【道のり】「正解はない」は本当?
答えがわからないから、答えを求めて頑張れる。
諦めずに一歩一歩進んでいく。
そんな時間の過ごし方も
あるんじゃないかなと思います。
けれど、
先が見えずに歩いている途中は不安なものです。
「本当にこの道で合っているのかな」
と道に迷うからこそ、
「答え」が欲しくなるもの。
だったり。
でも、もし簡単に届いてしまったら…。
誰かに教えてもらう、
そうして答えを手に入れた瞬間、
そこで大切な「何か」が
終わってしまうこともあるんじゃないか、と。
手探りで答えを探し求める、
その試行錯誤の道程自体に、
実はすごく大きな価値が詰まっているのかもしれません。
◇ 「正解はない」という言葉の、少しの寂しさ
世間ではよく、こんな言葉を耳にします。
「人生に正解なんてないよ」
「どの道を選んでも、全部正しい」
これらは優しさから出る言葉だったり、
心を軽くしてくれることもあります。
でも時々、
その言葉がどこか綺麗ごとに聞こえたり、
「どれでもいい」と突き放されたような
寂しさを感じる瞬間はありませんか?
どれもが正しい道のようにも思えるし、
逆に、どの道を選んでもゴールなんて存在しないんじゃないか…。
と、途方に暮れてしまうこともあります。
◇ 「正しい道」とは
いろいろと考えた末に、
私はこうも考えられないかなと思っています。
「正しい道」はあるのかもしれない。
ただしそれは、
どこかに最初から用意されている
特別なルートのことではありません。
「その人が、自分で納得して選んだ道」
それこそが、
その人にとっての「正しい道」になるんじゃないでしょうか。
◇ 後から「正解」になることも
誰かにあてがわれた「正解のような道」を歩いても、
自分の気持ちが置き去りになっていたら、
なかなか納得感は得られません。
けれど、たくさん迷って、
不安になりながらも
「よし、こっちへ行こう!」と
自分で引き受けた選択なら―
たとえそれが遠回りだったとしても、
歩んできた足跡そのものが
自分だけの大切なものになっていくのかもしれません。
正解は、必ずどこかにあって手に入れるもの。
というわけではなく、
自分で納得して進むことで、
後から「正解にしていくもの」
という場合もあるかもしれません。
今、答えが見つからなくて迷っているその時間も。
不安になりながらも進もうとしているその道程も。
すべては「自分の目指す場所」への、
かけがえのないプロセスなのかもしれませんね。
