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料理人の悪ふざけ

フランス料理では、鴨肉の中にわざと散弾銃の破片を残しておくらしい。その肉が、歯応えも深みもない家畜の鴨ではなく、野生の鴨であることの証明になるからだそうだ。

もし僕がなんの知識もなく散弾入りの鴨肉を食ったなら、間違いなくクレームを入れる。そして取り替えてもらったとしても、また散弾が入っていることを想像するだけで鉄の味が込み上げてきて、鴨肉を楽しめないに違いない。ところがフランス料理通であるなら、「ほう、これは野生なのか!」と、舌鼓を打つのだ。

人間の味覚とは、どれだけいい加減なのかがよくわかる。人は純粋な化学成分だけで料理を評価しているわけではない。情報と文脈によって飯を食っている。「散弾が入っている鴨は美味い」という思い込みこそが、鴨を美味くさせる。逆にその思い込みの欠如は鴨を不味くさせる。

散弾というのは極端な例であるが、他の食材でも似たような事態は起きていると思われる。例えばきゅうりのイボである。

僕は子どもの頃から料理が好きで勝手に何かを作っていたのだが、妻と結婚するまで「きゅうりのイボを取るために板摺りする」という工程が社会的に要請されていることを知らなかった。もちろん、きゅうりを切ったことは何度もある。だが、僕は料理を学校や本で学んだわけではなく、自分が食ってきた料理から想像して勘とノリだけでやってきたので、板摺りのことなんて知る由もなかったのである。

が、別に僕は自分が切ったきゅうりを食べて「イボが残っていて美味しくないなぁ」と思ったことはなかった。僕が特別鈍感なだけという可能性もあるが、そうでないとしたら、イボを取るべき理由は「イボを取るべきだから」であり、イボを取っていないと不味いと感じるのは「イボを取るべきなのに取っていないから」なのではないだろうか。

つまりイボを取る理由は、化学的、生物学的に規定されたものではなく、社会的、政治的なものなのだ。

恐らく、歴史上初めてきゅうりを食べた人間は、板摺りをしなかっただろうし、しばらくの間しなかっただろう。「板摺りをすべき」という発想がなければ、そもそもイボが気になることはないのだから。だが、どこかのタイミングで板摺り革命とでも呼べる変化が起きた。その革命はきっと悪ふざけのようなものだったのではないかと僕は考える。つまり、「イボが引っかかって美味しくないなぁ‥そうだ塩を振ってまな板の上を転がしてみよう!」となったのではなく、「暇やし、きゅうりのもっと美味い食べ方考えてみるかwwよく見るとイボついてるし無駄にイボ取ったろww」「お、お前イボなしきゅうりとか作ったんwwええやんwww」みたいなノリだったのではないだろうか。

そして悪ふざけが、気づいたときには真面目な動機にすり替わってしまった。「板摺りをした方が面白い」が「板摺りをすべきである」になった。伝統ってそういうものだ。

板摺りだけではなく、例えば鶏肉の筋を取ったり、みかんの筋を取ったり、卵の白いやつを取ったり、そういう工程も恐らく最初は全て悪ふざけだ。さらに僕はそれだけではなく「食材を同じサイズに切り揃えなければならない」とか「ピーマンの種が料理に入っていてはいけない」とか「にんじんの皮は剥かなければならない」といった思い込みも悪ふざけから始まったものだと考えている。

よくよく考えれば、別に食感や火の通り具合が同一である必要はないし、1つや2つの種が入っていても味に支障はないし、にんじんの皮はほとんど影響しない。「影響する」と思い込んでいれば影響するだろうが、そうでなければしないのだ。

こういう思い込みから自由になれば、料理はもっと楽しくなるのだ。僕はきゅうりのイボは取らないし、みじん切りは下手くそだし、にんじんの皮は剥かないが、餃子の皮を手作りしたり、大豆から味噌をつけたり、うどんを打ったりするタイプの人間である。本当にかけるべきだと思える手間にだけ時間をかける。イライラと家事に追われながら行う板摺りなど、苦行以外の何者でもないのだから、さっさとやめればいいのだ。

そもそも料理とは生命維持のために行なっているのではなく、ほとんどの場合は悪ふざけで行っている。なぜなら僕たちはそんなに食べなくても死なないからだ。なぜ人類が蒟蒻を発明したのかを考えてみたらいい。あんなものに栄養素も皆無で腹持ちもしないわけだが、作るまでには膨大な手間がかかっている。蒟蒻を発明した人は「生きるために飯を食わねば‥」なんて微塵も考えていなかっただろう。「この芋は毒あるんか‥でも、食ったろww」と悪ふざけで始めたに違いない。きっとその手間と情熱があれば何俵もの米を生産できたはずだ。

料理は悪ふざけ。死にたくないなら生米でも齧ってればいい。もっと気軽にいこうぜ。

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