見出し画像

木蓮が咲く季節

隣で「見て、木蓮がすこしずつ咲いてきたよ」と言ってくれた人がいた。
わたしはきっと、月日が経っても、何年経ってもこのシーンを思い出すだろう。その瞬間に思った。

三十歳。人並みに多くの出会いがあった。
少し、人より多く、死別を経験してきた。
人と次々に会う仕事をしてきた。
これからもまだ、人と知り合おうとしている。

仕事を退職すれば、そこで関わりのある人たちとは話さなくなる。同僚であれば連絡先を交換し、やりとりをして、たまにごはんに行くことはできるけれど。お客さん、わたしの場合だと患者さん、そういう関係性の人たちと会うことはできないし、会いたいともあまり思わない。

高校生のときにソフトクリームを一緒に食べたあの子は、毎日、毎日、当たり前に会っていたあの子は、今は遠く離れた場所、おいしいチョコレート屋さんが近くにある場所で三人の子どもを育てている。
地元に帰省すればなんとか会える。会おうと約束できる。
わたしはいつの間にか、滅多に地元に帰省しなくなった。

日々は地続きで、毎日毎日が進んでいくうちに、いつの間にか誰かと会わなくなる。会いたくないわけではないのに、会いたくても、いつの間にか会わなくなる。
会いたい人が遠くになる。
近くにいる人と仲良くなるうちに、その人が新たな会いたい人になっていく。

わたしが誰かの前から姿を消したら、もうその人と会うことはなくなる。
誰かがわたしの前から消えたら、もうわたしと会うことはなくなる。

名前を忘れる。声を忘れる。顔を忘れる。手触りを忘れる。匂いを忘れる。

それでも、隣で「見て、木蓮がすこしずつ咲いてきたよ」と言ってくれたこと。
ごはんを食べながら「また一緒に働きたいね」と言ってくれたこと。
周りの人よりも特別ゆっくりゆっくりとふたりで歩いてきたこと。
すごした日々のこと。わたしの話で笑ってくれたこと。
そういうことは、いつまでも忘れられない。

三月十四日。正装した卒業生たちが写真を撮っていた。

レミオロメンの3月9日を合唱した十八のわたしは「瞳を閉じればあなたがまぶたの裏にいること」の意味がまったく分からず、自分にそんな人はいないと思っていた。
そんな人はいないと思っていても、今日まで生きてきた。
三十歳。三月三十一日。
今は、まぶたの裏に何人もの人たちが思い浮かぶ。
これからもきっと、増え続けていくのだろう。

いいなと思ったら応援しよう!

壁 園佳 応援いただけると嬉しいです✨創作活動の拡充、インプットなどに使わせていただきます。今後もたくさん書いていきます。

この記事が参加している募集