【下心かの判断も人の心】「良い人と思われたい」から始まる優しさこそ、人間らしい
前回と同じシチュエーションで
さらに考えてみたいと思います。
もし、転んでしまった人を助けたとします。
その人を好きだったから助けた。
困っている人を放っておけなかったから助けた。
周りから「良い人」だと思われたかったから助けた。
あるいは、ちょっとした下心があったから助けた。
きっかけや理由は人それぞれ違っても、
結果として行われたことは、
どれも同じだったりします。
「大丈夫ですか?」と声をかけて、
必要ならそっと手を貸す。
では、この「心の中の理由(動機)」の違いは、
優しさに関係するのでしょうか。
◇ その行動自体の価値は同じ
私自身は、
行動そのものの価値は、
どれもあまり変わらないような気がしています。
助けられた人の立場から見れば、
「自分が助かった」という温かい事実は、
どんな理由であっても同じだからです。
ただ、
だからといって
「動機なんてどうでもいい」とは言えないように思います。
なぜなら動機は、
その人が「次にどう行動するか」に、
影響していくように思うからです。
もし、
相手のためではなく
「自分の利益」も目的だったとしたら、
もしかしたら、
その利益が得られなかったと感じたときに、
少し態度が変わってしまうこともあるかもしれません。
逆に、
相手への純粋な関心が強い人なら、
たとえ感謝されなくても、
変わらぬ態度で接し続けることが
できるように思います。
つまり、
動機というのは
「その行動をするかどうか」を決めるというよりも、
その行動が「どこまで長く続いていくか」
を決めることもあるように思います。
◇ 気持ち(動機)を決めるのも人の心
優しさというものについて考えるとき、
私たちはつい「純粋な善意」だけを
求めたくなってしまう面もあるかもしれません。
でも、
人間ってそんなにシンプルではないように思うんです。
人の心には、
誰かに認められたい気持ち(承認欲求)もありますし、
「良いことをした」という自己満足だってあります。
もちろん、相手に対する好き嫌いだってあります。
でも、
こうした気持ちが誰かの助けになったのなら、
それは素敵なエネルギーだし、
それらが良いものか、
そうでないかを決めるのも
人の心です。
こういった気持ちも含めて、
とても人間らしい「優しさ」のひとつの形なんじゃないかな、
なんてところで、
今日は終わりにしようと思います。

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【🐸から一言】
それが「承認欲求」なのか「自己満足」なのか、
それを決めるのだって人間の心です。
気持ちって、
けっこう曖昧だったり、
グレーだったりすることも多いと思っています。
それをどう判断するのかだって、
人によって違ってくるように思います。
純粋な考えだって、
打算的な考えだって、
捉え方次第だし、
交じり合っていることだってあるように思います。
優しいと感じた、
その部分だけを切り取って思い出にするのだって
また、
自由であり、
人の心次第なんだと思います。

おたま吉:
最後までお読みいただき、
ありがとうございましたじゃくし!
次回もオタマしみ(お楽しみ)に~
ここぱ:
本当にその人次第なんだと思うのよ。
すごく極端なお話だけど、
もし、
その人にお近づきになりたいと思って、
ハンカチを拾って渡してあげたとするじゃない?
実は、
拾ってもらった人も拾ってくれた人のことが好きで、
もしかしたら、
拾ってもらいたくて落とした…とかね。
…ドラマの見すぎかしら。
でも、こんな場面だとしたら、
感謝されたいって思いも、
青春の一歩になるかもしれないしね。
ブログだから、
ちょっと難しく書いてる部分もあるし、
単純に考えたり、
人によって何もかも違うよね、
って捉えたっていいんじゃないかしら。
