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市川沙央「ハンチバック」を読む

第128回文學界新人賞受賞。第169回芥川賞受賞。

久しぶりに胸にガツンとくる物語を読んだ。すっかり本を読む生活からは遠ざかってるので、この本も興味を持ちながら読むまで2年の間があった。
いつも流行に乗り遅れる。

例によって紹介文ではなく感想文である。少しあらすじを入れていた方が読み手にとってやさしいのだが省く。興味がある方はチャチャっと調べて下さい。

著者の尊顔を写真で拝見したことがあるが、怜悧で人の本質を見抜くような鋭い目をしていた。本作品同様に。読み終わった後、ずっと問われている気がした。

あなたは綺麗事を言うけれど、それが綺麗事だってこと本当にわかってる?と。

この作品が芥川賞をとったのもわかる気がした。とにかく新鮮で衝撃的だった。この著者にしか書けないだろうと思った。

①身体的に不自由な立場の主人公の視点から書かれていること。
②その立場の性を書いていること。
③ラストの意味。

今回はこの3点から自分の感想を書く。

①について
体が不自由な方の話というと乙武さんの「五体不満足」が思い浮かぶ。かなり有名な作品であるにも関わらず読んでいない。当時のマスコミの持ち上げ方に反発した点もある。よくわからないけれどなんかもやもやするとういう気持ちがずっとあった。

今回本作を読んでみて、結局健常者は健常者の立場からしか物事を見れず頭では理解しても同じ立場では理解できないだろうということはわかった。それほど作中の主人公は、リアルに描かれている。紙の本を読むのも大変で苦痛である身体的苦悩というのは字面では理解しても本当の意味でわかってはいない。当事者にしかわかり得ない。

普段気軽に使う「わかりあう」というものは幻想であると突きつけられてる気がする。というか、皆同じであるというのはあきらかな嘘であり異質なものを人は無意識に見ないようにしているのであると叩きつけられてる気がして心が痛い。見たくないものは見ないのでしょう?と言われている気がして耳を塞ぎたくなる。

精神的違和感を描いた作品は多々ある。夫婦、親子、家族という幻想をぶち破る作品も多い。身体的な立場からの分かり合えなさを書いた作品は初めて読んだ。人間の可能性とか努力とかの綺麗事は健常者側の言葉であると突きつけられた気がした。それほど、この作品での主人公の存在はリアリティがあり生々しい。

②について
介護者「田中さん」と介護される「私」の関係性。主人公が望む「妊娠して堕胎したい」(妊娠しても産むことができないから)という願いを1億で引き受ける田中さん。現実的に言えば醜悪な関係にしか見えない。

主人公の願いは理解できない、と言うべきだがその願いは昔からある「子を産みたい」という願いとなんら変わらないもののように思える。

田中さんが「介護者」という役割から逸脱した時点で、二人は対等の関係になっているように思える。愛とかいうロマンチックな関係ではない。異物として対峙する二人。お互いがお互いを冷徹に突き放して見ている。なんなら蔑みまでもがそこにある。ゆえにその関係は緊張感が漂う。理解しきれない二人が金と性を交換する。それは何も今始まったことではない。

女性が性を前面に押し出す時、それは社会や他者という人間に対しての苦悩が潜んでいる、と思っている。エロチックな妄想は男側の願望であり、願望充足のためのツールである。そこに女という個体は存在しない。女にも自我があり冷徹な目があるとは思わない。性的な関係とは対等な関係を結ぶことだ。そうでないものは欲求不満の代替か依存、力関係の確認でしかない。

ここではた、と思う。他者との深い関係性(良くも悪くも)を恋愛や夫婦や親子や家族でなければどうやって築くのか。その関係性からはみ出た性的関係でしかないのか。ならば性的関係とは関係性のためのツールなのか。

よくわからないが、女性が性的関係を書けばそれは苦悩の吐露であるような気がしてる。

③について
ラストの意味をわかりかねている。

ただ、主人公が書いていた作品の登場人物が不意に現実の人物となり、現実と思っていた主人公が消え去ってしまった不思議な転換が起こったような気がした。ポジとネガが入れ替わるような。どこまでが本当の世界でどこまでが嘘の世界なのかわからなくなった。

そして、こう思った。ラストの世界が実は主人公の願望成就の世界なのか、と。

結局、田中さんはことを成す前に辞職してしまい金も受け取らなかった。ラストでは、実は主人公を殺して金を奪い刑務所に入ってることになっている。

しかし、このラストが望みを叶えられなかった主人公の本当に望む世界での話であるとしたら?だとしたら孤独の深さにゾッとした。そう思うのはうがちすぎだろうか。

主人公の視点が変わる前(主人公の視点で語る最後)に唐突に聖書の言葉が並ぶ。これも謎だ。そこから怒りを感じたのだがその読みは果たしてあっているだろうか。それ以外の感情の機微を読み取るには繰り返し読まなければならないが。

他者との深い関係を築けずにいる苦悩、心から理解してもらえない苦悩という視点からこの作品を理解した。性に関しては女性作家が切り口を違えこそすれ、似たようなテーマで書いているので嫌悪感を持たずに読んだ。文字のせいか清潔な感じがして気持ち悪さはさほど感じなかった。

性が子を孕むことに直に繋がるのは子を身に成す宿命を持つ女性ならではの感覚だ。

「釈華が人間であるために殺したがった子を、いつか/いますぐ私は孕むだろう。」

最後の一文。この一文が重い。作品中でハンチバックというルビをせむしという言葉につけてある。自分は異物だと主人公は言う。だからこの言葉なのか。そして今更ながらなんて残酷な一文なのかと戦慄する。

自分が持つなんとなく見たくないもやもやとした感情を引きずり出された気がする。だから衝撃を受けた。

このラストを他の人はどのように解釈したのだろう。まずは、自分の感想を持たないと人の意見に容易に流されるので第一次感想は終わり。他の人の感想を読むのが楽しみだ。他の人の感想を読んで再び考えるのは楽しみの一つ。

救いがあるとすれば、文字として言葉として物語として語られる作業を通して清められるような感覚があるということ。書く側も読む側も。

宗教が救いのための装置であった(あえて過去形。盲目的に信じるにはあまりに現代は情報が溢れすぎてる)と同様に、物語もまたそのどうしようもなさを救う作業を担っているように思う。

話が逸れた。

読み応えがある物語、最高。




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