あの日のカルテ~自己免疫介在性脳炎・脳症~
私は中学3年生になろうとする春休み、全身麻酔での間欠性外斜視(外直筋後転術)の手術をきっかけに『自己免疫介在性脳炎・脳症』を発症しました。
この病気は自身の免疫系が脳を誤って攻撃することで発症します。
病院にかかっても、心因性とされてしまうことが多く、知識のある先生に検査をしてもらわないと治療に繋がりません。
そのせいで、私も遠回りしました。
握力ゼロで自分で何もできず、頭痛もする時期でした。
神経内科で色んな検査をしてもらいましたが、異常はないと言われました。
そこで「学校でなにかあった?」と聞かれたのです。
クラス替えをしたばかりのタイミングで、私はむしろ楽しく学校に通えていました。
担任の先生も好きだし、仲のいい友達と同じクラスで毎日、充実した学校生活が送れていて楽しかったんです!
そして私はインドアな性格なので、家でも楽しく過ごしていました。
なにかストレスがあるとしたら、思うように動かない身体こそがストレスでした。
学校でも家でもエンジョイしているのに、そんなことを言われるとそれまで問題ないと思っていたことを問題視してしまいました。
身体が弱っていると、心も弱りやすい気がして神経内科の先生からの質問に気持ちがどんよりしました。
その後、今の主治医の先生に出会い、診断・治療に至り、心因性とされてしまう理由を知りました。
検査できる病院、治療できる病院が限られていて、この病気は不明な点が多く、診断が難しいとのことでした。
神経内科の先生でこの病気について懐疑的な人がいるというのは残念ながら事実です。
「この病気だからこの治療が有効だ」という順番ではなくて、今回の私のように「この治療が効いたからこの病気だ」と前後が逆になってしまい、医学上説明がつかなくて医療から放り出されてしまう患者が出てきてしまうのだと思います。
国内で研究されている病気なのだから、医師側が「そんなわけない」と心の病気にしてそこで終わらせずに、せめて「あそこの病院、あそこの先生がもしかしたら診てくれるかもしれないよ」と情報を与えてほしかったです。
最初は免疫グロブリン大量静注療法、ステロイドパルス療法をしました。
一時的に症状が軽くなりました。
新たな症状が出たり思うような治療効果が出なくて免疫吸着療法、血漿交換療法に進み、治療の負荷が大きくなっていきました。
治療を始めてから入退院を繰り返し1年の半分以上を病院で過ごしました。
誕生日も2年連続病院で迎えたり、高校も休学しなければならない状況になったり、寂しい時間だったことを今でも鮮明に覚えています。
血漿交換療法をすることになったタイミングで入院は毎回イヤですが、いつにも増して入院イヤイヤ期でした。
先生から「治療がイヤな子が来ても治療はできない、治療したいと思って来てください」と言われていました。
もう何度も入れている免疫グロブリンは、たくさんの人の献血によって作られる貴重な超高級血液製剤です。
イヤだイヤだと言っている人に使うのは、たしかにダメだと思います。
血漿交換も、免疫吸着と同様で身体への負担がすごく大きい治療です。
治療を拒否している人に、提供できる医療ではないと思います。
先生今までごめんなさい。
というので、血漿交換を最低5回はするという約束で開始しました。
血漿交換とは、血液を血漿分離器で血球成分と血漿成分に分離した後に、病気の原因物質を含む血漿を廃棄して、それと同じ量の健常な方の血漿(新鮮凍結血漿)を入れて置き換える治療法です。
私の場合は腕の血管が細いので、首に管を2週間ほど入れっぱなしにします。
鎮静してもらって眠っている間に血漿交換をするのですが、途中で目が覚めたら咳と吐き気がひどく、以前にした免疫吸着とは比べものにならないくらいキツかったです。
以下は今までの私の多彩な「自己免疫介在性脳炎・脳症」の症状です。
羞明(眩しい)、頭痛、胸痛、手足の痛み、四肢筋力の低下、振動覚障害、感覚障害、位置感覚障害、身体のバランスがとりにくい、振戦、吐き気、嘔吐、息苦しい、体温調節ができない、発汗、手足の冷え、起立性低血圧、睡眠障害(傾眠・不眠)、発語障害、嚥下困難、アレルギー体質、耳鳴り、幻聴、性格変化、精神症状、集中力の低下、判断力の低下、記憶力の低下、記銘力の低下、意欲の低下、疲労感、便秘、排尿障害(尿意はあるのに尿が出にくい、出ない)、硬直、痙攣、意識障害、昏睡
そして以下は私が受けてきた治療です。
①免疫グロブリン大量静注療法
②ステロイドパルス療法
③免疫吸着療法
④血漿交換療法
⑤リツキシマブ(リツキサン)
高校2年生になった今でも体調に左右される日々は続いていますが、私に関わってくれた人、全てに感謝の気持ちでいっぱいです。5文字の「ありがとう」だけではきっと足りないけれど、それでも「ありがとう」にしか込められない想いがあります。
完治したわけではないけれど、ここまで回復したことはたくさんの人のおかげです。
近くでは医療従事者の方、家族、友達、遠くからだけど推しのTWICE、NiziUなどが私を支えてくれました。
今日もまた、私は心の中でそっとつぶやきます。
「ありがとう」
