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空を仰ぐ、私を見つめる。

太陽に照らされて輝く、青く澄んだ空を見るのが好きだった。

空は様々な色と変化を見せ、同じ顔を二度は見ない。

朝も、昼も、夕暮れも、夜も。

白も、ピンクも、水色も、青も、黄色も、オレンジも、赤も、朱も、紫も、紺も、青も。

雲が混ざればまた違う。

星が瞬けばまた変わる。

月の形や煌めき加減で、心の落ち着きが変わる。

静かに流れる日も、嵐に揺らめく日も、曇天にすべてを覆われる日も。

きっと全部違うから、全部が愛おしくて、ワクワクして、また気づけば空を見上げている。

田舎で暮らした10代は、正直苦しい思い出が根強く、過去を振り返ろうとするとどうしても曇りがかっている。

でも、心の暗雲と不安を打ち消してくれたのは、どこまでも大きく長く広がる空だった。

学生時代、いじめられて親に相談することもできず、もう無理だと命を絶とうと何度思ったか分からないけれど、窓から身を乗り出すたびに目に映る空の美しさに涙し、何度引き止められたか。

心の隙間を埋めるように、農道を歩いて走って息が切れると立ち止まり、すぐそこにある空を見上げた。

誰も通らない細道の先にある当時使われていなかった牛舎横の、コンクリートで固められた12畳くらいのスペースにこっそりと寝転がり、昼から夕方、夜までの移り変わりを眺めては、明日も頑張ろうと立ち上がり、何事もなかったかのように「ただいま」と母に告げていた日々も、すべて。

空がこんなに広くて大きくて、美しくて、面白くて、すぐ近くにあったから、きっと耐えられた。乗り越えられた。

私の唯一の救いは、人には恵まれなかったけれど、環境には恵まれたこと。
きっとこんな田舎じゃなければ、空をこんなに近い存在として日々を過ごすことも、美しさを知ることもなかった。

小学生になってすぐ、母方の祖父が使っていたカメラをもらった。一眼レフの、今思えばいくらしたんだろうと心配になるような立派なやつ。

田舎で有名な山にハイキングに行ったとき、はじめてそのカメラで青空の写真を撮った。

人生で初めてシャッターを切った思い出。親は現像して手渡してくれた。
今も実家の自室に飾ってある、色褪せない思い出。

あの日からきっと、私は空の虜になった。そして、友達になり、支えとなった。

私は夢を追いかけるために、東京へ出た。
役者になりたかった。
何者でもない、なにかになりたくて。
空のように同じ顔は二度はしない、誰かの支えになる役者になりたかった。

でも、役者で生計を立てるには実力も運も何もかもが足りなくて。

私は18歳から志した夢を、28歳で辞めた。
お金もなくて、心も病んだ。
小さいころに当たり前のように食べていたあの美味しいご飯も食べられず、貧乏に足をつかまれ、転び、倒れ、生まれて初めて栄養失調と過労と診断された。
親には今でも言ってない。

私は気がおかしくなり、しばらくして実家に連れ戻された。

もう何もかもがダメだと思ったとき、見上げたらそこに当時と変わらぬ青があった。

同じ顔は二度と見せないというのに、その輝きはあの初めてシャッターを押したときと同じに感じた。

涙が止まらなかった。

東京に住んでいたころ、空を見上げたことがあっただろうか。
足元ばかりを気にして、目の前のひとつひとつのハードルを跳び進めることしかできなかった。

そしてハードルを倒し、立ち上がれなくなった。

でも、また空が引き止めてくれた。思い出させてくれた。
自分がどうして役者を目指したのか。どうして田舎を離れたのか。
そして、自分が頑張って来られたのは支えがあったから。

しばらく、田舎で働きながら、毎日移り変わる空を見上げていた。

どんな色も、どんな表情も好きだった。
でも、やっぱり一番は、太陽の輝きを沁み込ませたあの青が好きだ。
一瞬で、私の心の雲を吹き飛ばしてくれるから。

一度描いた夢を同じようになぞることはできないけれど、新しい輝きを求めてまた東京に戻った。

働くのは東京。でも、住み始めたのは千葉県。
2,3駅ですぐ都内に出られる距離。
そして、新しい部屋は相変わらず年季が入っているけれど、大きな窓があった。

目の前に建物はない、小さな町の公園だけ。遮るものはなく、日の光もまっすぐに入ってくる。

窓際にベッドを置いた。
仰げば、すぐそこに青が広がった。

田舎の空ほど広くはないけれど、高い空が私を見守ってくれた。
嬉しかった。

この部屋に住み始めてから多くの人と出会った。
きっとあの田舎にいたら出会えなかった人たち。
誰一人として同じ顔はなく、同じ性格もなく、同じ境遇もいない。
みんな多くの経験と、異なる悩みを持った人たち。

まるで、空のような。

空が美しく広がり続けるあの田舎の空の下で出会った人たちは、全員とは言わないけどみんな同じような思想で同じような境遇で、同じような偏見にまみれていた。
それが大嫌いだった。

小さな空の下で、忙しなく続く毎日の中、出会った人たちは良くも悪くもいろんな考えや意識を持ち、他人にさほど興味がなく、そしてあの狭い世界で異端とされていた自分も、「何がおかしいの?」と不思議がる人たちばかりだった。
それが心地良かった。

あの時、人に悩み支えてくれた存在の空は小さくなり、その移り変わりを一日眺めていられるほどの時間の余裕もなくなったけれど、奇しくも今の私を支えてくれているのは、小さな空の下で出会ったたくさんの人たち。

人は一人では生きていけない。
20代はそれを痛感した。でも、誰に頼ればいいのかわからなかった。

でも今は、素直に相談したり、頼ったりすることができる人たちがいる。
それが素直に、嬉しくありがたい。

移り変わる日々の中、自分が少しずつ「大人」になっていくのが分かる。

あの頃はきっと、異端であることに苦しんだが、「普通」にもなりたくなかったジレンマがあった。

自分は特別なんだと心のどこかで思いたかった。もちろん今も。

特別ということがどういうことを指すのか、見方によっては様々だろうが、私はみんなが一人一人特別な存在だと強く思う。

だって、誰も同じ顔の人はいない。同じように愛してくれる人もいない。


そして、人と関わることが嫌いだった自分が、今や結婚を見据える人と出会った。

この人となら、二人きりでもずっと一緒に過ごせると思った。
喧嘩したとしても、すぐに仲直りしたいと思えた。
自分が我慢すれば済む、と適当に問題を片付けなくなった。
自分を愛することができるようになって、初めて本当の意味で相手を愛し、敬うことができるようになった。
お互いの大切なものを、共有できるようになった。

ほどなくして、二人で手を繋いで、色んな場所に行くようになった。

場所が違えば人も違う、空の見え方も違う。また新しい空の表情を見ることができて、不思議と胸が高鳴った。

今まで感じたすべてを共有できる人はいない。するつもりもない。
でもきっと、どんな場所にいても、空は変わらずそこにいて、私が下を見ているときもずっと見守ってくれていた。
そういう存在に気づけた。出会えた。幸せなことだ。

私は「大人」になるということは、子どものころの感じ方ができなくなること、だと思っていた。

でも違った。子供のころに感じた大切なことは、今でもなお、色褪せず大切な宝物のままだった。

「大人」になるということは、その宝物の本当の価値を知ることなんだと思う。

狭い世界で狭い見識の中で乏しい経験しか詰めなかったら、きっと気づいてない。だからこそ、今までの苦しみや流した汗や涙は無駄にはならず、新し色を作る一つとなる。

新しい色はまだ見ぬ世界へ連れて行ってくれる。

新しい価値観をくれる。美術館をゆっくりと見て回るときと同じような、静かな世界に心の奥底から熱量がぐっど押し上げてくる、あの感じ。

新しい景色を見て、自分が一回りも二回りも成長できたと感じられる。

このレベルアップの瞬間は、その都度都度感じられるわけじゃなく、私の場合は本当にたくさんのものを積み上げて、やっと、「ああ、大人になったんだな」と感じられるくらい。

そう、価値観が書き変わる瞬間。
人生で何度も起きるわけもない。

自分があの日胸を奪われたものは、美しいと感じたあの思いは、間違いなく本物だった。

そして今、結婚に向けてまた都内に引っ越しを決めた。
今度は一人じゃなく、二人で。

不安は少なからずあるけれど、迷いはない。
心の空は常に晴れ渡っている。

新しい部屋の窓からも、少しだけ空が見える。

今まで以上に狭くて小さい。
でも、あの日と同じように光り輝いている。

空を仰ぐ。一人でも、二人でも。どこにいても。

空を仰ぐたびにきっと、私は自分を見つめ、自分自身を取り戻し、静かに澄んだ心を取り戻す。

その一方で、あのシャッターを初めて押した瞬間に感じた高揚感、恋に落ちたようなときめきと胸の高鳴りを、もう一度思い出す。

穏やかで温かなもの。私がずっとほしかったもの。

大切なものは色褪せない。私が私である限り。

ずっと、そこに、そばにある。




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