溺れたら助けるから・・・
仲の良い友人と、または家族で、川遊びや海水浴に行くことがあると思います。
そしていざ、川や海に入った後・・・
たとえ泳ぎの得意な人であっても、川底の深い所に足を取られて急流に巻き込まれたり、または海水浴中に波にさらわれて沖まで流されてしまうことも、時にはあるでしょう。
そんな時、貴方が当事者だったら、一体どんな行動に出ますか?
「私は一応泳げる。カナヅチではない。泳げるのに助けを求めるなんて恥ずかしくてできない」と思うでしょうか?
恐らく、こういう発想にはならないと思います。
なぜなら、命の危機に瀕しているから。
人は死にたくないと思うから。
泳げようが、泳げまいが、命を落とすか否かの分岐点にいる状態で、恥を理由に助けを求めない人はいないのではないでしょうか。
企業で働いているサラリーマンにも、同じことが言えると思います。
仕事量の面から、対人関係の面から、自身としてはギリギリの状態に追い込まれていることを認識できているのに、助けを呼ぼうとしない。
もちろん、ブラック企業の場合は論外です。
しかし、ホワイトな企業だからといって、精神的に余裕を持てる職場環境だとは限りません。
むしろ、ホワイトと言われている企業にこそ、見えない心理的疲弊の原因が潜んでいると考えています。
会社側としても悪意がない分、職員が心理的疲弊に蝕まれている事実に気づきにくいのです。
そして、社員側も「こんなに恵まれてる職場で助けを求めたりしたら、同僚や上司、先輩、それに部下からも白い目で見られかねない。私がギブアップしそうなのは、単に私の不徳の致すところなのだから」と思ってしまうのです。
「働くこと、勤勉こそ美徳」という価値観が根付いている、いかにも日本人らしい発想ですよね。
こういう従来の価値観を未だに重んじている日本人にとって「模範的な日本人」と言われる人ほど、自身で大切な命に勝手に区切りをつけてしまうのです。
助けを呼べないから。
そして、ここで私は声を大にして、この言葉を伝えたい。
「だまって溺れるな」
職場という川や海で溺れてしまったとしても、そのこと自体、何も恥じることではありません。
溺れていることをはっきり周りにわかるようにしてくれれば、救済の手を差し伸べることができるのですから。
黙ったままでは、助けに行きたくても「どこへ行けば助けられるのか」がわかりません。
溺れてしまった後に、勇気を振り絞って「助けて!」と声をあげられるかどうか。「助けて!」と言える自分自身を、むしろ勇気ある者として誇りに思うべきだと、私は思います。
今まで、「助けて!」と言うことさえも許されなかった人々の分も・・・
愚かな美徳と愚かな企業風土によって、志半ばでこの世を去らざるを得なかった人々の分も・・・
これからの企業人には「溺れたら、いつでも、どこでもまず助けを呼ぶ」ことを念頭に、職務に適度に励み、また肝に銘じていただきたいと切に願います。
愚かな美徳と愚かな企業風土によって自身の心神を救えなかった人間の一人として、この内容を記事にしました。
今回の記事は以上です。
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最後までご覧くださり、ありがとうございました。
