結論、友だちは大切。
赤ちゃんと知り合った。
その子は、むにむにのほっぺたを触ると、ふにゃふにゃと笑ってくれる子だった。
赤ちゃんのむにむにのほっぺたを触りたいなんて大人の身勝手な欲望なのに、触られたその子は喜び、笑って答えてくれたのだ。
赤ちゃんとの接し方はむずかしい。
自分に子どもがいないから、わたしが知り合う赤ちゃんはみんな友だちの子だ。
かわいいかわいい触りたい!と思っても友だちの子だし、赤ちゃんにだってされたいこととされたくないことがあるだろうから、欲望を抑えている。
だからいつも、恐る恐る。恐る恐る、刺激になりませんように、と思いながら関わっている。
むにむにのほっぺたを触って笑ってくれて、嬉しかった。
こんな生まれたての赤ちゃんに、すべてが初体験の赤ちゃんに、この刺激はいい刺激ですね、と受け入れてもらえたようでとても嬉しい。
赤ちゃんとの関わりは、自分がいかに赤ちゃんを喜ばせられるか、だと思っていたけど、自分のしたい関わりをしたうえで、赤ちゃんに喜びをもらえることもあるんだなあ。
知り合いになった赤ちゃんのお母さんであるユキノは、十年来の友だちだ。
毎日会ってた学生時代、全然連絡をとらなかった数年間を経て、今は定期的に会う関係となっている。
友だちってなんだろう。
大人になってからよく考える。
なぜ友だちを作るのか。なぜ友だちは存在するのか。なぜ友だちは必要なのか。
一時期、友だちと会わない時期があった。
もともと出不精で、頻繁に出歩くと疲れてしまうタイプだ。
その出不精に加えて、それまでどんなに仲良しだった友だちの言葉でも、すべてが突き刺さってくるように感じて、会わないようにしていた。
わたしには夫がいて、夫とわたしは仲が良い。
夫は夫であると同時に、親友のような存在だ。
行きたいところには夫と行けばいい。
夫であれば、言葉が突き刺さりそうになっても「突き刺さりますよ!それ!」と言えるし、実際突き刺さった後にも「突き刺さりました……」と気楽に言える。
だけど友だちにはそんなこと言えない。
わたしは過剰に友達に気を遣ってしまうのだ。
楽しんでいるかな?わたしと一緒にいて楽しいかな?と思いすぎてしまう。
だから、夫だけ近くにいてくれたら、それでいいのだと考えていた。夫と遊んでいれば傷は最小限でおさまるだろう。
そうは思うけれど、生きていると「この人と仲良くなってみたい」と感じる人が現れて、その気持ちはどんどん大きくなっていく。
気持ちに素直になって、そういう人たちとたくさん遊ぶようにしてみた。
夫と遊ぶのは楽しい。
だが夫よりも、わたしと同じ熱量で一緒に好きなものを語ってくれる人たちはたくさんいて、そうやって好きなものを同じ熱量、いやわたし以上に語って楽しんでくれる人がいると、自分が知らないで過ごしていたことを次々に知れて、世界は広がっていった。
趣味が同じだったり、同じ方向を見ている友だちと遊ぶようになると、過剰に気を遣うこともなくなっていった。
「わたしと一緒に遊んで楽しいかな?」と思っているわたしと遊ぶよりも「楽しい!楽しい!嬉しい!」と思っているわたしと遊んだ方が、相手も楽しいだろう。
前のめりに楽しんでいるわたしのほうが、多分魅力的だ。
だから友達と遊ぶときは、とにかく自分が楽しければ、それが結果的に良いのだと考えるようになった。
気は遣いたいけど、楽な範囲での気遣いができるようになった。
そうすると、友だちの言葉は刺さってこなくなった。
夫ばかりと遊んでいては、この楽しさは分からなかっただろう。
だから、わたしにとって友だちは大切だし、笑い合いたいし、これからも遊んでいきたい。
ふと、赤ちゃんのことを思い出す。
赤ちゃんももしかしたら、わたしが幸せそうな顔をして触ったから、笑ってくれたのかもしれない。赤ちゃんも友だちと呼んでいいだろうか。
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