いくさ)の研究書がほとんどない、なんて発言もしていたなぁ(Amazonだ検索したらいっぱいでてくるけど、ご本人は気に入らないんでしょうね)。
そうなると、今までに上梓している様々な一般教養書でも、シレっと、大嘘が書かれているかもしれないと思えるようになってきて、本棚一列分の本を、書庫の奥にしまい込みました。
上記の本紹介でも書いたのですが、歴史は「解釈」があってよいと思っています。ただし、それは研究者が一生懸命研究したうえで、現時点において「信じる」解釈でなければならず、自分が信じてもいないことを、さも真実であるかのように発言してはいけないと思うのです。
それがどんな場面においても。
だから、この人の本はもう一生読まないと思います。
そういえば、どこかのレビューで
「あいもかわらず根拠の薄いH氏ロマンを語る人」
と記しているレビュアーがいました。
とてもうまいことを言うと感心したのを覚えています。
ああ、すっきりした!
お付き合いありがとうございました。
