台湾生活、ぶっちゃけ中国語って必要?― 語学学校の先生が膝から崩れ落ちた日のこと
100日間🇹🇼台湾華語コーチングチャレンジ vol.1
駐在で台湾に3年住み、
日本に帰ってきてもう2年になる。
実は最近また中国語を学び直してるんやけど、
今日はその理由を正直に書いてみる。
ある日のこと。
“ 先生が、膝から崩れ落ちた。”
台湾の大学附属の台湾華語語学センター、初級クラスの教室。その日、私が自分の持ちえる中国語で自分の経験を話し終えると台湾人の先生は黒板の前で大爆笑して、膝から崩れ落ちた。クラスメイトの外国人たちも、意味がわかるにつれて次々と笑い始める。
私は顔が真っ赤になって、恥ずかしいやらおかしいやら。それでも少しだけ、自分が誇らしかった。
あの日から遡ること、数ヶ月前。
話はある朝の市場から始まる。
2021年2月。世界はまだ、コロナ禍の真っ只中だった。
夫の台湾赴任に帯同することになった私たち家族は、当時自分がこれから住む家を自分の目で見て決めることができなかった。先に赴任していた夫がつないでくれたビデオ電話で、数件の物件を画面越しに内覧して、それで家が決まった。実際にその部屋に足を踏み入れたのは、引越し当日のこと。
台湾の家の内装やシステムは日本とかけ離れてて、「なんでそうなる?」って思っちゃうような面白エピソードもいっぱいある。また聞きたい人がいたら、どこかで話そうかな。
話は戻って、引越しまでの準備は、記憶を掘り起こせないくらい忙しかった。でも、想像以上にしんどかったのは台湾に着いてからやったんよね。
“ 2週間の自宅隔離”
当時の台湾はゼロコロナを守っていて徹底した対応をしてて、渡台した私たちは言うまでもなく感染の恐れのある外国人として扱われた。自分の部屋以外、マンションの共用部ですら出られない、2週間の間玄関から一歩も出られず、ゴミ出しすらもできない。
その間の食事は会社の通訳さんが食材を届けてくれたり、自力で調べたUberEATSやFoodPandaで注文したりしてなんとか凌いだ。5人家族。やっと海外に引っ越してきたのに、一歩も外に出られない2週間は、想像よりずっときつかった。
隔離が解けてからも、すぐに自由になれたわけじゃなかった。
私が住んでいた地域は日本人の駐在員家族が多くて、子どもを同じ幼稚園や日本人学校に通わせている人もたくさんいた。
「あぁ、良かった、日本人がいる」——そう思ったときの安堵感を覚えてる。どこで買い物しているか、どこのスーパーが使いやすいか、そういう生活の情報を教えてくれる人がいるだけで、本当に救われた。
それでもコロナ禍ゆえ、人と会うことには制限があった。監視されるような、肩身の狭い思いをしながら生活していた時期だった。その中で色んな人との出会いで浮き沈みすることもあった。
(同じような境遇だった人、狭い世界だからこそ故の悩みを持っている人がいたら、またいつか別の記事を書いてみようと思う。)
そんな日々の中で、あるとき情報が入ってきた。
「どうやらみんな、スーパーだけじゃなくて、
ちょっと先の朝市にも野菜を買いに行ってるらしい。」
それから私も、週に数回、朝市へ行くようになった。
でも当時の私の中国語力は、ほぼゼロ。
欲しい野菜を指差して店主に手渡して、量り売りの代金を電卓で見せてもらって、その金額を黙って渡す。それだけ。
それだけで生きていけることを不思議に思いながらも、末っ子が2歳になって幼稚園に通い始めるまでの約1年弱、私は最低限の中国語だけで「生活できている気」になっていた。
今思えば、たぶん、本当は全然できていなかったと思う。それを思い知らされたのが、1人のおじさんとの日々だった。
台中の朝市は、7時を過ぎると人で賑わい始める。
台中の向上市場。
路面店はいっぱいの八百屋や青果店、ニンニクだけを売ってるおばあさんや金物屋さんも居た。
商店街に似たアーケードは昼でも少し薄暗くて、
蛍光灯の白い光が野菜の緑と肉の赤を照らしている。
通路はやや狭くて、すれ違う誰かの肘が当たる。
地面はいつも濡れていて、どこかに水が流れる音がしていて、豚の角煮を煮るような甘ったるい醤油の匂いや、何かの漢方のような匂い。
日本では絶対に嗅がない、あの独特の朝の匂い。
異国情緒漂うこの市場の雰囲気がなんとも好きだった。
私はそこに、週に数回買い出しに来る日本人の女。
エコバッグを肩にかけて、スマホを握りしめて。
できるだけ「わかってる人」みたいな顔をして歩く。
でも実際は、何もわかっていない。
値段の交渉なんてできないし、「これ何の野菜ですか」も言えない。ただ指差して、お金を渡して、笑顔でその場をやり過ごすだけ。それが、台湾に来て数ヶ月経った私の、市場での過ごし方だった。
そんな私に、行きつけの店ができた。
市場の中の道路沿いに面したお店で、左側におじさんの八百屋さん、右側には若いお兄ちゃんが営む青果店。地面に並べた箱にいろんな野菜が入っていて、お客が自由に選んで最後におじさんに手渡し、量り売りしてくれるお店だった。いつも手際よく野菜を袋に入れてくれて、地元の台湾人で賑わっている。
私はいつもそこへ通うようになった。
今日も欲しい野菜をカゴに入れて、おじさんに渡す。
おじさん:「兩百五(リャンバイウー)」
慣れたものだ。
ちゃんと中国語は習っていなかったけど、
最低限の数字は聞き取れるようになったぞ。
頭の中で変換作業を始める。
『 兩、百、五。
に、ひゃく、ご。
2と100と5……
つまり、205かな。』
財布から100元のピンク色の札を2枚と、
5元硬貨を一枚取り出して、丁寧に渡す。
でも、おじさんは受け取った瞬間、何かを言ってくる。
『ん?なんて言ってるんだ?』
翻訳アプリも字が細かいのかおじさんは不便そう。
どうやら5元じゃ足りない。50元よこせと言っている。
おじさんは追加でお金を要求している。
私は思った。
『なんで205やのに、250渡さなあかんねん。
なんかようわからんなぁ…。
ん?!――ちょっと待って。
このおじさん、私が外国人やからって
毎回45元ちょろまかして、
多めに取ろうとしてるんちゃうか?!』
考えてみれば、つじつまが合う。
205元言われた通りに渡してるのに
「足りない」と言って50元を要求してくる。
毎回端数の5元を50元だと言い張ってきて45元の差額が出てる。『これ計画的な外国人価格やないか。』と。
でも悔しいことに、私には反論する言葉がなかった。
「それはおかしい」も、自分の意見なにひとつ言えない。言えるのは「謝謝」だけで、その「謝謝」すら、なんとなく敗北感を帯びていた。
それでも私は通い続けた。野菜が新鮮だったから、というのもあるけれど、本当のところは、負けを認めたくなかったのだと思う。
愛想笑いのまま、「次こそはぼったくられないぞ」という静かな抵抗を胸に抱えながら、私はおじさんの店に通い続けた。
おじさんと私の内なる攻防は続き、
月日は流れ、数ヵ月後。
末っ子の幼稚園入園を機に、
私はやっと本格的に台湾華語を学ぶことにした。
私が選んだのは現地大学附属の語学センター。
私が絶大な信頼を置く、いつも親切にしてくれた先輩駐在ママさんが「ここで基礎の語学力が身に付いた」と話していて入学を決めた。
そこでは台湾人の先生1人に対し、
生徒はみんな外国人。
平日週5日、午前の3時間みっちり授業があるクラスで
台湾華語を英語と、
学んだばかりの台湾華語で学んでいくという
なかなかハードなクラスだったんだけど、
今まで話せなかった台湾華語が話せるようになっていく感覚や、「あの時いつも聞いてた言葉はこういう意味だったんだ!」と、半ば答え合わせのような授業になっていたりした。笑
今日の単元は、数字。
「もう理解してる部分やから
今日はおさらいみたいな感じか。」
って思いながら授業を受けていた。
先生が数字の読み方を教えている授業中。
「 200 兩百
250 兩百五十
300 三百
〜
450 四百五十……」
そのなかで、先生がさらっと言った。
「兩百五十(250)って、話し言葉では、
兩百(200)五(5)って省略することがありますよ〜。
特に代金ではそっちの話し方の方が多いですね〜!」
教室の中で、私だけが固まった。
「兩百五。250?
え?なんで、最後の十はどこいったん?
え、ちょっと待って…。」変な汗とともに
今までの記憶が一瞬でフラッシュバックしてくる。
『おじさんは毎回、250元って言ってたんや』
『なのに私が毎回205元しか渡さないから、
あと45元足りないよ!と言ってくれてた。』
おじさんは、ぼったくりなんかじゃなかった!?!!!
知らぬ間に毎回45元を踏み倒そうとし、
しかも心の中でぼったくり犯人扱いしながら、
ただ笑顔で買い物してた失礼な奴は、私の方やった!
『まじで?!おじさんほんまにごめん!!!!』
私は意を決して、手を挙げた。
自分の持てる語彙をかき集めて、声調が怪しくなりながらも、市場のおじさんのことを、みんなに話し始めた。
毎回205元渡してること。毎回何か言われること。
今までぼったくられてると思ってたこと。
それを聞いた台湾人の先生は黒板の前で大爆笑して、膝から崩れ落ちた。初めはなんで先生が笑っているのか、不思議がっていたクラスメイトの外国人たちも、そのうち意味がわかってみんなで大爆笑した。
私は顔を真っ赤にしながら、でも気づいたら一緒に笑っていた。恥ずかしさと、おかしさと、おじさんへの罪悪感。でもこうして自分の失敗を笑い飛ばしてくれる場所に居れることがちょっぴり嬉しくもなった。
そして「うわ〜もっと早く学べば良かった。」「これに限らず、自分が勘違いしたままのことってまだまだあるのかも。」と思うようになった。
おじさん。ここで謝らせてください。
あなたは最初から、正直な商売人でした。
「このおっさん、私が外国人でちゃんと理解できひんからって、毎回45元ちょろまかしてきよる。私が気づいてないとでも?」なんて心の中でずっと疑い続けていてほんまにごめんなさい。あなたの野菜は、いつも新鮮で、本当においしかったです。
でも、ぶっちゃけ、台湾って中国語なくても生きていけるんよな。
正直に言う。
台湾はめちゃくちゃ便利な国で、
中国語ゼロでもかなりなんとかなる国。
コンビニは24時間開いてるし、UberEatsは深夜でも動いてるし、観光地はだいたい英語が通じる。台湾の人はとにかく親切で、困った顔してたら向こうから助けてくれる。ほんまに予想を超えて良い国だと思う。
駐在当初の私も「まあなんとかなるやろ」と完全に思ってた。実際、表面上はなんとかなってた。
ただ、じわじわと積み重なるものがあった。
市場で何を言われてるかわからへん。お店でちょっとした会話ができひん。台湾人スタッフが中国語で笑ってるのに、何が面白いのか全くわからへん。
どうにか生活はできてるけど、どこかずっと「表面だけで生きてる」感じがあった。
おじさんを疑い続けた私は、
まさにその象徴やったと思う。
言葉がわからないと、相手の善意すら疑ってしまう。
言葉が話せないって、そういうことなんやって思った。
語学学校に数ヶ月通うことで、話せることがめっちゃ増えて、どんどん自分の行動範囲が広がっていく実感があった。大人になって初めて勉強が楽しいと思えたし、「なんだ自分ってやれば出来るやん」って思える自信までくれた。
帰国後もまた学び始めたのは、かっこいい理由じゃない。
使わない日が続くうちに、じわじわ忘れていく。
ただそれが怖かった。
そして日本に本帰国後、2年が経過した自分が
100日間台湾華語コーチングを始めた理由は、
帰国したら、言葉が遠くなっていったこと。
覚悟はしてたけど、予想通りだった。
やっぱり日本に帰ったら、中国語を使う機会がほぼなくなった。最初は「そのうち使うやろ」と思ってたけど、あれだけ練習したフレーズが出てこない。声調がぼやける。
怖かったのは、忘れることより、
台湾での自分が遠くなっていく感覚やった。
あの市場の匂いも、おじさんの顔も、先生が膝から崩れ落ちたあの教室の空気も、駐在仲間と一緒に歩いて、楽しかった記憶たち。自分でできることが増える嬉しさ、世界が広がる楽しさも全部。言葉を失っていくとともに、あの時間ごと薄れていく感じがした。
だから、また学び始めることにした。
本当にありがたいことに今も台湾に関わる仕事をしてる。でもそれは私がすごいとかなんでもなくて。
今発信しているアカウントのルーツは、過去の私と同じような人たちへの思いにある。欲しい情報に辿り着けなくて延々と検索している人、狭い行動範囲と人間関係の中で窮屈に感じているけど誰にも相談できない人。
そんな人たちの一番の味方でいたくて、始めたアカウントでもある。
自分が現地を歩いて自分の足で見つけた情報や、駐在で台湾の真ん中である台中に住んでいたからこそ、そこから台湾の各地に出向いてまだ知られていない台湾の魅力を伝えられることが本当に楽しくて、今でもこうして仕事として続けさせてもらえてる。
そんな中、今回モニターとして、100日間台湾華語コーチングチャレンジに挑むことになった。
私に学び直すきっかけや、もっと台湾で話せるようになりたい思いを思い出せて、またチャレンジさせて貰えること。ほんまに感謝しかない。
これからも、私が見たもの、得たもの、良かった情報だけでなく、リアルに感じた思いを包み隠さず伝えたい。
今後も、
・駐在前
・駐在当初
・自己学習歴と方法
・語学学校に通うメリットデメリット
・話せるようになった変わったこと
・帰国後の私について
・なぜ今コーチングなのか
など、台湾華語を学ぶことで変化してきた、私のリアルな経過を今後も綴っていきたいと思います。一緒になにか始めたり、頑張る仲間ができたら嬉しいな。
毎週の学び報告やつまづきも包み隠さずに、ストーリーやハイライトで公開してるから、私の成長を見守ってくれると尚嬉しい!待ってるよ。
楓 🇹🇼台湾トラベラー|台湾どこ行こ?なら✈️https://www.instagram.com/kaede_in_taiwan/
ここまで読んでくれたあなたへ。
かなり長文になったのに、ここまで読んでくれて本当にありがとう!
「わかるなぁ〜」「へぇ〜そんな過去があったんや」
「面白かった!」と感じたことはあったかな?
良ければぜひ、あなたの経験や感想を聞かせて欲しいです。ありがとう。
そして今、台湾で駐在してるあなたへ。
本当にお疲れ様です。立場や環境は違えど、異国の地で生活することへの不安やストレス、見えない壁があることなど、きっと人には言えない悩みも多く抱えてしまっている人たちは少なくないと思うし、昨日のことのように共感できる。私は結果学んでほんまに良かった!って思ってるけど、「正直どうしたらいいか悩んでる」「楓さんはこんな時どうしてたんやろう?」って思ったことがあったら、どんなことでも大丈夫やから気軽に相談してきてくれて良いからね!みんなの台湾生活を応援してます。加油!
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