なぜアルバイトスーツアクターはエンジニアではなく専業スーツアクターを目指したのか
ただの学生バイトのはずだったのに
高校2年のGWに始まった、かちまるのスーツアクター人生。
ロードバイクが欲しくて始めた、日雇いの小遣い稼ぎ。
そのはずでした。
最初の1回こそアクションショーに出ましたが、始めた当初は大量の練習やリハーサルを必要としないミニショーやグリーティングを中心にしていました。
入っていた事務所では前日のリハーサルにギャラも交通費も出ません。
愛知の片田舎から名古屋まで通う身としては、出れば出るほど赤字になる。流石にそれは厳しと思っていたようで、当時の僕にしては珍しく合理的な判断でした。
それでも、アクションやお芝居の楽しさと難しさを少しずつ知っていくうちに、気づけば毎週のようにアクションショーのステージに立つ生活になっていました。それまで学校ではNHK高専ロボコンに出るような、ロボットを作る部活に入っていたのに、その面白さを上回る何かがキャラショーにはあったようです。
金曜に名古屋でリハーサルをし、そのまま土日は現場に出て、日曜の夜に寮へ帰る。いつの間にか、生活の中心がキャラショーになっていました。
「なあ、かちまる。練習しようぜ」
スーツアクター3年目、高専4年生の夏。
いろいろなことが重なり、僕にキャラショーは面白いんだと教えてくれた諸先輩方が相次いで事務所を辞めて、気づけば事務所には同年代かそれよりも下のメンバーばかりが残っていました。
頼れる先輩が、ごっそりいなくなっていた。
今思えば、だいぶ絶望的な状況だったと思います。
そんなタイミングで、同期で同い年のT下が「事務所入りたい奴が学校の同級生でいるんだけど」と言って連れてきたのがK谷でした。
初めてのショーで顔面を蹴られ、吹き飛ばされてもヘラヘラしている男。
痛打を食らっても「柔道部だったんで大丈夫っす!」と、説得力がありそうでない言葉を吐く筋金入りの変態です。
3人は気づけば毎日のように現場や練習で顔を合わすようになっていました。
こうして、今なお続く名古屋の3馬鹿トリオが完成したのです。
僕の学校は愛知の片田舎、二人の学校は名古屋・栄のど真ん中。
授業を抜け出した二人が向かう先は、決まって学校近くの公園でした。
「なあ、かちまる。練習しようぜ」
この一言に何度負けて、授業を自主休講して練習に向かったかわかりません。
来る日も来る日も、練習という名目で体を動かして遊んでいました。
夜は事務所でリハーサルをして、ショーが終わればビデオを見返し、良かったところはそれなりに褒め合い、ダメなところは何度も巻き戻してコマ送りにして、いじり合う。その反省を持って、また翌日のショーに向かう。
練習して、現場に出て、反省して、また練習する。
そんなことを、楽しいという理由だけで延々と続けられる時間でした。
今振り返ってみると、遊び感覚で無限に練習できたこと、そしてその練習に、同じ熱量で付き合ってくれる仲間に出会ってしまったことは、スーツアクターとしてだけでなく、人生全体で見ても相当レアで、恵まれた経験だったと思います。
今思い出すと青春ですね。もう出会って10年。最近久々に3人だけで飲む機会があったのですが、5時間くらいゲラゲラ話していました。当時の思い出と、最近あったこと。奇跡的に3人ともまだキャラショーや巨大ヒーローに関わっているというのは、3人それぞれがお互いに影響しあっていたからなんじゃないかと僕は思っています。本人たちには言わないけど!
「お主らくらいならアクターでも食えると思うよ」
そんな3人が揃って日本各地の巨大ヒーローのスーツアクターが集まる大きなステージに出演する機会がありました。地方の現場しかほとんど知らなかった僕らにとって、あれは別世界の規模でした。
東京のメンバーと本格的に交わるのも、これが初めてでした。
そこで初めて、「テレビに出ている人」と一緒のステージに立ちました。
遠い世界の存在だと思っていた人たちが、目の前で普通に準備をし、リハーサルを重ね、本番に臨んでいる。
感じたのは、天才だからできているわけではない、ということでした。
同じように練習し、積み重ねた結果として、あのパフォーマンスがある。
運動が得意な方ではなかった僕にとって、
「この方向で続けた先に、上手くなる未来がありそうだ」
と思えたことは、大きな意味を持っていました。
衣装のメンテナンスをしながら、「テレビに出ている人」でもある名古屋の偉大な先輩がぽつりと言った一言が、今でも残っています。
「お主らくらいなら、アクターでも食えると思うよ」
進路を考え始める時期だった僕には、この言葉が強烈に刺さりました。
何より、「スーツアクターを職業として生きている人」が、確かに目の前にいたこと。
それが一番の衝撃でした。
「進路の第一希望はうるとらまんです」
5年生になると、学校で進路希望を書かされます。
就職率100%の高専で、ぼーっとしていても企業に行ける環境でした。
インターンも経験しましたが、どうしても自分がエンジニアを続ける未来が想像できませんでした。
身体が動く時間には限りがあること。
新卒で就職しなくても、引退してから何とかなるんじゃないかと思ってしまったこと。
これらを総合的に衝動的に勘案した結果、進路希望の第一欄には
「うるとらまん」
と書いていました。
結果、担当教授にも、学科長にも「もう知らんぞ、いいんだな」と見放されることになります。
こうして晴れて、フリーターのかちまるくん爆誕です。
だから、専業を目指した
楽しかった。仲間がいた。プロの世界を見てしまった。
ただの学生バイトだったはずの仕事が、いつの間にか
「本気でやりたいこと」
に変わっていました。
2018年11月。
もっと遠くまで行きたくて、もっと上手くなりたくて、在籍していたイベント会社を辞める決断をしました。
こうして、フリーの“専業”スーツアクターのかちまるくんになるべく、挑戦の日々が始まりました。
事務所から提供される仕事をこなすスタイルから、自ら営業し依頼を請けて仕事をするスタイルへの変化は、外から見ると大した変化は無いようで、内側では大きな変化があったのでした。
さて、専業スーツアクターを目指したかちまるくんはこの後どうなって今の状態に落ち着くのか。
その辺りを次はお話しできればと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
スキとフォロー、めちゃくちゃ励みになります。
Xもよかったら覗いて見てください。
このnoteの100倍しょうもないことを日々つぶやいています!
