見出し画像

【あなたはどこにいますか?】「天然」を決めているのは、本人ではなく…

「〇〇さんって、ほんと天然だよね〜」

日常会話で耳にすることもあるこの「天然」という言葉。
「誰かを和ませる褒め言葉」として使われることもあれば、
時には
「ちょっと抜けている人」
「ドジな人」
なんて意味合いで使われることもあるかと思います。

でも、ちょっと立ち止まって考えてみましょう。

そもそも「天然」って一体なんなのでしょうか?


◇ 「天然」と「ドジ」の境目

「天然な人」と「不注意でドジな人」って何が違うの?
と気になったことはあるでしょうか。

実はこの2つの言葉は、
本人の頭の中で起きていることとしては、
「うっかり勘違いした」とか
「ちょっと注意が逸れていた」というように、
行動そのものには大きな違いはないのかもしれません。

では、
何がその人を「天然」たらしめているのかというと、
まわりの受け止め方や、その場のノリ
なのかもしれません。

  • たまたま大きな実害が出なかった(運がよかった!)

  • まわりが「しょうがないなぁ」と笑って受け止めてくれた

そんな温かい環境があると、
単なる「うっかり」が「愛される天然エピソード」に
姿を変える
ということもあるのかもしれません。


◇ 本人は至って真面目という「ズレ」

「天然」と呼ばれる人の特徴をもうひとつ挙げるなら、
本人は至って真面目に、自分なりの理由があって行動している
という点でしょうか。

人は誰しも、
自分だけの「世界の捉え方」を持っています。

  • 本人は「これが一番自然だ」と思って行動している

  • でも、周囲が期待する「普通」とは、どこか違っている

この
「本人の真面目さ」と
「まわりの予測」との間に生まれる
ギャップこそが、
私たちが「天然だなぁ」と感じる正体なのかもしれません。


◇ 別の場所へ行けば「ごく普通の人」かも?

そう考えると、
「あの人は天然だ」という評価は、
その人個人の絶対的な性格というより、
「今いるコミュニティとの相性」で
決まっている可能性もあるかもしれません。

たとえば、
言葉の裏を察する環境(文化圏)では
「言葉通りに受け取る素直さ」が
天然に見えることがあるかもしれません。
でも、
言葉通りのコミュニケーションが基本の国や文化に行けば、
それは「とても分かりやすくて魅力的な人」として
受け止められるかもしれません。

もし「近い考え方の天然な人たち」だけが集まる場所があったとしたら……
そこでは誰もその人を「天然」とは呼ばず、
「至って普通の人」になるかもしれませんね。

関わる人や所属するグループ(環境)が変われば、
「天然」かどうかの境界線も
変わっていく
ように思います。


◇ おわりに

誰かから「天然だね」と言われたり、
逆に誰かを「天然だな」と感じたりするとき。

それは誰かがおかしいという話ではなく、
「お互いの持っている『当たり前』のメガネが違っていたんだな」
というサインなのかもしれません。

自分の持っている感覚と、
まわりの感覚のズレを知る。
それをお互いに面白がったり、
和んだりできる関係性があるって、
なんだか少し素敵なことでもあるように感じます。

「天然」が良いか悪いか、ということではないですが、
どこかズレを感じるなら、
そのズレの基準はきっとあなたの中にあるのかもしれない。
そんなお話でした。

いいなと思ったら応援しよう!