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光が踊る

「目の悪い人が裸眼で外を見ると、風景が抽象画のようになり、印象派の良さがわかる」

いつだか、ネット記事でこのような話を読んだ。

わたしは、とてつもなく目が悪い。
視力検査では一番上の「C」が見えない。
そういう場合はどのように視力を測るのかというと、もう「C」の表は使わない。眼科のスタッフが「C」を大きく印刷した用紙を持ち、遠くからそれをくるくる回しながら歩いて近づてくるので、「C」のマークが確認できた瞬間を表明するのだ。今!今!見えました!と。
それで視力が分かるらしい。

そのくらい目が悪く、加えて乱視も凄まじいため、眼鏡かコンタクトがないと外を出歩けないどころか、家の中も歩けない。
だから常に、本当に常に、風呂と洗顔と着替え以外、眼鏡かコンタクトで視力を矯正している。

ただ、人と会ったり都会に繰り出すような外出時は基本的にコンタクトだ。
あまりにも眼鏡が分厚く、そのせいで目が小さく見えるのがイヤだからだ。
知り合いに会わないような、近所にふらっと出かけるときは眼鏡で行く。しかし「ちょっと眼鏡外して歩いてみるか〜」と思うことはまずない。見えないと困るから。

前述したネット記事を読んだのはたまたま、眼鏡をかけて新幹線に乗っていた冬の日のことだった。長時間の新幹線移動をしていた。
そんなシチュエーションでコンタクトをつけていると空調で目が乾くし、眠くても寝るのをためらってしまうから、眼鏡だった。

これはナイスタイミングだと思い、まずは眼鏡をつけたまま新幹線の窓の外に目を向けた。
そこに広がっていたのは、平凡な、どこにでもあるような住宅街だった。
家が立ち並んでいて、少し高めの位置を走っている新幹線からは家の屋根屋根がよく見える。
ときおり、家から飛び抜けた高さのビルがある。午前中で、天気は良い。

次に、窓の外に目を向けたまま、眼鏡を外してみる。
一気にぼやぼやの風景が目に飛び込んでくる。
家も、屋根も、ビルも、何もかもの形を確認できない。
そんなぼやぼやの風景のなかで特に目立っていたのは、光だった。

光が動いている。
午前中の太陽は低く、建物の壁、屋根、窓、いろいろなところに光が当たっていた。
新幹線から見える景色はまたたく間に移動して、それと一緒に光も移動した。
その光の動きばかりが、目に焼きついた。

自分が目にしたぼやぼやの風景が、抽象画とどのように一致しているかは分からなかった。
しかし、これは良い、と思った。
日頃、綺麗に1.0へ矯正された視力では、物を物としか見れない。
物が見えすぎるから、その中では何も目立たない。物を認知する優先順位が、どの物に対してもすべて一緒なのだ。
だけどぼやぼやの世界では、明確に目立つ光がある。

裸眼で見る風景に魅了されたわたしは、次に、夜に走る車の助手席で眼鏡を外してみた。
やはり、目立っていたのは光だった。

夜の大通りにはたくさんの光がある。
道路の端に立ち並ぶ街灯たち。信号の赤、黄色、青。車のテールランプ、ブレーキランプ。コンビニの照明。居酒屋の電飾看板。
信号の光は、5倍ほどの大きさに広がって見えた。1.0の視力よりも大量の光が目に入ってくる。
夜の街並みは、昼よりもさらに物の形が確認できなかった。
街灯や信号の柱の境界線はぼやけて、夜の暗さに溶け込み、存在が消えていた。
普段は道路の外側に立ち並ぶ家もはっきりと見えるのに、裸眼ではどこまでも真っ暗な空間だった。
そんな、すべてが溶け込んだ街に、大きな光だけが点在している。
車が進むたびに、道を曲がるたびに、光の場所が変わる。
前に走っている車のリアガラスに、信号の光が反射して見える。

その光は、踊っていた。ふよふよと、前後に、左右に、不規則に踊っていた。
どうしてそうなるのかは、よくわからない。
ただただ、光は踊っていた。わたしは、気持ちよかった。

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壁 園佳 応援いただけると嬉しいです✨創作活動の拡充、インプットなどに使わせていただきます。今後もたくさん書いていきます。