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JGPとBIについて。あるいは失業は悪なのか?【雑記】

積極財政派の中には大きく分けて2つの潮流がある。1つは国債発行を財源としたベーシックインカムを主張するBI派。もう1つは国債発行を財源とした政府による雇用保障プログラムを主張するJGP派(要するに希望する人間を全員公務員として雇うという考え方)である。

両者は似ているようで根本的な部分でかなり違う。では、最も異なる点はなにか? それは失業をどのように評価するかであろう。JGP派は例外なく失業を悪であると考える。

以下の記事なんかはJGP派による失業恐怖症の典型と言える内容であろう。

失業は、社会にとっての災い、疫病なのです。私たちは、失業を当たり前のように受け入れているため、このことを忘れがちですが、失業は、失業者当人、家族、そして失業者を取り巻く人々に多大な犠牲と苦しみを与えています。本を書いたのは、パンデミック前の2019年ですが、「失業は静かな伝染病」と論じました。失業は社会的コストだけでなく、人々の精神に、肉体に、そして子ども、健康にも影響を与えます。それだけでなく、社会の中で、ウィルスのように広がっていきます。そして、失業が社会で常態化すると、地域の経済的基盤を弱体化させ、大衆に影響を与える「雇用の慢性疾患」へと至ります。

そして、失業率の改善に貢献しないことを理由にBIを攻撃している。

UBIは、失業を解決しません。UBIは、直接の雇用も創出しません。失業は常態化することになるでしょう。なぜなら、私たちは経験から、基礎所得を持つ人は求職を続け、必ずしも全員が仕事にありつけないことを知っています。人は、仕事を求め続けるのです。私たちはこの現実を受け入れなければなりません。

なるほど、失業が悪であるという主張に根拠がないわけではない。たとえば日本においては失業率と自殺率が綺麗に連動している。

https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/20/backdata/1-2-2-5.html

失業率と犯罪率も同様である。

https://retail-e.com/syouhisya-keizai-covid-han-2.html

だが、この批判にはいとも簡単に退けることができる。確かに失業は自殺率や犯罪率を高める傾向にあるが、それはあきらかに「失業によって収入がさがること」や「貯金が食いつぶされていくこと」が大きな要因となっているのではないか? 失業そのものが幸福度をさげているのではなく、失業がもたらす貧困や将来への不安が自殺や犯罪を増やしていると考える方が妥当であるように思う。

ベーシックインカムはその問題を無きものにしまうのはあきらかである。失業しようが路頭に迷う恐れがないのなら、誰が自殺するほどまでに絶望するだろうか? つまり、ベーシックインカムは失業問題を解決しないが、失業問題を骨抜きにする。

なるほど、失業によって生きがいが失われてしまった結果、幸福度が下がるケースもあるだろう。毎日なにもやることがないよりは、やることが決まっている方が人間の精神の健康にいい影響を与えることは間違いない。だが、必ずしも生きがいとは労働によって得る必要はない。ベーシックインカムのある社会で失業した人は、ジャズバンドを組もうが、子ども食堂のボランティアを始めようが、エルデンリングをプレイしようが、好きなように生きがいを見つければいいのだ。

JGPに限らずあらゆる職業はブルシットジョブ化する恐れがある。政府が万人に職を用意しようとするときに、その大半がブルシットジョブ化するはずがないと断言できる人間がどれほどいるだろうか? JGPでなくともブルシットジョブで溢れかえっているのだ。やることがなかったとしても職を用意しなければならない状況になって、クソどうでもいい仕事が発生しないわけがない

BIがなく、JGPがある社会において、失業者は次のような二択を迫られる。無意味な仕事を拒否して路頭に迷うか、無意味だとわかっていてもブルシットジョブに就いて食い繋ぐか。前者を選ぶ人間はほぼいないだろう。

仮にそんな二択を押し付けるくらいなら、はじめから政府が彼に同額のお小遣いを渡して、好きなことをさせる方がいい。「とくに理由はないが、彼が苦しむべきである」といったサディズム的な嗜好の持ち主以外は、これに反論するのはほとんど不可能だろう。彼が政府に押し付けられたブルシットジョブに就くパターンと、自発的にやりたいことをやるパターンを比べた際、後者には明確なメリットがある。その行為が他人の役に立つか、立たないかはわからないが、少なくとも本人がやりたいことができる。これは誰にも否定できないほど、社会にとってのである。

JGPによって用意される職がすべてブルシットジョブであるかのように語るのはフェアではないかもしれない。記事の中でも触れられていたようにJGPの典型として語られがちなグリーンニューディールにまつわる仕事は、おそらくいくらか有益なものも含まれるだろう。

だが、グリーンニューディールの観点からも、BIは有益であると考えられる。仮に、自分の仕事が無駄だと感じている広告やコンサル、マーケティング、保険、金融といった業界のビジネスパーソンがBIによって十分な収入を得て、一斉に仕事を辞めたとしよう。おそらく世界中の自動車をEVに変えるよりも大きなCO2削減効果がもたらされるのではないか?  そして、さほどデメリットはないように思う。なぜなら、こうした業界は基本的にピンハネの権利を奪い合う過酷なゼロサムゲームを行なっているのであり、軍拡競争と変わらない。全員が一斉に武器をおろした方が全体のメリットになる類の労働である。

要するに、ブルシットジョブに限って言えば、金を渡して「なにもするな」と言った方が、社会にとってプラスになるのである。別の見方をすれば、BIによってブルシットジョブを辞めることを促すということは、労働によって資源を無駄にさせないという仕事に報酬を支払っていると解釈することもできる。

つまり、BIは究極のグリーンニューディールになりうるのだ。

もちろん、それだけですべてが解決するとは言わない。地産地消型のエネルギー開発や、化学肥料や資材などの輸入に頼らない持続可能な農業システム、国内林業の活性化が、環境保護のために必要であることはあきらかだが、そうした課題は国が公共事業として取り組まなければ誰も着手しないかもしれない(そんなことを民間企業がやっても儲からないし、BIを受け取って放蕩している個人が気まぐれに大規模な林業を始めるとも考えづらい)。

なら、BIとJGPは両立したほうが、望ましい結果が得られるのではないか? BIを受け取っている個人なら、JGPによって用意された労働がクソどうでもいい書類仕事であったなら即座に拒否することができる。拒否できなければならないのだ。そうでなければ問題は解決するどころか、拡大していくのだから。

そのほかにも上記の記事ではBIに対する批判が行われているが、さほどめぼしいものはなかったように思う。たとえば以下のものは、ほとんど眉唾理論である。

一人当たり年間3万ドルの給付は、国内総生産(GDP)の約1/3に相当します。GDPの1/3もの額を、無条件にあらゆる人に給付すれば何が起こるのでしょう? 例えば、市場支配力の大きな企業が、UBIによって創出される巨大な購買力の一部を既得権益化し、価格支配力を行使する可能性が必然的に高くなります。

これは、なにを根拠にそう言うのか、まったくもって謎である。これはどのような購買力に関しても生じうる問題であり、BIによってもたらされる購買力に限ってそれを問題視する理由はない。もしそれを言い出すなら「JGPの収入によって創出される巨大な購買力の一部を既得権益化し、価格支配力を行使する可能性も高い」ということになるのだ。要するにBIに対する言いがかりであるとして切り捨てて問題ないだろう。


あとは、お馴染みのインフレに関する批判も見受けられた。

毎年、GDPの1/3を単純給付するだけですからね。インフレを誘発しやすくなりますし、インフレへの対処も難しくなるでしょう。

これは要するにBIにより拡大した需要に供給が追いつかないという想定であろう。その心配はもっともだが、その一方で彼は次のように書いているのである。

私たちは経験から、基礎所得を持つ人は求職を続け、必ずしも全員が仕事にありつけないことを知っています。人は、仕事を求め続けるのです。私たちはこの現実を受け入れなければなりません。

つまり、人はBIを受け取っても仕事をするというわけである。この事態は世界中のBI実験により確認されてきた。であるならば、供給能力を上回るほどの需要が生じるようなことが、果たしてあり得るだろうか? ただでさえ先進国は需要不足でデフレ沼に陥っているのである。「モノ余りの時代だからコト消費」だとかなんとかいってビジネス芸人がトレンドワードを生み出し自己啓発書を売り込み、あらゆる産業が成長率を下げる中、広告やコンサル、マーケティングといった業界の市場規模だけが右肩上がりしているのである。社会に存在する労働の大半が「供給させろ」と言って顧客の財布の口を開ける行為に成り下がり、効率的に金儲けする方法が「顧客の財布の開け方教えます」と耳打ちすることになっているわけだ。ちょっとやそっと需要が増えたところで、さほど問題はない(さらに言えば、仮に需要が供給を上回ってインフレが起きたとするならば、彼の望み通り失業者は減っていくはずである)。

むしろ、(これはかなり希望的観測だが)ピンハネ合戦を繰り広げていたブルシットジョバーによるピンハネ分の価格上乗せ分を下げることができる可能性もある。こうした労働はむしろ実際に供給を行うエッセンシャルワーカーの働きを邪魔する傾向にあるため、逆に辞めてもらったほうが社会全体の供給能力が高まる可能性すらあるのだ(サラリーマンであれば誰しも「休んでくれた方がむしろ全体の生産性が高まる人」が幾人でも思い浮かぶだろう)。ならばインフレに関しては気にしなくてもいいのではないか?

JGPを主張する人にこのような観点が抜けていることはあきらかだろう。JGP派は、あらゆる労働が有益であり、労働できる人は労働すべきであると考えているように見える。それを象徴するのが以下の一文である。

働くことができない人や、働くべきでない人への財政的支援を行わなければならないでしょう。就業を全ての人に強制すべきではないでしょうし、それはJGPの思想的背景にあるものではありません。

「労働を全ての人に強制すべきではない」ということは裏を返せば「労働を強制すべき人が存在する」ということになるだろう。つまり「止むを得ず働けない人は仕方ないけど、働けるなら労働しろ」というわけだ。

BI派である僕の考えはこうである。誰も労働を強制されるべきではない。万人がやりたくないことをやらない方がいい。失業など、やりたくないことをやらされることに比べれば、たいした問題ではないのである。

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