結局、人生は効率が悪いほうがあたたかい。
小学生の頃の僕は、自分はきっと特別な大人になると思っていた。
足は速かった。絵を描けば褒められた。勉強も、それなりにできた。
放課後、夕焼けに染まった運動場を走りながら、「自分は将来、何者にでもなれる」と本気で思っていた。
未来にはまだ輪郭がなくて、その曖昧さが、むしろ希望だった。
当時の僕は、よく夢想していた。
大人になった自分。
誰かに必要とされている自分。
何かを作って、誰かを感動させる自分。
教室の窓から外を見ながら、そんなことばかり考えていた。
世界は広く、自分には可能性がある。
あの頃は、それを疑ったことがなかった。
でも、中学一年生の春、世界の空気が急に変わった。
理由は、今でもよく分からない。
ちょっとした一言だったのかもしれない。
空気を読むタイミングを間違えたのかもしれない。
ただ、誰かにとって「いじりやすい人」になった。
そこから、人の笑い声が怖くなった。
自分に向けられているわけじゃなくても、心臓が反応する。
教室の後ろで誰かが笑うたびに、「自分のことかもしれない」と思ってしまう。
人の目を見て話せなくなった。
発言する前に、頭の中で何度もシミュレーションするようになった。
これを言ったら変じゃないか。
空気を壊さないか。
嫌われないか。
昔は、思ったことをそのまま口にできていたのに、いつの間にか「正解の自分」を探すようになっていた。
人は、急に静かになる。
あの頃の僕は、たぶんそうだった。
高校生になっても、社会人になっても、その感覚はどこかに残り続けた。
世の中には、自然に人と話せる人がいる。
初対面でも笑顔で距離を縮められる人がいる。
飲み会の中心で、場を回せる人がいる。
昔の僕は、そういう人を見るたび、「自分には何かが足りない」と思っていた。
社会に出ると、なおさらだった。
コミュニケーション能力。
行動力。
発信力。
自己PR。
SNSを開けば、毎日誰かが「夢を叶えました」と報告している。
キラキラした働き方。
好きなことで生きていく人。
効率よく稼ぐ方法。
人生を最短距離で攻略する方法。
それを見るたび、自分だけが取り残されているような気がした。
でも、本当はずっと気づいていた。
自分は、「前へ前へ進むこと」よりも、「手を動かすこと」のほうが向いている。
一人で黙々と作業している時間のほうが、心が落ち着く。
木をやすりで磨いている時。
塗装をしている時。
細かい組み立てをしている時。
そういう時間だけは、不思議と頭の中が静かになった。
僕は今、節句人形に関わる仕事をしている。
雛人形や五月人形は、効率だけを求めれば、もっと簡単に作れるのかもしれない。
でも実際は、手間のかかることばかりだ。
ほんの少し色味が違うだけで、雰囲気が変わる。
布の重なり方ひとつで、上品さが変わる。
木を磨く力加減で、触れた時の柔らかさが変わる。
効率だけを求めれば、省ける工程はいくらでもある。
でも、人はたぶん、「効率化されたもの」だけでは心が動かない。
少し不便で、少し遠回りで、ちゃんと誰かの手が通っているものに、安心する。
僕はそれを、人形づくりの現場で何度も見てきた。
昔は、「成功すること」が人生だと思っていた。
でも今は、「ちゃんと暮らせること」のほうが、ずっと難しいと思う。
朝起きる。
ご飯を食べる。
仕事へ行く。
疲れて帰る。
それだけで、精一杯の日もある。
でも、そんな毎日の中で、自分を救ってくれたものがあった。
朝の光だった。
まだ少し眠たい街を歩いている時の、静かな空気。
コンビニのコーヒーから出る湯気。
冬の冷たい空気。
子どもの笑い声。
夜道の匂い。
昔の僕は、「大きな幸せ」を探していた。
特別な仕事。
特別な才能。
特別な人生。
でも実際に自分を回復させたのは、そういうものじゃなかった。
湯気だった。
音楽だった。
散歩だった。
誰かの「おかえり」だった。
人間は、案外、小さいもので生き延びられる。
僕は音楽も好きだ。
アカペラをしている時、誰かの声と自分の声が重なって、一つの響きになる瞬間がある。
その時だけ、「ちゃんとここにいていい」と思える。
人と話すのは苦手なのに、不思議と歌だと、人と繋がれる気がした。
きっと、人にはそれぞれ、自分を人間に戻してくれるものがある。
それは、趣味かもしれない。
料理かもしれない。
散歩かもしれない。
植物を育てることかもしれない。
世の中はどんどん便利になっている。
スマホひとつで買い物ができる。
AIが文章を書く。
動画は倍速で見られる。
待たなくていい。
考えなくてもいい。
便利なのは、素晴らしいことだと思う。
でも時々、「人間は、こんなに急がなくてもよかったんじゃないか」と思うことがある。
昔、神社へ行った時、小さな風鈴が揺れていた。
風が吹くたび、静かな音が鳴る。
たぶん、あれには何の生産性もない。
でも、その音を聞いた時、少しだけ呼吸が深くなった。
豊かさって、こういうことだったのかもしれないと思った。
人生を変えるのは、いつも派手な出来事だと思っていた。
でも本当は違った。
ちゃんと眠れた日とか。
美味しいご飯とか。
誰かと笑えた時間とか。
夕方の空とか。
そういう、名前もつかない小さいものが、人を生かしている。
SNSでは、「何者かになること」が求められる。
でも、何者にもならなくても、人生にはちゃんと温度がある。
静かな人間には、静かな人生の美しさがある。
昔の僕は、特別な人間になりたかった。
誰かに認められて、すごいと言われて、自信を持ちたかった。
でも今は、少し違う。
ちゃんと暮らせる人になりたいと思っている。
疲れた日に温かいご飯を食べられること。
子どもの話をちゃんと聞けること。
季節の変化に気づけること。
誰かに優しくできること。
そういうことを、大事にできる人でいたい。
人生は、効率が悪いほうが、たぶんあたたかい。
遠回りしたから出会えた景色がある。
うまく生きられなかったから、気づけた優しさがある。
もし今、自分には何もないと思っている人がいるなら、伝えたいことがある。
焦らなくてもいい。
人生は、たぶん、ちゃんと暮らしている途中でできていく。
夜、作業場で木を磨いていると、静かな粉が光の中に舞う。
その景色を見るたび、思う。
あの頃、特別な人間になりたかった少年は、今も自分の中にいる。
でもきっと、あの少年が本当に欲しかったのは、「すごい人生」じゃなかった。
安心して、息をできる毎日だったのだと思う。
